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口下手がnoteを半月書いて感じた事
「月の呟き」を見つけてくださり読んでくださり
ありがとうございます。
拙い文章ではありますが
noteを書くことを通じて、自分は「書く」ことがこんなに好きだったと気づかせてもらいました。
暇さえあればカタカタ
いや
仕事は山積み、暇なんてどこにも無いのに
カタカタカタカタ
やってしまいます。
(実はちょうど一年前くらいに別の名前でnoteを書いていたのですが、目的もなく書き散らかしてしまったそちらは続かず、ログアウトしてしまいました。目的意識は大事ですね。)
誰にも言わずに密かに始めたこの場所、
知り合いはまだ誰も、こうして書いてることは知りません。
noteのプロフィールにTwitterのリンクを貼りましたが、Twitterには noteのリンクは貼っていません。
閲覧数は少ないですが、自分の勉強のために始めたことなのでいいんです。
寧ろ、こんな文章なのに読んでくださる方が一人でもいらっしゃるなんて恐縮です。
そのうちTwitterにリンクを貼ろうかなぁなんて思っています。
Twitterだと自分にとっては、文章を書くには少し主張が強いように思いました。
(字数制限もありますし、タイムラインに乗ることが少し恥ずかしい)
その分noteは興味がある方だけクリックして見る、さらに興味があるものだけを選んで読む、事ができるので、そのひっそり感が書く側にとっても心地よいと感じています。
しかしながら、実はこうして文章を書いたり小説を書いたりしながらも、
言葉に関しては、恐ろしく不器用なのです。
それらしい事をして書ける「フリ」をしているだけです。
実際は、物語を書くのも、文章を書くのも
凄く時間がかかります。
そうは言っても
書き言葉はいいですね。
時間がかかっても待ってもらえるからです。
やり直しもきくからです。
問題は話し言葉です
私は非常に口下手で
だって「喋る」っていうのは「アドリブ」ではありませんか。リハーサルなんてありません。
その場で考えて喋る。で、取り消せない。
形もない。形がないのに、鋭く尖っている。
簡単に人を傷つけてしまう。
常に緊張が伴います。
緊張して言葉が出てこない。
捻り出した言葉はありふれていて安っぽい。
説明が下手。
この辺りはずっとコンプレックスです。
心に響く言葉を言えたり、論理的で説明が上手かったり、説得力があったり、ジョークで人を笑わせたり、言葉で和やかな場をつくれたり、そのような言葉が器用な人、というのは羨ましい限りです。
あとやはり、会話に入っていけない。
教室等で周りで自分の興味のある話題が話されていても、ウズウズしながらラジオのように聴くしかない。
そうしていつも脳内会話。人と話している妄想をして、喋りたい事を凄く良い感じに喋って、かつ周りも凄く楽しそうに聞いてくれている場面を妄想して...(あんまり書くと引かれるぞ!)
人と話すことは好きなのです。
人の話を聞きたいと思うし、
話すことは好きなのです。
決して大人しい方でもありません。
でもその話題の流れとか、キャッチボール、とか、これを言うと相手はどう思うかとか、相手は何を言おうとしているのかとか...そういうのを考えるのが非常に苦手です。
会話に入っていけない、かと思えば自分の事ばかり喋ってしまったり。
(今まさにそうじゃないか......)
友達の作り方が分からない、かと思えば急に距離を詰めすぎてしまったり。
人と話した後は大抵一人反省会です。
コミュニケーションというのは大変難しい。
書き言葉はその分、考えながら書いて、消して、また書いて、ができる。
しかもこのnote、公開した後から編集もできるんですね。
ああ、これは良くなかったかな、と思っても訂正できるので有難いです。
好き勝手書いてるだけのめちゃくちゃな文章でもnoteクンはそれを「執筆」と呼んでくれるのですね。
大袈裟だな、逆に恥ずかしいです。
しかも投稿するたびに
「○週連続投稿です!」とか
「執筆が続けられていて凄い!」とか
「記事がまた一つ増えました!」とか
noteクンは励ましてくれるんですね。
口下手で伝えたいことを伝えられない自分が
書くことを通じて、ここでは落ち着いて言いたいことを言えている。
そこに喜びを感じています。
でも一つ思っているのは、「自分語り」にはなりたくないと言う事です。
自分がどういう人であるかを書いて示すだけにはならないようにしたいと思います。
自分のことはよく知っているものなので書きやすいのでしょう。
気を抜くとすぐ「自分語り」になってしまいそうなので本当に気をつけなければ。
せっかく読むという時間をここに割いてくださっているのですから、自分の勉強のためであっても、少しでも有意義な文章が書ければとは思うのです。
とはいえ、自分の実感として持っていない言葉は書けません。
実感のある言葉だけを綴っていきたいのです。
実感のある言葉を書こうと思ったら、どうしても自分の事を書くことになってしまうのは避けられないのかもしれません。
今までの色んな場所での思い出とか。
それでも、小説の練習として、読み物として、ちゃんと味わえるものになるよう努めます。
ノートに書く手書きの文字と違い、
こうして入力された文字は、どこか自分のものではない、自分を超えてどこかへ飛んでいくものに思えます。
言葉は「記号」です。
記号ですから、自分だけのものではありません。
だから言葉には責任があります。
とはいえ
非常に楽しくやらせていただいています。
お読みいただき誠にありがとうございます。
その言葉に尽きます。
これからも不定期に更新してまいります。
それでは、おやすみなさい。
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