「欠落×ミックス×DEUCE」あとがき

【あらすじ】
「彼らは罪を犯した。さらにその記憶が欠落している」
罪の意識だけが二人に付きまとう。そして出所していい代わりに許されたのは、とある部屋での“同居”だった。そんな二人の生活は脱出を試みたり、寂しくしたり、愛憎をぶつけあったりしていた。互いの罪を知るまでは。

↓ここから先はネタバレ有

【本編に至るまで】
構想としては元々昨年の秋ごろからあった。「おれがあいつであいつがおれで」が代表するように性転換・男女逆転ネタなど古来からあるものだ。この話がある限り、現実問題、完全に男は女になれないし、女は男になれない(手術や戸籍の上では可能だが)。心と体が入れ替わるのも上に同じである。現実的には、あり得ないのだ。
最初は主人公二人が二重人格の片割れで、片割れ同士は顔を会わせることがなく、一人の人間が二人の人格で話し合うという設定だった。(終わり方も医者に「まるでもう一人と会話しているようだ」という台詞もあった)なんとなく「おそ松さん」の実松さん回のようではあった。
しかし、パソコンに打ち込む間にどうしてか、神秘的な方向に行ってしまったのである。そして、一人称や二人称が相手が一人しかいないのにころころ変わるのは、より人間の揺らぎやすい心をストレートにしている。彼らにはまだ名前すらないのだから。

【欠落した罪と罰】
二人の男女が記憶にはないけど後ろめたい罪の意識に駆られながら物語は進む。「きみを殺したかもしれない」というのはどう足掻いても小、中学生の頃の保健体育や生物の授業で衝撃を受けた受精の映像そのものである。この頃(受精前後)はまだ男女の区別なんてはっきりとは分からない。後に染色体の優劣で形作られていく。彼らは"犠牲にしてでも生き残った"二人、要するに未熟な双子である。生まれてくるのに必然な罪であり、これを抱えて生きることそのものが罰である。と、私は考える。覚えていないのは、彼らに意識がない状態(生物的本能のみ)だったからではないかと思う。

【男って?女って?】
よく、「女らしくいなさい」とか「男だから泣くな」とか言われてきた。私もその対象で、女だから言葉遣いには気を遣えとかおしとやかにとか言われて何とも言えない気持ちを10代で味わった一人だ。女らしく、とは世間体の女はこうあるべきという一定の条件の満たしているのが女である。というのが女らしくという意味だと思う。とにかくマナーや作法に外れるから女らしくないのである。だからといって「女らしくない女=男 」ということではないのがなんとも難しいところだ。
最近では性の多様化・ユニセックスなど世間でも多少なりとも理解力は以前に比べて高まってはいる。別に誰を好きになろうと構わないし、たまたま好きになった人が男だった・女だっただけだと思うし、男が可愛いぬいぐるみを鞄に下げていたり、スイーツに目がなかったりして構わないのだ。女が特撮を好きになったり、工事現場で働いてもいいのだ。心は個人そのものであり、それを否定してはならない。
ただ、体だけがどうも嘘をつけないようである。あるものはあるし、ないものはない。女性ホルモン・男性ホルモンがそれぞれ強めに設定され、さらに誇張される。生物学上の雌雄は無性生殖でない限り、視覚的記号を以て判断するのだ。だからこそ、女性である私は完全に男にはなれないから興味をそそられる。「自分が男だったら?」心が男である前に器が男でなくてはならない。そんなことを考えながら男役をやる時に考えている。そう簡単になれるものでもないし、自分の思う男っぽいところなど世間の考える"男"でしかないのだ。能や歌舞伎で女形を演じる役者の心遣いは計り知れないだろう。私は自分自身に男性・女性の部分がホルモンのようにあって、決してゼロではなくどっちかが多いだけのような気がしてならない。この脚本をもし舞台にしてもらえるなら、それぞれ役者の異性の部分を垣間見ることが出来ると思う。相手をよく観察し自分との違いに喜び、そして楽しく演じて欲しいことを願う。

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