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日本の環境音楽


西武美術館の隣に有った
アール・ヴィヴァン
現代美術、現代音楽に特化した
本屋・レコード屋さん。

当時の店長さん
芦川聡さん。
高校生のワタシへ沢山教えて頂いた。
サティのレコードを探していると
「ピアニストはこの人良いよ」
「サティの歌曲、入ったよ。この人良いよ。」
ブライアン・イーノの新譜が入るとすぐに教えてくれたのだった。
アシカワさんは、いつも控えめに。
でも、その造詣は深く。
尊敬する憧れの人でもあった。


さて、吉村弘(宏)さんをご存知でしょうか?

今はもう、閉館となった原美術館。
開館当時、いつもピアノ曲が作品を邪魔することなく流れていた。
いつもいつも、素敵な邪魔しない音楽。

気になって原美術館の事務室をノックして、訊ねてみた。
「毎月、吉村弘さんから一枚のハガキが届くの。音符♫が描かれていて。その音符が流れている曲。
メールイベントなの。」と。

応える原美術館も素敵だ。
で、アール・ヴィヴァンに買いに行く。

1982年、自分も美術家として発表を始め、いつの間にかアール・ヴィヴァンからアシカワさんの姿も見えなくなった。

ワタシは現代美術のギャラリーで発表をしていた事もあり、
現代音楽家の方々も観に来てくれていた。
「アンビエント音楽作ってます」というデュオの2人からテープを紹介してくれたり。
楽しかった。
ただただ、静かに、だけど熱く、楽しかった。

ある日、ギャラリーに来たあのデュオの2人から
「芦川聡さん、亡くなっちゃいました。交通事故でした。
自分達も駆けつけたけど。あっけなくて。」

衝撃とはこの事。
ワタシ達を先導して、自らも、作曲して活動していた芦川聡さん。
日本の環境音楽は始まったばかりじゃん!!
嘆き悲しんだ。

あれからもう、40年近く経つ。



今のワタシの血や肉や骨は
間違いなく
芦川聡さんが
与えてくれたモノであり、糧。

有難うアシカワさん。
もう、33回忌も過ぎてたんだね。
空となり、風となり、ワタシ達の身体をすり抜けながら、
心を揺さぶっているんだね。

本当に有難う。
これからも。

そして、今のワタシの血となり肉となり、骨になったこのカルチャーを嬉しく想う。

自分のような、芦川聡チルドレンに逢いたいなぁ。

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