8.15

今日主にしたことは、夏目漱石「こころ」の読書。スキマを縫って読んだから何時間費やしたかわからないけれど、半分くらいまで読み進められた!
あらすじをノートにまとめなきゃならないのと、内容が夏休み明け課題テストに出題されるっていうので、頑張って読んでいる。

正直、夏目漱石の話は読了できた試しがないのでなんとなく躊躇ってしまっていた。
超有名作しか齧っていないが、「吾輩は猫である」は開始からよく分からず、なんとも猫目線で書かれてるので理解が追いつかず脱落。
「三四郎」は、なんだかけっこう頑張って読んだ記憶があるけれど内容を何も覚えていない。読み終えた記憶もない。
「坊ちゃん」は4分の3くらいまでけっこう頑張ったのだが、読む度に前の内容を忘れていったため段々人物の関係が訳分からなくなり脱落。

いうて3冊だった。
明治らしい、漢文の書き下しを読んでるように難しい漢字が多く出てくる文体は、難関の文系大学に行くなら慣れておかないといけないらしい。大変ですな…(他人事)
とはいっても、せっかく日本人なんだし日本の文豪の書物は粗方読んであらすじくらいは覚えてる人間になった方がいい気がするので、必要不必要関係なく今から読んでいきたいな~と思うだけ思っている。

どうでもいいけど、独り言が大きいので「あ!『こころ』読まなきゃ!」とか誰にともなく言ったりしていた。これ、傍からなんにも知らない人が聞いたら厨二病かなって思うと思う。変な人になっちゃうから外ではあんま言わないようにしよう。

「こころ」は、今まで読んできた夏目漱石の作品からしたら読みやすい。いや、単に前述のを読んだのが小学生だったから、対比しても仕方ないかもしれない。今読んだら普通にわかるかも。

以下、今のとこ読めた分のあらすじ。

主人公は「私」。海で「先生」に出会う。
物静かな先生に私は惹かれて、もっと先生のことが知りたいと家に通うようになり、親しくなる。
先生は月に1度、亡くした友人の墓参りに出向く。
そこには、先生の容易に人に話せない過去があった。それを知りたがった私に、話したい時が来たら話すと先生は約束する。
そして主人公の父の持病であった腎臓病がとうとう酷くなったのか、主人公は故郷に帰ることになる。父がいよいよ重篤になってきたとき、先生の"話したい時"が訪れたので、先生は長々と手紙におこして主人公に送る。
手紙の内容は、先生の学生時代の回想である。両親を早くに亡くした先生は、叔父に引き取られる。叔父は父に大いに認められていた上先生にも良くしてくれたので、先生は全面的に信頼を置いていた。しかし、叔父の娘を嫁にやるという話が浮上した。田舎では、相続者がいるのに家を取り壊すのは言語道断なので、両親の大きな家に夫婦で住めば良いというのだった。先生は東京帝国大学の学生だったのでそれを何ともなく断ると、次第に叔父やその娘と仲が悪くなっているように見えた。先生は、これは今に始まったことではなくずっと策略だったのではないかと疑うようになる。父の遺産も取り分が少なく、先生は叔父と関わりを絶とうとする。この時から、先生は叔父、いや人間に対して不信になった。
先生は下宿先を探し、人に紹介してもらって、奥さんとお嬢さんの住むところに停めてもらえることになった。そこのお嬢さんと親しくなる。
先生には、幼なじみのKがいた。僧侶であり、仏道を重んじていた。先生より全てにおいてポテンシャルが上で、先生と同じ大学に進学した。しかし実家と揉めて学費を工面して貰えなくなる。気の毒に思った先生は、自分と同じところに泊まるよう促した。元より人付き合いが良くなく角が立った感じなのも、下宿の奥さんとお嬢さんの雰囲気により緩和されるだろうという心遣いもあってのことだった。
しかしKとお嬢さんが次第に仲良くなるのを見ると嫉妬に駆られるのだった。

あらすじを書くのが下手なのも課題だ。うむ。

「吾輩は猫である」「三四郎」「坊ちゃん」に比べると、(内容をよく覚えていないのでなんとも言えないといえば言えないが)かなり登場人物の人柄がわかりやすい。心情描写が細かく、言い換えが多いのでしっくりくる説明が見つかる。また使っている言葉もそこまで難しくない。

かといって、登場人物の見た目は一々細かく言及しないのが良いと思う。これは個人的な好みである。
自分で好きな容姿を思い浮かべて読めるのがけっこう好きなのだ、たといノンフィクションであっても…。

個人的に心が痛くなるほど共感したのが、先生とその妻、静(しず)との関係性である。
2人一緒に、日々仲睦まじく暮らしているのに、先生は普段から静かでどこか沈んでいる。
静は、人付き合いの非常に狭い先生にとって、自分はなくてはならない存在であり、自分によって先生を幾分か幸せにできていることを自負している。
しかし他方、先生が人間不信なんだから自分のことも嫌になっているんじゃないかと思っている。
しかしそれを問い詰めると、先生は自分が沈んでいる理由について「全て自分の所為だから、静の所為ではない」という旨のことしか言わない。
だが先生にそう言われる度、静はやはり自分の所為なのではとどうしても自分を責めてしまい、なんなら先生に自分の悪い所を洗いざらい吐いてもらったほうが余程楽なのに、と思う。
ただ、先生は本当に静の欠点を見出していないので答えようがない。

まず、自分が愛している者が自責で苦しんでいるという時点でこっちが辛い。
先生の自分の過去の誤ちとの戦い、それも先生は自分の過去を静には隠しているので静には分からない戦いを繰り広げているので、どうにも励ましようも救いようもない。
したがって、苦しんでいるのに助けてあげられないのが辛い。
「全て自分の所為だ」という言葉を信用していないと言うよりか、向こうが自分の所為と思っている中に、もしかしたら向こうも自覚しないでいるこちらの責任が埋まってやしないかと考えてしまう。有無は分からくてもあるような気がしてしまう。それを向こうが自覚し教えてくれれば好いのに、という気持ちがある。
愛する者の苦しみの本当の理由と責任が分からないことに対してのやるせなさがあるのだろう。

全く同じような形で失恋をしたので刺さる。
苦しいのでやめてほしい()

こういう経験をここまで細かく描写できる夏目漱石は凄いのだなと思う。
…はぁ全く…陳腐な感想しか出てこない。なんかもっと無いのか。
語彙力と読解力が今のところは厳しいと言っている。くぅ。

───────

夏の風物詩といえば、私はなんと言っても「祭り」を挙げたいのである。祭りで町が賑わって初めて、毎年私は夏休みを自覚し、夏休みを謳歌した。

大小様々な祭りがあるが、こと盛り上がりを見せるのは花火大会(一応祭り?)と、祭りのお神輿や音頭であろう。神輿の音楽、音頭の拍子とりには太鼓が必ず登場する。

花火と太鼓は、大きい音を出すことが共通している。
それも、心臓が物理的に震える気がするくらいの音量である。
色々巡らせたが、夏以外でこれほどまでの音量が聞ける機会は思いつかない。それも皆が簡単に聞けるような、と条件を付け加えると本当に無い気がしてくる。

どちらも、夏バテで気だるくなった体を少しだけ元気にしてくれるような気がする。

今日考えたことはこんなものだ。
などと言っていたら日付を跨いでしまったが、私のモットーは「寝るまでがその日」なので問題は無い!
また明日も頑張ってゆこう。

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