雨傘
駅までの道を、傘をさして歩いた。
駅から帰る人の波に、負けそうになりながら、傘を傾けたり、上にあげたりしながら少し細い歩道を行く。
大体の人がスマホを見たり、少々嵩張る荷物を持った私に苛立っていたように見えた。傘を一人だけで避けるのは、とても大変だなと思いながら歩く中で時々、一緒に傘を傾けてくれるような、心遣いのある方にホッとした。
一際電柱と店の位置の兼ね合いで狭くなったところを通ろうとした時、向かいからきたスーツ姿の、スッと背筋ののびたお兄さんが、止まって道を開けてくれた。
その振る舞いがとても自然で洗練されていて、美しかった。お礼を言って通った時の自分のちんちくりんな感じが、少し恥ずかしくなるほど、凛とした佇まいの人だった。
一つの所作から生活や心まで見えそうで、私もこういう人になりたいな、と一瞬で感じさせるその人の振る舞い(1日の終わりで雨にもかかわらず着崩れない感じとか歩き方の美しさも含めて)にとても心を動かされた。
ヨーロッパとか、NYで、ビール片手の酔っ払いのおじさんにも駅で荷物を下ろしてもらったり、どう見てもよそ者の私でさえ、現地の人に何度も助けてもらったり親切にしてもらった。けれど、日本にいてそんなことは、滅多に経験がない。全人生で、2度ほどある。どちらの方も振る舞いや言葉遣いの素敵な方だったことを覚えてる。
どちらかと言えば、嫌なことの方がたくさん経験している。運んでいる楽器の上に座られたり、舌打ちされたり、ぶつかられたり、痴漢も、一度ではない、そういう時、助けてもらったことはない。
きっと地域差もあるのだろうけれど。
だからただ、道を譲ってもらえることにすら、すごい、と思ってしまう。
せめて自分は、と思う。そんなこと当たり前でありたいと思う。時々は自分の余裕のなさと戦い、葛藤し、家路につきながら、ああ、とため息をつくけれども。お店とか、電車とか、どこでもいい。一瞬でもその人がそこで働いてて(そこにいて)よかったと思える振る舞いができたらいいな、と思う。私は、自分の働く現場では、来てくれる人や仲間に本当によくしてもらっているから、これはちゃんと回すべきもの。
そんなことを思った午後。
雨の憂鬱。
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