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アメリカ南部郵便屋 これまで これから 6〜10

20数年のアメリカ南部での郵便配達生活とこれから始まる大学院の生活
53歳で人生の転機を迎えているおばさんの記


6) 内金5倍って…


Facebookの情報 今も気になって見てしまう


私が大学に入学した三十数年前、日本はまだ好景気だった。私が1年生の時の4年の先輩は就活の際に会社から接待されてたのを憶えてる。大学卒という肩書きがあればいくらでも就職先があった時代だ。で、在学中にバブルが弾けた。そうなるとアルバイトを見つけるのでさへ難しくなった。電話帳の厚さほどあったアルバイト情報誌は薄っぺらになり、掲載情報も更新されず古くて使えない情報ばかり。(あ、電話帳って分かります?当時はまだ街に公衆電話って物があって、テレフォンカードというものを使って… はい、携帯はなかったんです。で、ブースの中には軽く3〜6センチぐらいの厚さの電話帳って物があったんです。)

まあそんな感じで以前は電話一本で採用が決まってたアルバイトも面接されて不採用なんてことも。そして当時4年の夏が山場と言われた就活は氷河期という表現が定着していた。その4年の夏に気まぐれというか、正気ではなかったというか、突然アメリカ短期留学に参加する事を決めてしまった。その後もちろん就職が決まるわけもなく、卒業した年の11月には結婚していた。へ?どういうこと?という感じだが、今回はここらの詳細は省く。じゃあ何が言いたいのか?というと、夏からのアパート生活、一人暮らしというのは実は人生初という事。だからアパート探しは日本でも経験がなく、敷金や礼金なんて言葉は知ってるけど、その相場やシステムはよく知らず、だからもちろんアメリカのアパート契約なんかど素人だったのだ。

前に書いた通りアパート探しの段階で情報沼にハマり、最後は思考停止で教授のお勧めに決めてしまった。その時点でネットで分かってたのは8月中旬から入れる部屋がひとつはあるってことぐらい。まずはと携帯メールで「そのアパートの空き待ちリストありますか?」と送ったが、それはトンチンカンな質問だった様だ。学期が始まるまではまだ4ヶ月程あるし、リストに名前を登録してその後は実際に内覧したりゆっくりすればいいかと私は思っていた。でも管理会社からは、部屋を確保したいなら内金入れて契約してね!だそうで、オフィシャルのリンクがおくられてきた。なるほど。

ということは契約しなければ部屋がいつ誰に取られてしまうのかわからない訳だ。レビューやその街に住む友達の情報によると、周辺にはバーやフラタニティが沢山あってうるさいらしいし、本当は一度しっかり現地を訪ねてから契約したかった。でも焦燥感で心落ち着かず、また面接の際に学部の建物の周囲を何気なく散歩してエリアの様子はゆるく掴んでたこともあって、もう契約してしまえと腹を括った。

オフィシャルサイトに行って名前、住所、連絡先の基本情報の他、職業に関する細かい内容を書き込むことは予想範囲内。ただ20年以上公務員の仕事を続けていたから、経済的な信用において疑われることはないと思っていた。が、大はずれ。通常の場合だと内金300ドルで契約なのに、私の場合は1500ドルじゃないとダメだという。理由を聞くと所有しているクレジットカードが少ないからだとか。確かに数は多くない、必要ないからだ。そして今まで一度も支払いが遅れたことはない。クレジットスコアも800点台で優良なのに。

内金が1500ドルの場合その一部が後で家賃の支払いに充てられたりするのか聞いてみると、300ドルでも1500ドルでも内金は家を出る際の部屋の状態によって返金の額が決まるだけだという。そして旦那を一緒に契約者として登録すれば内金は300ドルでよいという提案をしてきた。私ひとりじゃ信用おけないってことなんだろう。長年働いてる実績があっても女子供は〜みたいな空気が漂う。旦那もそう感じたらしく私以上に怒ってたが、結局提案に乗ることにした。私の頭の中ではレビューにあった「ぼったくり」の文字浮かんでたからだ。何か難癖つけて内金を全額吸い取られるとして、300ドルならまだしも、その5倍が消えるのは耐えられない。

どうにか内金の支払いを終えると、送られてきたのは細かくルールの書かれた書類の山。もちろん契約したいなら署名しろよってことだ。すぐ裁判沙汰になるこの国では何処で何をしても署名を求められる。「小さい字もキッチリ読みましょう」なんてよく聞くアドバイスだけど、アプリなんかダウンロードする時に利用規約をサラッとしか読まないで同意をポチるのは自分だけではないと思う。
でも今回は初めてのアパート契約だし、比較的時間の余裕もあったから1文字目から全て読んでみた。これがもの凄い。何か起きても全ては借りてる側の責任で、アパート側に義務は何もありませんよのオンパレード。読み終わる頃には気がドドーんと落ち込んでしまった。でもしましたよ、署名。

最後に賃貸保険、自分の被害の補償ではなくアパートに損失を与えた時の補償、つまり借家人賠償責任保険が強制だとかでひと月分11ドルを支払って契約終了。
簡単だとは思ってなかったけど、ここまで苦だとも予想してなかった。これじゃあ海外からの留学生なんかはもっと大変なんだろうな。
しかし何をするにしても事前準備の手間が雑多過ぎると、やる気をゴッソリ削がれてしまう、私は。実は大学院とのやり取りでもそんな事があって、進学を辞めようかと思った事もあった。が、その話はまた別に。
離職から大学院の大きなシフトはまだ暫く色々と手間があるのは確実。なるべく期待で心が明るくなりそうな事に目を向けてモチベーションを上げていけたらな。


7)ホームシックじゃあ、 ない?


乗り継ぎ便が遅れてる事を知らず(知らされず)必死に走ったコンコース


6月中旬から7月始めまでほぼ4週間の日本滞在を終え、時差ボケから抜けそうで抜けられない日を送っている今、スッキリしないというか気が滅入ってる。もう帰ってから10日程過ぎた。今回は仕事を辞めてからの旅行だったから特に急いで日常生活に戻る必要もなく、ならば思いっきりダラダラすれば良いのだろうにそれも出来ず、気ばかりが焦り落ち着かない。今までルーティンとして確立してた仕事生活が無くなり、これから始まる大学院の生活の形もハッキリ見えてこないから不安に感じているんだろう。

今までは体を動かす事が収入に直結していた。郵便配達はモロ肉体労働で、毎年この時期は手紙を郵便箱に入れるため車から出してる右腕だけが真っ黒になったり、額から流れる汗が目に入らない様にするにはどうしたものか頭を悩ませたりしていた。
で、今は?教授から聞いた課題図書やらを読んでいるだけ。だから基本ソファーに座って1日が終わる。2週間ごとにあった郵便局からのお給料はもちろん止まってしまっている。のんびり読書でいいのだろうか?体を動かしてないのは怠惰であると感じずにいられない、読みながら寝落ちしてしまった時は特に。

まあそんなこんなで今の落ち込みはホームシックとは違うなと、自分の過去の体験と比べて感じている。人生で初めてホームシックを経験した時の落ち込みぶりはかなり重症で、ひと月以上どんより気分から抜け切れなかった。自分がそんな状況に陥る事を全く予期して無かったのもあって、不意を突かれた感じだったのを思い出す。
それ以降帰国の際は自分が落ち込んでしまう余地があるのを自覚する様にした。忙しさで紛らわそうと仕事に即戻る様に予定を組んで予防線を張ったり、ある程度の気の塞ぎはあって然るべきという態度で臨んだりした。だから大抵は想定範囲内の気持ちの揺れ加減で乗り越えられて来たけど、それも小さなホームシックではあったのだろう。
少し話を戻して初めてのホームシックの経緯について書いてみる。

大学4年の夏に初めてアメリカに来てから、日本で結婚しアメリカに移住するまでに数年かかったのだが、その間も何度か日米を行き来した。その頃の私は親元を離れて生活するにはどうしたらいいのかで頭がいっぱいで、必死に自分の居られる場所を探していた。両親からは大学卒業後は面倒見ないと子供の頃からキッパリ言われてたし、就活時に留学して就職先が決まってなかった私には安定した生活を確立するのが最重要だったのだ。変な話ホームシックになる余裕なんてなかったのかも知れない。

その後アメリカでの生活も落ち着き、子供が産まれ仕事を始め、気が付けば日本に帰国する事なく8年が過ぎるのだが、その生活の中で日本が恋しくなったことは一度もない。食べ物が合わずに留学して直ぐにホームシックになってしまう日本人留学生も見てきたが、食べるが喜びである私は好き嫌いもなく、油っこいアメリカの食べ物にしっかり馴染んでいた。文化の違いって他にも沢山あるけど、まずは食。ここが大丈夫ならどうにかなるって気がする。

高校時代の友人の結婚式に呼ばれたのがキッカケで日本への帰国を決断。子供達、当時6歳と2歳を親にそろそろ見せなきゃと言うのもあった。この頃は子育て優先でパートだったから仕事も比較的休みが取りやすく3週間ほど滞在した様に記憶する。
帰国して目の当たりにしたのは日本のサービスの素晴らしさ。気の配りのある丁寧な対応はどこの店に行っても当たり前。日本の接客はいちいち細かくて面倒だというアメリカ在住日本人もいるけど、精算を済ませた後に立ち去る客の背を見ながら頭を下げる店員さんに私は背筋がゾクっとする程感動した。そして豊富で美味しい食べ物。高い店からお手軽な店、どこに入ってもハズレがほぼ無い。しかもチップを払わなくていいのだ。それにコンビニ!100円ちょっとで手に入るパリパリ海苔のおにぎり。そして香ばしいパンがズラリと並ぶベーカリー。
日本に住んでれば当たり前のそんな景色から遠く離れてた私は、この幸福な気分を久しぶりに体全体で吸収していた。

帰国の日が来た時、日本を離れる寂しさを感じながらも、泣けてしまう程の悲しさはなかったと思う。暗くて重い感情が突然ドカーンとやって来たのはアメリカの空港に足を一歩踏み入れた時だ。まあ空港の職員やら審査官やらの態度がイチイチ荒いというか、日本のスタンダードから言ってしまえば無礼千万と感じる程。
頭をよぎったのは日本での幸せな時間。そこから切り離され、そしていつそこに戻れるか分からない。その事実がズッシリと心に落ちてしまったのだ。
家に戻っても、手軽で美味しい食べ物どこにでもあった環境が恋しくなるばかり。じゃあ自分で日本っぽい物でも作ろうか?としても食材が揃わない。(20年程前の話です、今ではかなり手に入りやすくなりました。)レストランに行けば、出てきた料理より自分で作った物の方が美味しいんじゃないかと思ったりする。そしてサービスが良かろうと悪かろうとチップを置かなきゃならない。
食で身体が満たされず、心も引きずられる。そんな感じだった。

今やホームシックで鬱気味になる事は無くなったけど、アメリカの空港で瞬時に直面するのあの手荒さには慣れることはない。長いフライトを終えてひと息つくまもなく「ああ、戻ってきたな」と実感させられるのは毎回のことだ。もちろん今回もいつも通り、いや今まで以上に酷い扱いを受けましたとさ。


8)準備万端だと言いたい


3週間前はまだ日本 3週間後は引越し 慌ただしい


さて、7月も後半。いよいよ来月からは学校も始まるし、それに向けて色々と動き出さなければならない。のだが、しっかりとした情報が入ってこないから困っている。
いい加減だな〜と感じてしまう事はこっちの生活ではよくあるし慣れてはいるのだけど、日本のキッチリしっかり(に感じる)環境から戻ったばかりだとこっちのダメダメさが際立ってしまうというか…
まあでも日本はお気楽な短期の滞在だったからな。しっかり生活する様になると、オイオイ頼むよ的な体験をするのだろうか?どうだろう。

本題の前に、今月帰国してからの「ああ、これだよね」と適当さに溢れる日常に戻ったことを実感させられた出来事を幾つか。

郵便局で海外向けの小包を送ろうとしたらサイズが小さすぎてダメと言われた。
(そんなことはない!と違う郵便局に持って行ったら問題なく送れた。)
薬局に処方箋の薬を受け取りに行ったら訳の分からない諸々の理由で数回追い返された。
(医師に確認したところ言われた理由はどれも事実ではないことが判明。)
保険会社に電話で情報を求めたら、たらい回しにされた挙句結局何も分からなかった。
(電話の前に自分で調べようとオフィシャルサイトに何度もログインを試したが只今接続不可の表示がでるのみ。)

いずれの件もそれぞれの基本業務なのにそれすら出来てない訳で、ああ溜め息。

では話を戻して、来月への準備。
まず8月12日に入居予定のアパート。4月に契約して以来連絡が一切なし。流石に7月中旬を過ぎてからはもう待てないと自分の方からメールで連絡してみると、次の日に部屋番号入りの新住所やら入居手続きの書類が送られてきた。
いや〜、これって、私が連絡したのがちょうどこのタイミングだっただけなのか?
それとも私が連絡するまでスッカリ忘れ去られてたのか?
後者であろうと感じずにはいられない。

そして学校。オリエンテーションやら教員研修の予定が書かれたものがメールで送られてきた。リンクが幾つか貼られていて登録してねとある。
でリンク先に行くと一般公開された(登録不要)ビデオオリエンテーションだったり、研修も数種類ある中のどれに登録が必要なのか不明。問い合わせてみると一応それなり?の答えは返ってくる。だけど自分でさらにリサーチしないと確証できるレベルに達することはできない。
しかも学部から出席しろと通知を受けたイベントの日程が幾つか被ってるに私が気づく。こっちから知らせなかったら当日にあら!ってなるんだろうな。
さらに駐車許可証は履修科目登録後じゃないと貰えないのに、学部内研修はそれ以前に予定されてる。ちゃんと駐車できる場所があるのだろうか?
こっちが先読みして聞かないとスルーされてしまう様な事が次から次。
学校は毎年同じような事を繰り返しているのに詰めが甘すぎないだろうか。

ついでに6)内金5倍って…の終わりで軽く触れていた進学を辞めようかと思った院とのやり取りも書いておく。
州立の大学では授業料が州民と州外生で大きく違う。(私の住んでいるエリアでは州外生は州民の倍ぐらいの授業料。どの州でもほぼ同じではないかと思われる。)
今回私は大学のある州の隣の州から出願して授業料免除待遇で受け入れられたのだが、1年目は州民扱いでの授業料免除が適用されるものの2年目からは州民になる手続きを自分で済ませるようにと書いてある書類に署名しなければならなかった。

大学のある州は州の所得税がないからか州民になるための規定がかなり厳しい。州内に住所を持ち、暫く定住する意思を証明できなければならない。
1週間ほど大学や州のサイトを調べまくったが「高等教育を受けるための州移住では規定に準じない」の文言に何度も出くわすだけで、私が州民になるのはほぼ不可能のように見えた。
今まで私と同じ状況の州外からの学生はいなかったのだろうか?そんな筈は無いだろ!と院に尋ねてみると「2年目も州民じゃなくて大丈夫。書類のその部分はアップデートしてないだけだから。」といとも簡単にペロッと返事が来た。
安堵したのはもちろんだけど、もう進学は諦てしまおうとも考えてた私の1週間はいったい何だったんだと憤りも感じたわけで。

アパート入居まであと3週間を切った。引越しの2日後には学部内研修が始まる。
相手から必要な情報が流れてくるのは期待できない、ここでは。
準備万端を目指すなら待ってるだけではダメだ、ここでは。
だから自分から踏み込んで準備してきた。
しかし中途半端な情報がユルリと来た時にふんわり動き始めて「え〜、だって知らなかったし〜」でどうにかしてしまう人いるんだよな。割と普通かも、ここでは。
私も日本人的な?几帳面さを捨てれば楽になるのかな〜?ま、無理だけど。

ひとつ引っ越しに関しては、週末は家に帰る生活だから一度に全部運ばなくていいし、何か忘れてもすぐ取りに帰れるし、少しずつゆっくりやればいいやという安心感はある。
遠くの大学を諦めてこの大学にして良かったなと妙な納得をしてしまった、ははは。

9) ついに明日


意外と余裕あり もう少し持っていくかな?


8月に入ってからは気がソワソワ。
7日には学校に行って各種手続き。この時点でもやはり何かハッキリしない。翌日には相手のミスまで判明するし、もうここまで来るとどうにでもなれって感じ。

ついに引越しの前日となり、今日は机やらの解体作業開始。やはり体を使って物を運んだりすると何かしてるんだよ!という気になって妙に心が落ち着く。肉体労働者の生活が長かったからかな〜としみじみ。

新しく生活を始めるには何が必要なのか?ここ数週間思いついてはメモに書き留めてきた。
今の家も住んでもうすぐ四半世紀。そう長くなると使えるのに放ってある物がけっこうある。だから新しく買う物は少なくすみそうではある。

アメリカに留学でもすっか!という人に参考になるかは疑問だが、後で自分で振り返ったら面白いかもしれないし、今回持っていく物メモをここに残しておく。

「家具類」
キャンプコット(ベッド代わり)   洋服ラック コンピュータデスクと椅子 
バーストゥール(高椅子)   ラグ
「家電」
除湿機 電子レンジ コーヒーメーカー 炊飯器 電気ケトル 
ワッフルメーカー ラジオ アレクサ ヘアドライヤー
「生活用品」
ブランケット シーツ 枕 シャワーカーテン バスマット 雑巾
トイレットペーパー 電池 
箒と塵取り 洗剤 服 靴 タオル ハエ叩き 傘 ハサミ
「キッチン用品」
皿 箸 コップ 洗剤 スポンジ ペーパータオル ゴミ袋 鍋 包丁 ヘラ ラップ コーヒー 製氷皿 麦茶 お茶 タッパー ゴミ箱
「雑貨」
カレンダー マグネット コンピュータ関連グッツ 教科書 本 辞書 
筆記用具
「家とアパート 行き来する物」
洗面用品 お風呂用品 ラップトップ他電子機器 掃除機
「その他」
家に余ってる食料品 それを運ぶクーラーバッグ

まあ、こんな感じ。
今のところ新しく購入したのは食器洗剤、掃除洗剤、電池、マヨネーズ、ケチャップぐらい。

前にも書いた通り、週末は家に戻るから忘れ物もそれほど気にならない。お隣の州とはいえスーパーなんかは同じ系列だから買い出し先も見当がついている。なんて気が楽なんだろう。

車に荷物を詰め込むのは郵便配達で鍛えあげた腕がある。(それぐらいしか身につけたスキルと言える物が無いのも哀しいけど、ははは)
上に書いた物全てをホンダのCRVに入れてもまだスペースに余裕あり。今のところ順調。
このまま明日も無事終える事ができます様に。

10) 一人暮らし初日


監獄みたい by 旦那


日本から戻って暇を持て余してた時、よせば良いのに引越し先のレビューを再検索してしまった。するとその時点で数日前という新しい物が出てきて、おおおお〜いいタイミング!と読んでみると、まあ、。最悪。
数枚の写真付きでゴキちゃんの卵、油まみれのレンジフード、禁煙アパートなのにタバコの焼け跡、等々。結局この人は契約を破棄して出て行ったそうだ。

今日は入居当日。一体どうなのるのか?
私には契約破棄の選択肢はない。ゴキがいようと油汚れだろうと、一日中かかっても自分で掃除しようという気でいた。
それに今日は旦那も忙しいのを知っていて、1人で大丈夫だと自己宣言している。いや本当に1人で出来るんだけど、助けがない分もちろん時間がかかる。だって私の部屋は希望していた最上階の3階。なん往復になるんだろ。
長い一日になるんだろうな。

管理事務所に指定された時間に行くと、拍子抜けするほど手続きがすんなり。まあ、私の必要書類などの前準備は完璧だったのもある。
そしてついに鍵をゲットして部屋に向かう。このドアの先にはどんな空間が待っているのだろうか?
おおお、見える所は掃除されてる。ああ良かった。
じゃあレンジフードは?内側を覗くと、あああ、油汚れ。
いや、でもこれぐらいは許容範囲だ。
部屋の隅々も観察。冷蔵庫と壁の小さな隙間とか、多分使わないであろう高くて届きにくい棚とか、窓のサッシとか、明らかに掃除してない、のか、し忘れ。椅子に登らないと見えないキャビネットの上には誰かの処方箋薬の残りが転がってた。
それでも恐れていた状況に比べれば全然いい。この程度の汚れだから1時間で掃除出来てしまった。なんだよ、いいじゃんここ。

日本の友達からもらって持ち込んだフリーズドライのなめこ汁を啜ってひと休み。これがまたいい。なめこの戻りぐあい、最高でしょ。
お湯沸かしたついでに、ずいぶん昔に日本人留学生が帰り際にくれたペヤングソース焼きそばも食べることに。あ、やはり賞味期限切れ、でも食べちゃう。
これって引越そばになるのかな?

いつも通りの暑い日だったから滝の様な汗をかいたけど、夕方にはひと通り終わらせる事ができた。なんかこの体の疲れ具合は郵便配達の日々を思い出す。
持ってきた物は全て配置が終わり、部屋は住み慣れた感まで出てる。毎日使ってた物ばかりだからだろうか。

買い足さなきゃとメモった物も多少あったけど、自分で持ってきた物で暫くの生活はほぼ完璧。夜はこれまた持ち込んだサッポロ一番とんこつ味に卵を落として夕食。悪くないよ、てか最高だよ。
気を揉んだ引越しだったけど終わってみるとトントン拍子。案ずるより産むが易しって事なのかな。学校の方もこんな感じであって欲しい。

さて、一人暮らしの初日を終わりにするかとベッドルームに向かう。それが上の写真だ。
ひとりの引越しで車一台に載せられる物だけにしたから、暫くはキャンプコットがベット代わり。この写真を旦那に送ったら、監獄の寝床みたいだと。確かに!
元々モーテルだったのをアパートに直した建物で、窓側の壁は明らかにコンクリートブロック。その横にこじんまり小さなコット。しかも地味な灰色のシーツ。

築が私の年齢とほぼ同じのこのアパート。悪くないよ。





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