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適応力と学習力の反比例に気を付ける

こんにちは!

人間の慣れの能力って凄いですよね。

新しい土地や家、職場に人間関係、国や文化までも、しばらくすると慣れてきます。

ビジネスにおいて、この「慣れる」力に加え、異なる前提・環境を早期に理解しパフォーマンスを上げられる人は、「キャッチアップが早い」とか「適応力が高い」とか言われたりしますよね。

私も割と適応力は高い方だと思っているのですが、最近この適応力だけを意識し過ぎると、反比例して学習力が下がるリスクがあるなーと感じています。

本質的な学習能力というよりは、今風に言うと「アンラーニング力」みたいなイメージかもしれません。

ものすごく簡単に言うなら、慣れるほど学べなくなる。みたいな話です。


先に結論

「熟達するほど、その場では学べなくなる前提で考えよ」


それでは、本文いってみましょう!

適応するとは即ち無意識化すること

学習の4段階って聞いたことありますか?

  1. 無意識的無能(知らないしできない)

  2. 意識的無能(知っていてもできない)

  3. 意識的有能(考えるとできる)

  4. 無意識的有能(考えなくてもできる)

てやつです。

かなり昔からある考え方なので、ググってみると意外と古い記事が多かったのですが…indeedさんのコラムでも、無意識的有能を最終段階とし、こんな感じで書かれています。

4.無意識的有能(考えなくてもできる)

最終段階に到達すると、作業を遂行するための知識を完全に自分のものにし、実践するスキルに熟達しています。

また、集中して考えながら作業する必要がないので、必要な作業を簡単に素早く完了することができ、また、学習モデルの初期の段階にいるチームメンバーに指導することもできます。

indeed キャリアガイド

スキルが熟達し、集中して考えながら作業する必要がない、と。

この感覚が最終形態だよねーというのは、同意見の方が多いのではないでしょうか?私も基本は同じ考えで、熟達していくほど無意識化できると思っています。

変化の多いビジネスの世界、特に足元の環境すら毎日のように変化するスタートアップでは、前提や環境が変わり、上記段階の2〜3(=理解し考えてできるようになる)から始めなければいけない事が常時出てきます。

こういう環境下でキャッチアップが早い、適応力が高い方は、学習の4段階を高速で駆け上がれる人と言っても良い気がします。

突然話が変わりますが、先週息子が1歳の誕生日を迎えました。

生まれて数ヶ月後は自分の手や足に気付き「なんだこれー」という感じで、それが自分の体の一部であり、意のままに動かせるという感覚は全くない様子。寝返りすらまともにできず、徐々に自分の体が自分のものであるという感覚を覚えていっているようでした。

これが1年も経つと、自らコップを掴んで飲み、気になる方へ高速伝い歩き。この辺はまだ意識的にやっていますが、名前を呼ばれたら振り向いたり、嫌な時にしかめっ面で大声を出しながら手ではたく、みたいな行為は無自覚でやっています。(としか思えないほどのスピードなので笑)

こんな感じで、息子の1年の成長を見ていると、学習の4段階は人間の本質的な成長の過程を表しているように思います。今や自分は、「右手と左足を同時に出し、その後に逆のセットで前に出し、、、」等と意識して歩く事の方が難しいです。

無意識化はごく自然な成長の行き着く先であり、そして重要なのは一度無意識化すると、その行為を昔のように意識しながら行う事ができなくなる。という事です。


無意識化 = 発展性の放棄

新たな環境・前提に適応すればするほど、無意識化が進みます。そして一度無意識化すると戻れない、成長というのは不可逆的なものです。

不可逆でイメージしやすい基本的な運動能力(例えば、歩くや自転車に乗る等)ではなく、ビジネス現場に置き換えて考えてみると

  • 何も準備しなくても、定型のアイスブレイクができるようになる

  • 手が勝手にショートカットとテンプレを活用し高速でメールを打つ

  • ルールやルーティンを疑わず、別の事を考えながらまわせる

  • MTGに耳だけ参加しながら内勤をする

  • 試行錯誤の余地がもうないと錯覚する

など、様々な粒度で無意識化ゆえの思考停止 = 発展性の放棄が発生するようになります。

特に、一定の試行錯誤のうえにできた仕組み・ルール・ルーティンなどは、「考え切ったベスト解」と思い込みたいものです。そのため「一度考え抜いたが、今ならまた新たな改善点が見つかるかも」等という発想は浮かびません。すると、無意識化まできた領域は据え置いて、新たな課題探しの旅に出るのです。

一定の仕組みや無意識化状態を作り、新たなPDCAを回しにいく。ということ自体は私も大賛成で、どんどんやるべきだと思っています。

ただ忘れてはいけないのは、どんな領域も上には上がいるし、改善という旅に終わりはないということ。個人でも組織でも、生産性を上げるための適応 = 無意識化ですが、その先の改善・成長を見込むには、再度その中身を意識的に捉え、改善を探しにいく必要があります。

普通の社会人は、歩き方を変えようとか、ご飯の食べ方を改善しよう、なんて思いません。しかし、モデルは常に自分の歩き方・姿勢を意識しより美しくするため思考・改善を続けるでしょう。アスリートは消化と満腹中枢の事を考えて、咀嚼の仕方まで改善しているかもしれません。


仕事でも同じ事が言えて、「まぁ無意識にできちゃうんだけど」という領域に、いかに意識的に改善点や学び・気付きを見付けにいけるか?が重要だと思います。


学べなくなる前提で仕掛けや仕組みを作る

前述の通り、無意識化そのものは人間の根源的な成長過程です。なので「自転車乗れるようになりたいけど、オレは今の乗れない感覚を忘れずに一生自転車をこぐぞー!」みたいな事は、おそらく不可能です。

レベルアップするほど、その環境ではどんどん学べなくなる。という前提で、「学べなく/気付けなくなるから、どうするか?」という発想で、仕掛けや仕組みを作っていくのがベストかな、と思います。

分かりやすいものでは、例えば超具体的な業務フローの見直し会議を設定する。メンバーレイヤーがルールや慣習に基づいて行っている1つ1つの細かい所作に対し、「なぜそのタイミングでその行動なのか?」「他に良い方法はないのか?」をひたすらQAし続ける会議です。

営業個人で言えば、自分の商談録画を全く職種やエイヤーが異なる人に見てもらうのも、意外と良いです。例えば私の妻は看護師なのですが、ウェビナーのトークや結婚式のスピーチの練習を手伝ってもらった事があります。

「難しくて何言ってるか分からないけど、カタカナ多い。」
「抑揚がないし、ひと呼吸が長い」
「もっと簡単にしないと、患者さんだったら寝ちゃうよ」

などなど、「うわ、無意識だからそもそも気付いてもなかったわ」という事を次々に指摘してくれます。

職場内であれば、新入社員やバックオフィスとかが良いかもしれません。自分が見直したい事が、その人にとって「無意識的無能」領域だったりすると、上司や同僚からは得られない本質的なフィードバックが得られるかもしれません。

見直し会議も、領域・レイヤーの異なる人からのフィードバックも、一例です。このように、強制的に無意識を有意識化する仕掛けを沢山作れると良いと思います。


いろいろ書きましたが、一言で言えば「しっかりアンラーニングしていこうぜ!」という話かもしれません笑

ただ、「無意識化は避けられないので、放っといたら反比例でマジで学べない人間になるぞ!」という前提と危機感のもと行動しないと、アンラーニングって難しいよ。というのが、言いたい事でした。

ではまた。

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