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おいおい、そんなの、じぶんが可哀想じゃん。

ぼくは、かわいそうなくらい、考えている。

佐々木俊尚さんとのトークイベントで、糸井重里さんがポロリとこぼしたことばである。( そんなトークイベントのぷちレポ記事はこちら ) いまでもそのときの声が、妙にリアルな感じで耳に残っている。

ぼくは、かわいそうなくらい、プライベートな時間を取ることが許せない。

これは今宵、ぼくが心のなかでこぼした言葉である。

その数時間前、ぼくは行きつけのとんかつ屋さんにいた。夕食を共にする友人を待つためである。何気なく奥さんにそのことをメッセージした。「え、聞いてない」、奥さんからすかさず返事が返ってくる。「ゴメンね、伝え忘れてた」、卓球のラリーのように即座に返す。奥さんから「かなしい」の文字。

友人たちがお店に到着する。そのメッセージのやり取りは、いったん終わりを迎える。「なぜ伝えなかったのか、考えるね」のひと言と共に。

とんかつを味わい、会話を楽しみ、車で送ってもらう道すがら、その答えらしきものが見つかった。

ぼくはいつも、仕事の会食の予定は奥さんに伝える。しかし、よく考えてみると、今回に限らず、プライベートな会食の予定などはあまり伝えていないことに気がついた。ちなみに、別の女性とよく会っているから、ではない。

じぶんだけのために時間を取ることが許せないのだ。じぶんだけが楽しんじゃいけない、自由に時間を過ごしてはいけない。そんな思い込み、みたいなものが脳内に薄皮のように張り付いていることに気がついた。その瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。

おいおい、そんなの、じぶんが可哀想じゃん。

そういえば今年の3月11日。ぼくは気仙沼へと旅をした。

ぼくにとってこれは、仕事でもない。奥さんと一緒に楽しむための旅行というわけでもない。ただひとり、じぶんだけのために時間をたっぷり使う、贅沢な旅だった。この日のことをよくよく思い出してみると、いそいそそわそわ、が薄膜のように張り付いていた気がする。その正体がじつは、「じぶんだけのために時間を取ることが許せない」だったんじゃないか、と思い当たった。

と、車が自宅前に到着して友人と別れる。部屋に待っていた奥さんにシェア。可哀想なじぶんの気持ちを代弁して、きっと熱っぽくなっていただろう。目も潤んでいたかもしれない。可哀想なじぶんに手を差し伸べてあげられるのは、そう、ぼくしかいないのだ。たぶん。

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