自己紹介(これまでの経歴とか)

こんにちは!スガワラです。大阪市内で主にホームページ制作をしているフリーランスです。

ここでは、私の自己紹介とこれまでのキャリアをザックリお話します。「スガワラって誰や?」という方も「ツイッターは繋がっているけど絡みはないよね」って方も「もっと知りたい」って方もぜひご覧ください!

プロフィール

  • 名前:菅原優斗(すがわらゆうと)

  • 年齢:28(2022年時点)

  • 職業:フリーランス

  • 趣味:キャンプ、ゴルフ、スノーボード、たまにゲーム

  • 血液型:B

大阪市内のあべのハルカスが見える位置に居住、今はホームページ制作をメインに活動しているフリーランスです。ちなみに既婚です。まだ子供はいません。(2022年時点)

顔の調子がよいときは「三浦春馬に似ている」と言われていました。地元では“大阪の三浦春馬”だと勝手に思っていたのですが、お亡くなりになってしまったのとファンの方から本気で反感をかいそうなのでやめました。

現在私に似ている、できたらイケメンでイメージがよい芸能人を募集中です。

これまでのキャリア・経歴

学生時代

プロフィールの通り、趣味は今でこそ一般受けするものが並びましたが、学生時代はゲームにアニメ・TCGとまぁひどかったです。俗にいうオタクってやつです。でもなぜか運動はそこそこできました。

私が今の仕事の“命綱”とも言えるパソコンにはじめて触れたのは小学校2年のとき。何がそんなに面白かったのか思い出せませんが、半日程ぶっ通しでパソコンをさわっていたりとちょっと変な小学生でした。


中学にあがる頃にはほぼ完璧にブラインドタッチ(両手のキー入力)をマスター。同時にオンラインゲームを知ってしまい、親にガチギレされました。「パソコンし過ぎ!勉強しろ!」という具合に、ですね。

幸い親のクレカで課金するような子ではなかったのですが、ポイントサイトで稼いだポイントを電子マネーにかえて数万円オンラインゲームに課金したりと、やはり変な中学生でした。

親はもっと勉強に時間を使って欲しかったのかパソコンのパスワードを変えたり、時間制限を設けたりしていましたね。

しかし、パスワードはソーシャルエンジニアリング(盗み見や録画)したり、海外の怪しいプログラムをCD-ROMに焼いてブート起動&ハックしたりと、ありとあらゆる手段で突破してしまい意味はなしませんでした。(時間制限を設けられても親が寝静まったころにこっそり起きてさわっていました)

大学に入学しても相変わらずそんな感じだったので、就活で「学生時代に打ち込んだものは何ですか?」と言われても「キーボードです」しかなく、就活は難航しました。

新卒入社したSE時代

そんな自分でも雇ってくれる企業はあるものです。某電力会社グループのSE(システムエンジニア)として、とある企業に就職しました。

SEと聞くと「なんかカッコイイ」と思う方もおおいかもしれません。私も実際、研修後はさぞ高度でカッコイイことをするのだろうな〜と目を輝かせておりました。


しかし研修期間が終わり、部署に配属されるとモチベーションダウンのスパイラルに陥ります。周ってくる仕事は雑務・テスター(プログラムのエラーやバグがないかチェックする作業)と苦痛なものばかり。

「次こそはちゃんとした仕事を任せてもらえる!」と勝手に思い、モチベーションを保っていましたがそれも続かず。自分が思い描いていた社会人像とのギャップに苦しめられ、あっという間に社会人2年目となりました。

そして社会人2年目にしてなぜか親会社へ逆出向を命じられ、しかも出向期間は2年とまさかのキャリアを進む大阪の三浦春馬。

周りからは「出世コースやん!」と言われましたが、当時の自分は1ミリも出世に興味がなく、思っていたキャリアを積めないことに不満でいっぱいでした。

このときかなり自暴自棄になっており、昼休み中に一度会社から失踪したのをよく覚えています。(良い子はマネしてはいけません)

誰もが知る大手企業へ逆出向!

そんなこんなで誰もが知っているであろう大企業になぜか勤めることになりました。

ここでの経験は今も活きていますし、刺激的ではありました。当時、私は技術営業として携わり「こんな設備入れたらどうですかー?」とか「こんなことしたら良いですよー」等、コンサル的なことをしていました。

一つ提案が通れば億単位で会社の売り上げに貢献できたり、自分より仕事が10倍ぐらいできるものすごい方たちと関われたりと、それはそれで面白かったですし非常に良い経験ができました。もちろんつらいこともありました、が!


で、出向とちょうど同時期に当時めちゃくちゃブームだったブログを始めました。思っていたようにエンジニアの仕事ができず、そのうっぷんをはらすような気持ちで毎日趣味の感覚で書いていましたね。

まさかそのブログがきっかけでWEB業界に入るとは思いもしなかったわけですが。

ブログは1年ぐらい続けても鳴かず飛ばずだったのですが、少しずつコツがわかり1日1,000人前後、多い時は3,000人が訪れるまでに成長。

ちゃっかり収益化もしていたので、当時は会社からの給料と同じぐらいにまでなっていました。(今は全然ですが、、)

ブログをやっているうちに「もっと自分で好きなデザインとかカスタマイズできたら楽しいだろうな〜」と考え、WEBを学ぶスクールに通うことに。

当初はスキルアップが目的だったのですが、やり始めるとWEB制作がこれがまぁ面白くて、いつの間にか「仕事でWEB制作がしたい!」となっていました。

転職してWEB制作をする

  • 1年目:雑用とテスター

  • 2〜3年目:出向

  • 4年目:自社で相変わらずテスター、補助

上記の(謎の)キャリアを積み上げたのち、転職。実務としてWEB制作に携わることになりました。しかし、その会社も1年ちょっとで辞めてしまうのですが。


転職先の会社では制作進行からデザイン、コーディング、テスト・公開作業までをほぼ一人でするというワンオペ体制でした。これは会社の方針とかではなく、その部署にそもそも2人しかいなかったのです。

ケースバイケースではありますが、会社でWEB制作をする場合は最低でも2,3人で制作を進めます。それを1人で行うので単純に負荷は2〜3倍。

さらに入社から3ヶ月目にして新卒さんのお世話係に任命され、毎日マクドナルドの昼間のピークを一人で回すような感覚になりました。ちなみに私はマクドナルドで働いたことはありません。

ですが、そんな状況でもなぜか楽しかった記憶があります。多忙な自分に酔っていたのもありますが、社会人になって初めて「仕事らしい仕事ができている」という実感があったからだと思います。

しかし、そんな感覚は新卒さんにはなく、私の努力も虚しくわずか1.5ヶ月で退職に。新卒さんに渡していた仕事(もちろん退職後の引き継ぎは一切なし!)が自分にすべて返ってきてしまい、スーパーのレジを同時に5台打つような忙しさに突入してしまいます。ちなみに私はスーパーでバイトしたことはありますが、レジ担当ではありませんでした。


「多忙な自分かっこえー!」という謎のモチベーションで仕事は楽しかったのですが、1年も経つと正気に戻ってしまいました。「うちの会社、何かおかしくない?」という具合ですね。アホみたいに働いているのに毎月時間外が10hしかついていないのも今更過ぎますが腹がたっていました。

  • 改めてみると色々とやばい(一般にいうブラック企業)

  • 前からあった「一度フリーランスでやっていきたい」という気持ち

  • 会社と副業について揉める

このへんが重なり、円満退職と程遠い形で辞めることになりました。

そしてフリーランスへ

そして2021年の夏、思いがけない形でフリーランスとなりました。こんな経緯なので「会社に縛られるのが嫌で〜」とか「自由な場所で働きたくて〜」とかは一切なかったです。

ちなみに、フリーランスに世間一般でいわれているような"自由”はないのですが、それはまた今度お話しします。

フリーランスになってからより一層ブラック度は増しましたが、ありがたいことにたくさんの素敵な方と出会い、お仕事をもらい、なんとか生きています。

長文になりましたがお読みいただき、ありがとうございました!フリーランス1周年を迎えることができたら、どんな1年だったのかも書いてみたいと思います。お楽しみに!!


このnoteを書いた人

菅原優斗(すがわらゆうと)
主に大阪市内でホームページ制作活動をしているフリーランス。屋号はPENGUIN WORKS(ペンギンワークス)。趣味はキャンプ、ゴルフ、スノーボードなどなど。愛称は「ペンギンさん」

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