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私のフェティッシュ・グロテスクショーへの憧憬の根源は松尾スズキだというはなし

むしゃくしゃして「母を逃がす」をポチったので、昔話をするぞ今日は。

みなさん、松尾スズキ氏をご存知だろう。つい先日、軽く15年ぶりに映画「ピンポン」を見て、冒頭のかの有名な窪塚洋介の「アイ キャン フライ!」に対し「イエース!ユー キャン フライ!!」と返す松尾スズキにしみじみ若さを感じてしまった。
個人的は、長瀬智也と中村七之助が延々とイチャイチャしているところを見るために繰り返し観た「真夜中の弥次さん喜多さん」での髭の花魁姿がパッと浮かぶ。それもどうかと思うが。

いや、こんな話がしたいわけではないんだ。

話は私がいたいけで純粋だった、高校生の頃に遡る。
当時の私は、東北のすみっこで進学校に通いながら勉強はほどほどしかせず、演劇部員としてアツい演劇への思いがあったりなかったりしながら、昼休みは図書室でダラダラ過ごす日々を過ごしていた。思えば平和な日々だった。
演劇を始めたのは高校生からで、中学生の頃は全く興味もなかった。というか、そもそも中学校で演劇部がある学校のほうが珍しい。新しく「演劇」に興味を持った我々に、当時の顧問は自分が好きな(かつ生徒が興味を持って楽しく観れそうな)舞台のビデオをたくさん見せてくれた。
うるさい、ビデオの時代なんだ。DVDなんてあるけど、劇団はそんなもんつくれん。
顧問自身が、本人の学生時代からかなりの演劇マニアだったらしく、本人のコレクションであったビデオは今思えば貴重なものばかりだ。今もなお上演が続いている、劇団☆新感線の「髑髏城」シリーズの一つも部活動で観た。他にも今でもわすられないのは、夢の遊眠社の「半神」そして「贋作 桜の森の満開の下」あたりだ。このあたりは原作を読んだり、戯曲を読んだりは今でもたまにするのだが、どうにかまたあの舞台を映像で観たいと思っている。

さて、そうして見せられた作品の一つに、松尾スズキの「キレイー神様と待ち合わせした女ー(初演)」がある。

すごいんだよ。ほんとうにすごい。たまげるぐらい面白くて、ストーリーも良くて役者もキャラが立ちまくって、ファンタジーでメルヘンで、でも残酷でグロテスクで。当時の演劇部で完全にキレイが流行った。
私達が観たのは初演の奥菜恵主演版で、奥菜恵のあやしい微笑みを再現できる先輩がいて、ヒュ~~~ッって感じだった。初演では阿部サダヲがとにかく可愛く、彼の歌う劇中歌「俺よりバカがいた」はハイパーウルトラメガ可愛くて、もう可愛いの具現化。
いや、だからこの話がしたいわけじゃないんですが「俺よりバカがいた」はJOYSOUNDでカラオケに入っているので、みんな歌いましょう!

話はちょっと変わり、今はもうインターネットと動画サービス、配信の時代だが、私が高校生の頃はまだテレビの時代真っ盛りだ。インターネットもあったけども。
我が家では地上波のテレビの他に、BSとスカパー(スカイパーフェクトTV)にちょっとだけ加入していた。一般庶民の家の産まれなので、スカパーはちょこっとだけの安いプランだ。アニメのチャンネルとか、えっちなチャンネルとか、あった!けど入らなかった!
そしてスカパーにはシアターチャンネルがあったのだ。演劇のチャンネル!

東北の片隅には、東京の小劇場出身のイケイケな劇団がやってくるわけがない。仙台にすら来ないんだから。私は飢えていた。顧問が舞台のビデオを見せてくれるのは、たとえば舞台が終わって次の舞台の脚本を決めるまでとか、そういうときだけだ。部室にあったり図書館にあったりした戯曲を読んではいたが、本は本だった。

そんな田舎者にも、テレビは等しく舞台の映像を見せてくれた。
スカパーは、夏休みとかそういう特殊な期間、追加料金無しで加入していないチャンネルが見れる日があったのだ。天才なのだ。
他にも、WOWOWや深夜のBSでも演劇が流れることがあったのも覚えている。

何でも観た、とは正直言わない。でも、そこで色んなものを観た。
あまりにも衝撃的だったのが、大人計画の「エロスの果て」だ。

SMプレー用の究極の麻酔薬を発明した天才少年「角川」。角川の狂気を、幼なじみの小山田とサイゴが現実化していく。「終りなき日常」を焼き尽くす、近未来SF作品。
https://www.wowow.co.jp/detail/170914/-/01

あらすじだけでヤバさが伝わると思うんだけども、まあそうなんですよ。タイトルもやばいもんな。
純粋無垢で、今の渡しになる素養がある女子高生にこんな物を見せたら、そりゃあ狂いますよ、ええ。

幼馴染の小山田くん(クドカン)とサイゴ(阿部サダヲ)が、冒頭から「ぼくはサイゴくんの奴隷だ」と言い出す。そして彼らは決める。「ぼくらは一生イかない」
当時処女だった私「???????????」。

ストーリーを追っかけても仕方がないので、私がこの作品で「やばい」と思ったところをいくつかピックアップすると(ネタバレになるかもしれないので気にする人は読まないでください)、

・サイゴくんは産みの母がわからない(娼婦をして孕んで、産んで消えた)。育ての母は三人いる。「減っていくカーチャン(指とか3本で良くない?切っちゃえ系フェチ)、増えていくカーチャン(その減らした指つけるね♡)、男になっていくカーチャン(男になっていく)」の3人。平成の舞台だぞこれ???
・舞台上での性行為的な演技(小山田くんとサイゴくんVSモブ女いっぱい)。もちろん上記の通り二人は「イかない」ので、女をイかすだけイかしてポイする。
・ド変態ドM女医、ドMすぎて「クリトリスを絶対自分では届かない場所に移植してもらう♡」→背中にクリトリスを移植してもらい、自分の手ではエクスタシーが感じられない体に。
・「究極のAV」を作るために、最初の方で出てきた「減っていくカーチャン」と「増えていくカーチャン」の自我を1人にしようとする。毎日最低10人の男に抱かせ、男が見つからなければ女でも犬でも抱かせた、そして寝るときは便槽に立ったまま寝かせた。そしてお互いのことを「あたし」と呼び合わせた。そのうち、どっちがあたしだかわからなくなってきた。そして最後の仕上げとして2人の体を1つにして、落書きみたいな体に改造させたのだ。(このあたりセリフまんまな気がするけど、手元に戯曲がないので記憶で書いている)

あぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(私の感性が壊れる音)。

映像はなかなか見れなくて、戯曲なら見たことがある人はいるかも知れないけども、映像がすごいんだ。もしこれ、リアル高校生の時に劇場の生舞台で観ていたらぶっ倒れたかもしれない。
ストーリーやシナリオがこのように過激なんだけども、なんだけども、美しいんだ。
「汚くて、卑しくて、美しい」
この価値観を、私はぶち込まれた。そしてその呪縛は消えない。

ほかに「テレビでみた舞台演劇」で覚えているのは、「春子ブックセンター(同じく大人計画だが、クドカン脚本・演出)」とか、大川興業のタイトルを忘れてしまった……、とにかく大川興業の舞台で、芸人のイメージしかない江頭2:50が主演の舞台とか。当時から芸人としてテレビではあんな感じだったので、舞台でのくたびれた中年っぷりにびっくりして印象に残っている。

さてはて。
1990年代~2000年代初頭くらいの大人計画の舞台は、こんな風にグロテスクでエロスに満ちた作品が他にある。わかるよ、こういうの、小劇場出身だとつくるよ。人が来るもん。観たくなる。
たとえば、「ふくすけ」。まさに「福助人形」のように頭が大きい障害児を阿部サダヲが演じた怪作。障害がある子どもを集める男、それを見世物にし、そしていつの間にか宗教に祭り上げられ。とんでもないノンストップ劇でグロテスクで不快さを感じるのに目を離せない。初期松尾スズキ作品では一番「すごい」のかもしれない。
本棚を整理していたら「宗教が往く」が出てきて、読んだ記憶が全く思い出せないけどフクスケみたいな感じだった気がする(??)
あとは「ヘブンズサイン」もかなり好き。かなり好きというか、トラウマ。端的に言えばいっぱいメンヘラが出てくる話なんだが、このなかの摂食障害のオンナがトラウマなのだ。拒食症とか過食症は、存在として知っていたけど、チューイングというものを初めて知った。「いくら口に入れても、噛んで吐いたらまた食べれる」がトラウマすぎてトラウマ。
他にも「マシーン日記」なんかも監禁モノだし、4人舞台ドロドロ劇が胃もたれする。

いずれにしても、令和の時代じゃないんだよ。平成ど真ん中。
オウム真理教事件があって、阪神淡路大震災があって、それからノストラダムスの予言が騒がれて、外れた、あの時代が青春だった、私より少し上の世代が作った物語。

たぶんだけども、私よりも少し上の世代は、それこそ天井桟敷とかをリアルタイムで観られたのかもしれない。ああ、ノックを観たかった、くそう。ライチ光クラブで有名な東京グランギニョルを生で観劇したのかもしれない。
私はそういう世代じゃないからさあ。

青春というか、多感な時期に摂取した刺激物は、どうしても逆らえない。実は感受性が豊かだった時代、文学もそうだけども演劇から受けた影響がドでかすぎる私、というおはなし。
絶版本以上に「昔の演劇」って見づらいから、なにかがどうにか間違って映像を見る機会があったら観てね、しか言えないのが辛いところ。

あ、でも一番好きな舞台演劇を聞かれたら、劇団☆新感線の「蛮幽鬼」一択です。これは万人に進められる作品なので全人類観てくださいよろしくおねがいします。

この堺雅人演じる「サジ」が好きでなあ……。蛮幽鬼の話はまた今度。

面白い本の購入費用になります。