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アルコール依存症で入院までの話

こんにちは、スガBです。
ただいまアルコール病棟で入院しています。
なぜこうなったかをお話とアルコールの怖さについて語りたいと思います。

寂しさを和らげるために「酔い」へ逃げた。

1月に台湾から帰国するも、隔離期間もあり空白な時間ができた。
母は実家をゴミ屋敷にして妹の家へ逃げ込むように住む。
その実家に僕が住む。唯一寝れる場所は僕自身の部屋。
洗濯機の上に荷物を置いていて使えない。
炊飯器はカビらせている。
換気扇も使えない。つまり自炊ができない。
そんな環境を見て鬱になった。手に負えない。
一人暮らしするお金なんかもなく、仕方なく住む。

ぼくはお酒が大好きでしかも強いみたい。
あんまり酔えない。
台湾にはなかったチューハイ類は日本のコンビニにズラリ。
早速飲む。12時間飲む。毎日飲む。
一回だけ24時間だらだら飲んだ。さすがにやばいと思った。

やることがない。酒というアルコール薬物へ逃げるという言い訳。

趣味は飛行機や鉄道、ダーツ。
しかし僕が住む地域は緊急事態宣言。ましてや空港なんか余り行けない。
写真撮影や空港内めぐりが好きなのだ。
でもコロナのせいで行けない。
ステイホーム。
何もやることがない。
そんな辛い状況から僕は「酒というアルコール薬物」を飲む。
量が尋常じゃない。寝るまで飲む。
9%のチューハイやハイボールを大体2Lを飲む。
(よく看護師に呆れられた)
おつまみを食べながらだが、当然栄養が偏る。

そしてボロボロになっていく内蔵

そんな生活を2週間していたら胃痛・吐き気が出た。
えずくだけでモノは出ない。本当に苦しい。
その苦しさを逃れるためにまた飲む。
エンドレスループ。
さすがに耐えられなくなったので以前から通院している胃腸科へ行き点滴を打つ。そして回復して飲むの我慢していても「アルコール脳」が命令を出して、それに耐えきれず「飲む」。2月はその繰り返しだった。
血液検査もしたが、ついにASTが基準値を超えてしまったのだ。
このままではいつかは死んでしまうと怖くなり、アルコール專門病院へ行った。

医師より入院治療の必要性ありと宣告

診察でアルコール専門病院の医師から「入院治療の必要性があります。どうしますか?」と問われ、僕はしますと即答した。
そして2週間後、初めての入院をした。
入院前に前日夕方6時から明朝5時まで同じ量を飲んだ。
この時の体は左手小指がしびれと麻痺。
胃痛と十二指腸痛。
ほぼ毎日下痢。
体中の筋肉がピリピリ動く。

そう、体がボロボロになっていたのだ。

人生最後の酒になるか、そうならないかは自分自身の意思。
一日断酒、やっていこう。

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