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未来で待ってる

 乗りたい……このビッグウェーヴに……と思わないでもないけれど、オタクとしてときどき思うことを書きますよっと。(以下、大雑把に敬称略)

「鬼滅の刃」(以下きめつ)の映画すごいですね! いろいろと。
 アニメは見るともなく見ていて、こりゃあアニメ会社ガチャSSRだな……って漠然と思う程度でした。作画がえぐい。(個人的にテンポと脚本は合わなかったが)(残念なことに自分にとってあの会社はいつもそんな感じである……)(たとえ好きな作品があっても全肯定せずに自分がアラと感じる部分にはダメ出しするタイプのめんどくさいオタクですまない)
 あと声がすごい。声オタというわけではないですがそれなりに好きな声とかあり、ここ数年はソシャゲ三昧だったので、やっと、35年くらい前の認識の「(ギャブレット・ギャブレーの)速水奨は新人」が「速水奨はものすごいベテラン」に塗り替えられ、おお……とはなっています。(気がついたら井上和彦が還暦すぎててヒャッとなりもした)※ギャブレーより前にマクシリミアン・ジーナスで聞いてましたわ~

 まあアニメや映画そのものについて語りたいわけではなくて、それを受け取る側の話ですわ。(この語尾は非お嬢さまです)

 とにかくきめつ、すごいなあと。最初は、書店が売りたいのに売る本(コミックス)が入ってこない、という程度の認識だったのですが、気がつくとあらゆる商品とコラボしておるではないですか。たくさん見すぎてもうわけがわからない。
 さらに、アニメは深夜枠だったのに、小学生など児童年齢の認知がとても高い。自分が子どものころのアニメの枠は夕方17時台の再放送枠と、18~19時台の枠がせいぜいでしたが、近年のお子さんはその時間帯に家にいない、あるいはTVそのものを見ない、とかなんとか。リアルに子持ち世代と接していないのでどれもネットの聞きかじりですが。つまり、ネット配信で見たのかな?と推察しています。となれば、そのようにしてきめつを見た子どもたちは、生まれつきネット配信があった世代になるのだな~という感慨もあるのです。

 そんな、きめつをアニメで見て原作を読んでハマった子どもたちが、作中に出てくる技を真似してごっこ遊びをしたり、キャラクターの行動に影響されて言動が変化したり、今まで知らなかったものに対する興味が増していく、という現象が、全国各地リアルタイムで起きているというわけですよ!!!

 自分はそれにわくわくしてしまうのですよ。
 今は多様性の時代で、いろいろなひとがいていろいろな局地的な流行があるように感じます。それはオタクだからかもしれないが……どんなに持てはやされても、オタク国オタク村の僻地にいる自分にはかすかにしか届かない。どこでどれほど流行っていようと、自分の行動範囲と重ならなければ、まったく知らずに済んでしまうのです。自分の食べたいものだけを食べていると、そうなるのです。
 そんな自分のもとにも辿り着くきめつ。さらにツイッターでは「うちの子がきめつにはまって○○するようになった」みたいなのも見かけます。半分くらい盛ってたり、三分の一くらい嘘だとしても、事実もあるわけですよ。

 創作物にはつくりての体験が少なからず影響すると考えています。まあ自分がそうだからなんだけど! 念のため、その影響は「体験をそのまま創作物に反映させる」という意味ではありません。ある程度の脚色や味つけはもちろんあるでしょう。
 きめつがこれだけ流行ってしまった以上、この先の、10年、15年、20年後に出てくる、マンガや小説やアニメには、その影響が必ず出てくることでしょう!!!
 それが大いに楽しみです。楽しみです。

 それはきめつの要素をパク……リスペクトするという意味ではないのです。きめつによって得た体験が反映されるんだろうなという考えです。
 みんなでやったきめつごっこ。親と一緒に映画館に行ったこと。誰それの真似をして髪型を変えたとか口調を変えたとか。誰かを見習って今までとは違う振る舞いをするようになったとか。好きなキャラがこういう目に遭ったのが刻みつけられ、これ以降はそういう目に遭うキャラに惹かれるようになってしまったとか。
 きめつでなくてもそりゃあるだろってことも挙げましたけど、きめつに関しては「子どもが受け取っている」「子ども時代の影響は深く刻まれてのちのちまで長く残る」ということです。
 それがこの、ものすごくたくさんのひとたちが受け取っている作品で起きているのが、とても素敵に思えて、せつない気持ちになるのです。
 つまり、一定の世代には「黒と緑の市松模様」といえば、きめつ、という刷り込みがされたのです。ほかにもいろいろと挙げられる要素はありますけど……それらは、世代の共通認識となりつつあるのでしょう。うらやましさと同時に、この流行に乗れなかった者も必ずいるので、認識を持てない怖さもありますが……とにかく、そうした影響を、同世代の半数以上が受けるのではないかと考えています。

 ちょっと話がずれたので戻しますが……自分が期待しているのは、あと10年、15年くらいしたら、ツイッターか、あるいは類似のSNSで、「昔、親にきめつの映画に連れていってもらったのが映画館に行った最初の想い出」と語られるのではないかということです。
 ほかにも「小学校のときにきめつごっこやった!」とか「わたしの性癖は○○が○○したときからだな」とかの自己の深掘り語りを見られるのではないか! これだけの流行なので、のちにオタクにならずとも、ハマった想い出がつくられているはずです。現在進行形で。

 今でも、「むかし○○という作品が好きで刻まれている」みたいなのを見かけると、妙に楽しくなってしまうので、このきめつの大流行を憶えていられたら、きめつが想い出として語られるときは、もっと楽しいではないかな、とわくわくしているのです。
 そういう未来が確実に訪れるであろうから、あと50年くらいは生きていたいなあと思う昨今です。