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【インタラクティブ】ブラックミラー・バンダースナッチ

Netflixについに加入したので、さっそく気になっていたインタラクティブドラマを見ました。インタラクティブ作品、知らないうちにたくさんあるみたいなのですが、今回見たのは「ブラックミラー・バンダースナッチ」です。

インタラクティブ作品一覧

https://help.netflix.com/ja/node/62526

ブラックミラー・バンダースナッチについて

ややネタバレ気味の部分もありますので、何も知らずに視聴される方はササッと視聴しましょう。

Netflixの人気オムニバスドラマ「ブラック・ミラー」の映画版で、物語内の主人公の選択を視聴者が選ぶことでその後の展開が変わり、複数の結末にたどり着くことができるインタラクティブ作品。1984年のイギリス。実家で父親と暮らすアマチュアプログラマーの青年ステファンは、物語の展開を自分で選択できるファンタジー小説「バンダースナッチ」のゲーム化を進めていた。憧れの天才プログラマー、コリンが在籍するゲーム会社のタッカーソフトに売り込みをかけ認められた彼は、納期までにゲームを完成させるべく奮闘するが……。(映画.comより引用)

その触れ込みの通り、映画を見ている途中で選択肢が出てきて主人公の行動を視聴者が決めることができる作品です。朝食べるシリアル、聞く音楽から、たとえば持ち込んだ会社でゲームを作るのか「YES」or「No」のような人生の大きな選択まで我々が決めることになります。
その選択により物語は分岐し、ときにはバッドエンドを迎え即前の選択肢に戻され、ときには物語が進み、そして主人公ステファンは現実とパラレルリアリティの境目が不安定になっていき……

何が良かったかといえば、もちろん圧倒的なスタッフによる映像・シナリオの妙が絶妙で、「は~~、これはみんなが大絶賛するだけのことはあるな~~」しみじみ思いました。かといって、なんでか私はこの作品を「傑作だ!みんな見ろ!!」と言うほどには感動していないのです。

その理由は大きく2つあるのですが「インタラクティブドラマって、結局アドベンチャーゲームじゃん。『街』や『428』やろうぜ」と「初期作品群からメタをやるんですか? 萎えぽよ」の2つです。

特に前者は、私がスマートフォンで視聴してしまったのがいけないと思って、でかいモニターで見ればまた変わったのかもしれません。たしかに映画っぽい映像ではあるんですが(失礼の極み)、結局それだけでやっていることはほぼ選択肢を選ぶゲーム。それならば、正直名作はもっと他にあるのでは?という気持ちです。
『街』『428』はいわゆるサウンドノベルゲームなのですが、オタク向け紙芝居ではなく実写のキャラクターを使っているのが特徴で、かなりドラマチックです。『428』はSteamでもプレイできるので、みんなやりましょう。

後者の「初期作品群からメタをやるんですか? 萎えぽよ」というのも、主人公が読者や視聴者を意識する展開というのはうまくやれば面白いのですが、個人的に初めて触れたNetflixインタラクティブでやられると、申し訳ないけれど「ちょっと安易じゃない?」と思ってしまうのです。

総じて、「期待していたほどの感動がなかった」というしょんぼりする気持ちがあります。

双方向ドラマについて

そもそも、Netflixインタラクティブドラマを見ようと思ったのは、先日終了したTinderのスワイプナイトの影響です。(スワイプナイトの最終話をやりそびれて、ド凹みしているので、私とマッチした方は詳しく内容を教えて下さいよろしくおねがいします。)

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スワイプナイトは、Tinderのスワイプ機能(こいついいじゃん!ならば右スワイプ、こいつキモ…なら左スワイプ、お互いLikeしあえばマッチして会話できる)のスワイプ機能を用いたドラマです。
隕石が落ちてくる直前の世界で、どんな行動を取るのか。ユーザーにスワイプで選択肢を選ばせながら物語が展開していきます。
最終的には同じ選択肢を選んだ人とマッチできるような仕組みも作っていて、まあそれは必要ないけどな……と思いながらもめちゃくちゃ面白い試みでした。

スワイプナイトが面白かった要素として、日頃使っているアプリの機能で物語が展開するところが大きいに思います。全く新しいシステムを作るのではなく、「スワイプ」という慣れきったアクションで物語が展開するところに良さを感じます。

あ~~!なんで最終章見逃したんだ!!

インタラクティブアート

そもそも「インタラクティブ」はアートの文脈ですでにたくさん受容してきたものでもあります。アート畑の人間ではないので、あまり知りモノ顔で語る事もできませんが、わたしは体験として楽しく参加することが多いです。

体験という文脈で語れば、最近流行りのイマーシブシアターや参加型〇〇もかなりの双方向性です。

パフォーマンス・アートの超有名作、マリーナ・アブラモヴィッチのリズム0(Rhythm 0)がよく知られていると思うのですが、これはモデルと観客の主体と客体が逆転し「観客が彼女に対して何をしてもいい、彼女はそれを黙って受け続ける」というものです。これはパフォーマンスアートとしてだけではなく、無防備な人間に対し公衆がどれだけ残酷になれるのか、といった文脈でもよく引き合いに出されますね。

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私は行かなかったのですが(情報収集不足)、話を聞く限りでは『霧の國』(冨士山アネット)なんかもかなり似たものを感じます。

インタラクティブさについては、その参加者側の選択が「選択肢で制御できる」か「無限の可能性がある」で大きく分けることができると思っているのですが、映像やゲームではどうしても選択肢での制御になってしまいます。
(もちろん、「選択肢を選択する」からできるギミックもあるわけで、ブラックミラー・バンダースナッチでもあった「えっ、どっちの選択肢も一緒じゃない?」という選択肢や、とつぜん1この選択肢しかなくなるという表現は、アドベンチャーゲームでもよく見る手法ですね)

視聴者・参加者がどれくらい物語に影響できるか。

それこそがインタラクティブの面白さだと思うのですが、結局それを突き詰めて考えていくと……

現実世界で人間と人間で向き合うほうが面白い可能性って、ないか???

と、フィクション・エンタメ大好き人間にあるまじき結論が頭に浮かんでしまうのです。

私はこの矛盾した考えの答えを求めるべく、アマゾン(Amazon)奥地へと旅立つのだった……。

面白い本の購入費用になります。