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眠れない夜には。

34歳になってはじめての夜。どうしてもかなかなか寝付けない。深夜零時を過ぎても、一時を過ぎてもいっこうに眠くならない。真夜中にひとり。怖いほど静まりかえったリビングの床に座ってチェーホフの短編を読みつづける。惰性的に読み耽るといったほうが正確だろう。一つまたひとつと小さな物語が抽斗のなかに収められてゆく。

そして、ついには、深夜二時を回った。やっと本気で寝ようと心に決めて、部屋の明かりを消した。ベットに横たわり目を瞑る。なのにである。いままたこうしてスマホを取り出し、この文章を打ちはじめた。嗚呼…なんという愚行にでるのだ、我が指よ。

そうして、どうしてiPhoneを立ち上げたのか思い出した。夢の世界に行って朝から目が覚めても、このことを忘れないようにしておくためだった。誕生日でした、という昨日の投稿にこんなコメントをいただいた。

末吉さんのnoteを毎日目にしていると,晴れの日も雨の日もテンションあげあげの日もどよんと落ち込む日も,1日1日がちゃんとあるんだなあと感じます。

ちゃんと一日がある。うん、それそれ、確かにぼくが( 無意識のうちに )意識してることだ。じぶんよりも、読者のみなさんのほうが、ぼくのことについてよくよく理解してくれているのかもしれない。そう思うと、体がじわっと温かくなるのがわかった。

なんてこともないコトばかりを毎日のように書いている。人間生きていれば、元気なときもあれば、落ち込んでいるときもある。上り坂もあれば下り坂もある。そんな毎日に脚色を( できるだけ )加えずに書き記している。だから、これらの文章には、ぼくという一人の人間の重みみたいなものが乗っかっているのかもしれない。それほど重くはない茶色の分銅いっこ分くらいかもしれないけれど。

さてと、今日はどんな一日になるだろう。分銅をまたいっこ、のせよう。

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