娘の記憶に残したい、おじいとリカちゃん。


私はスティックパンさつまいも味が大好きだ。ニヤニヤしながらスティックパンをほおばるときが一番幸せ。あー。もし私が死んだらスティックパン持っていきたいなぁ。そんなことを想いながらふと、おじいの事を思い出した。

私のおじいは明治31年生まれの享年97歳。戦前戦中戦後の沖縄を生き抜き、文字通り大往生で人生の幕を閉じた。
思い出したのは、そのおじいが亡くなった、夏の暑い日のことだった。

私が物心ついたころにはすでにおじいは80オーバーで、煙草をスパスパすい、サンシンを鳴らし、畑仕事していた。おじいが85歳になって煙草をやめたいと言い出した。どうしたのかと聞くと、「長生きしたいから」と。ヘビースモーカーで85歳まで元気だったので、「大丈夫よー、もっと長生きするはずねー」と答えた。煙草が必ずしも短命と結びつかないと、おじいから学んだ。実際、煙草をやめて97歳までボケもせず元気に生きてくれた。

私が幼稚園の時、お腹をこわし、お迎えを頼もうと幼稚園の先生が家に電話をしたところ、80過ぎのおじいしかいない。どうしようかと先生方が悩んでいたところ、背広に帽子をかぶり、ステッキをつきながら明治男のおじいがさっそうと現れ、5歳児の手を引いて連れて帰ったという。連れ立っている見た目は、きっとどっちも危なっかしく見えたであろう。

おじいが亡くなったのは97歳の誕生日を迎え、今年はカジマヤーだね、と家族で話をしていた時だった。沖縄では、自分の干支の年に、無病息災を願い、生年祝い(トゥシビー)をするという風習がる。97歳はカジマヤーといい、カジマヤーを迎えると、人は生まれ変わって子供に戻るという言い伝えがあり、カジマヤーを迎えたオジーオバーは赤い着物を着て風車を持ちお祝いをするのだが、毎年その時期になると、派手に飾り付けたオープンカーに赤い着物を着たオジーオバーがニコニコして、集落を回っている様子がニュースで流れる。トゥシビーの中でもカジマヤーは一番盛大にするお祝いで、おじいももう少し生きてくれればオープンカーを乗り回していたかもしれない。

その願いは叶わなかったけど、病院から帰ってきたおじいはカジマヤーのお祝いの意味を込めた真っ赤な布をかけられ眠っていた。悲しみのお通夜、というよりはよく生きたね、お疲れ様。という慰労会のような感じだった。

おじいが亡くなった、あの年、私は大学生、妹は高校生。私が夏休みで帰ってきて、病院にお見舞いに行った。たくさん管がつながっているおじいは「よく帰ってきたね」と私に言葉をかけた。97歳で、病院で、管がたくさん繋がっていれば、ああ、もうダメかもね。と思うのが王道かもしれない。でも私は、おじいが死ぬようなイメージが全くなく、私が沖縄にいる間に退院してくるとしか思えなかった。だから病院でのその姿を見ても悲しくも寂しくもなかった。しかしその2日後、おじいは亡くなった。私の勝手な思い込みだが、おじいは私が夏休みで帰ってくるまで待っていたような気がする。

お通夜の当日。父が私と妹に5000円を渡し、「人形を買ってきてくれ」といった。はて。なぜ故に人形?と思ったが、通夜の席にいても暇なので妹と近所のおもちゃ屋さんに行った。その当時、人形といえばリカちゃん。でもリカちゃんは値段が高い。妹が「うちにあるUFOキャッチャーでとった人形があるからそれにしない?」何に使うかわからない人形、もうそれでいいや。何も買わず、家に戻った。
妹がもってきたのはアンパンマンが元気よく飛んでいる人形。それを父に渡すと「人間じゃないからダメ」えー。じゃあと、妹が次に持ってきたのはジャムおじさんが元気よく飛んでいる人形。それを渡すと「飛んでいるからダメ」飛んでいるからダメ……。
よくよく父から話を聞くと、どうやら、あの世に行くときに寂しくないように、人間の形をした人形を一緒に連れて行かせてあげたいとのこと。まあ、わかった。私と妹はまた同じ道を歩き、リカちゃんを買いに行った。

リカちゃんを取り出し、まだ20歳と18歳の若い私たちは、魔が差した。リカちゃんを私たち姉妹にしかわからないように、シェーをさせた。そう、おそ松くんのイヤミのシェー。ふんわりシェーをしたリカちゃんを父に渡すと、そっとおじいの顔の下、首元に置いた。97歳の、まあまあおじいな顔の横にふんわりシェーをしたリカちゃん。かなりシュールである。通夜の最中、お坊さんのお経に合わせて、小さい甥っ子が勢いよく「チーン!」と叫んで親戚一同の失笑を買い、最後のお別れの時はおじいとリカちゃんが、また私たち姉妹の笑いを誘った。

スティックパンを食べながら、おじいとリカちゃんを思い出し、ふと私が急に何かあっておじいの元に行かないといけなくなった時、私はお顔のそばにリカちゃんではなく、スティックパンサツマイモ味をそばに置いてほしい、と娘に頼んだ。私は大好きなものをあの世に持っていきたい。娘にも、なぜ急にそう思ったのか、おじいと私の思い出の話、リカちゃんの話を聞かせた。娘はニコニコと話を聞き、時には腹を抱えて笑った。

人の死の話を不謹慎に思う人もいるかもしれないが、娘が仏壇の写真でしかあったことのないおじいが、リカちゃんとともに旅立ったことを、その話をきっかけに、私とおじいの思い出を話すきかっけができたこと。娘が仏壇の前で手を合わせる毎に思い出してくれる。だからいいのだ。

おじいは、ひ孫にあったことが無いけど、ひ孫の中でちゃんとおじいは生き続けていく。
きっとおじいは許してくれると思う。
《おわり》

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