美大という場所
「絵を描くことは苦しいんだよ。絵を描いてて楽しいなんて思ったことは一度もない」
大学での制作中、週に2日ほど担任の教授が回ってきてアドバイスをくれたり質問をしたりする。
月一で課題が出る。制作期間の最初の方はみんな取材や準備に行っていて、アトリエに人がほとんどいなかったりする。
その日は自分一人しかアトリエにいなかった。
でも教授はアトリエに回って来てくれた。
「あぁ、こないだの話の続きをしようか」
と言ってくれた。
誰も周りに居ない。マンツーマンでじっくり相談に乗ってもらえることになった。
制作をしていて悩んでいること辛いことを相談させてもらった。
贅沢な時間だった。
普段から、教授の話はいつも興味深く刺激的で、自分の悩みの痒いところをあまりにも、あまりにも爽快に射抜いてくれた。
悩んで悩んで苦しい色々を、この人に相談しようと決めていた。
でもいつ...?
教授は物凄く忙しい。限られた時間で、他の人の絵も見なきゃいけないし沢山の仕事がある。助手さんは教授の隣で時間を気にしていて、教授は急かされるように去っていってしまう。
どうしたらいいものか。
そんな中、偶然訪れたこのタイミングだった。
じっくり相談をさせてもらうことができた。
教授は話し出すと止まらない。その話の全てが、刺激的で発見をくれた。
その中で教授が言った言葉が深く心に残っている。
「絵を描くことは苦しいんだよ。絵を描いてて楽しいなんて思ったことは一度もない」
「鼻歌交じりに描いてるようではいけない。やらなきゃいけないのは、『勉強』なんだよ」
この言葉にどれほど救われたことだろう。
春、新学期が始まって一番最初の日にも、教授はクラスメイトの前で言った。
「絵を描くのは苦しいことだ」
と。
新学期の最初の日に。
それがとても衝撃で、同時に救われたような気持ちになったことを覚えている。
美大に通っている人はみんな「絵を描くことが大好き」な人たちで、
毎日毎日、大好きな絵を楽しく描いている。
と思っていた。(し、そう思っている人は多いのではないか)
そうじゃない自分は駄目だと思っていた。
悩んで悩んで、絵を描くことが苦しい。
「好き」とか「楽しい」とか、もはや思えない。
そんな自分は絵を描く資格が無いのではないか。
こんなところに居ていいのだろうか。
と思っていた。
そんな時教授は教えてくれた。
美大とは、「研究機関」なのだと。
大学というのは、研究をする場所だ。
美大で絵を描くということは紛れもなく「勉強」であり、「学問」なのだ。
悩み、考え、苦しいものなんだと教えてくれた。
「趣味で楽しく絵を描く」こととは全く違うものなのだ。
「絵を描くのは、トンネルを掘っているような、地味で、苦しい作業なんだよ」
と教授は言った。
どうしても一般的なイメージとして、絵描き(アーティスト)は個性を爆発させて、自分の好きなことを楽しく、存分にやっているというキラキラしたイメージがある。
だから、絵というものは楽しく描かなきゃいけないという強迫観念が自分にもあったのかもしれない。
でもこれは趣味じゃない。
勉強なのだ。苦しくて当然。
だから学ぶことができる。
そう思ったら、心が軽くなった。
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