「私は中途半端で。。」と思うことの本質。

最近、私って中途半端だよなぁ。と思うことが2回ほどあった。


私は、昔っから飽きっぽい。小学生のころ、フェルト生地でマスコットを作ることが好き、というか興味があって、本を読みながらチクチクすれど、完成したためしはない。

飽きちゃうのだ。

いや、今思えば「飽きちゃった」のではなく「完成する(であろう)ものが、完璧ではないから、嫌になった」の方が正しいかもしれない。と書きながらふと、思った。


その、ここ数ヶ月で「2回」私って中途半端だ、と思ったことは。やっぱり、飽きっぽいのか「続かなかった」ことが2つある。

いろんないいわけをつけて「飽きちゃった」んだと思っていたけど実は違う。思い描いた活動ができない・成果がでないから、諦めたんだ。

そんな「飽きっぽい」「続かない」自分を「中途半端だ」と責めてみる。

でも何と比べて「中途半端」なんだろう?
過去の自分?いやいや、昔っから続いていないから比較対象にはならない。

ということは、「周りの目を気にしている」っていうことだ。

過去の自分と比べればいつもの私のパターンだから、
あ、またでたね、パターン。

と思えばいい。そこで、まいいや、と思うか
いやいや、そろそろこのパターンはやばいんじゃないの、と思うかで
次の行動の仕方が変わってくる。

「私は中途半端で...」だとネガティブな自分に「ダメな人」の烙印をあえて自分で押している、自作自演だよね。

要するに「そんなことないよー」と慰めてほしいだけなんだ。かまってちゃんなんだ、ということに行き着いた。

中途半端上等!でいいじゃん。
過去の自分と比べてどう進むか、考えればいい。

人の目を気にしていたら、何も変わらないね。

やっぱり書くことはデトックスだね。


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