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最後には絶望が待ってると最初からわかってる話が好きだという話

本を読んだときの最初の数ページ。映画を見たときの最初の数分。演劇を見たときの最初の場面。
読み手をググっと掴む「冒頭」、色んなパターンがありますよね。

最初とラストがつながっているもの(ブックエンド方式)
なんなら犯人の名前が分かっちゃうもの(倒叙形式)。

書き出し小説大賞、なんてものがあるくらいに「冒頭」は大事なのです。

私はその中でも、最後には絶望が待ってると最初からわかってる話が好きです!(と書いてみたものの、実は意外と具体的なタイトルが思い出せないんですが……そのせいで記事タイトルだけ書いた下書きがずっと眠っていた)

これも一種のブックエンド形式な気がしますが、大ラストと冒頭が一致しているわけではなく、ラスト近辺と冒頭が一致していて、かつ最初に「絶望的な状況」が提示されるような作品です。
どんなに途中楽しい場面があっても、歌っても踊っても、笑っても泣いても恋しても、このあとに「あの絶望」があるのか、とそんなことを思わさせられる残酷さ。
小説や映画というよりも、演劇で見かける形式な気がしています。
わかりやすいのが、野田秀樹の「赤鬼」。水平思考ゲームで有名なフカヒレのスープのはなしです(違うけど違うくない)

冒頭、「あの女」、トンビ、ミズカネの登場人物三人が漂流生活ののち浜に打ち上げられ、腹をすかせた彼らにフカヒレのスープが与えられます。そして「あの女」はフカヒレのスープを飲んだことで自殺してしまいます。
舞台はそこからトンビの回想という形で、「あの女」が「赤鬼」と出会い進んでいきます。
観客は、「あの女」と赤鬼がほっこりするコミュニケーションを取っているときも、様々な大変なことを乗り越える時も、ふと冒頭に見た「いつか来るあの女の自殺」という悲劇が脳内によぎります。絶対に、変わらない悲劇。

「赤鬼」のラストは、「あの女」の兄であるトンビの長台詞で〆られますので、厳密な意味で最初と最後が同じわけではありませんが、ブックエンド形式の一種と言っていいと思っています。

こうした形式、演劇ではチラホラ見たことがあるのですが、あんまり他では思いつかないんですよね。
日本のエンターテイメントだと、わかりやすいハッピーハッピまたは救いが求められちゃうので、絶望のあとに小さな希望の萌芽だけほのめかされる、という余韻感重視な終わりは受けないのかなあ、と思ったりします。
最近流行りの「どんでん返し」はこのまったく逆で、救いのあとに絶望の萌芽がほのめかされるのだし……。
演劇という劇場型だからいいのかもしれないですね。


面白い本の購入費用になります。