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読者は作家の良心。

体調を崩していた週末が明けた、月曜日の昼前。頭のなかには濃霧のようなもやが立ち込めている。ズキッと響く頭痛と立ちくらみ。ゾンビになった気分で、朝の一通りの作業を済ませた。ようやくスマホを手に取り、仕事の連絡が溜まっているのを処理したあと、メールボックスを開いた。note読者さんからのサポートとメッセージが届いているようだ。

文章を読み終えると、こみ上げてくる感情を抑えることができず、目尻には涙がにじんでいた。そこには、こんなことが書かれていた。

末吉さんの活動が多岐に渡り追いかけきれなくなりました。そしてしばらくの間、何か伝えたいことがある感じはするのですが、うまくことばになりませんでした。わたしにはセミナーや編集などについてはよくわかりません。
だけど、わたしが末吉さんに惹かれたのは、末吉さんの文章や世界に対する視点です。わたしには願望があって、末吉さんの書いた小説やエッセイを読んでみたい願望があります。できることなら、紙の本で。ゆっくりとページをめくり、装丁や挿絵なども味わいつつ。

怖くてたまらなくて。

先回りしてあきらめている。

鍵をかけてしまっているところに、真っ直ぐにことばが届いた。

なんかもっとカッコよくさ、黙々と小説を書き、賞を受賞して鮮烈デビューという感じにあこがれる自分がいて。こんなふうにその過程をさらすなんて、なんかカッコ悪い気がして。今回も書こうかどうか迷った。結局、ここまで書いてきて、うまい形にまとめることはできなさそうである。

そんなときに、追い打ち(応援)かのように横尾忠則さんのこのことば。

ぼくにとっては本職ではない。だけれども、大切だと思っていることを物語にまとめるということは苦痛だ。怖い。できることなら、知らないふりをして、なかったことにしてしまいたい。

とここで、「よし、やります」と決意表明できれば後味がいいのかもしれない。だけれども、まだビビっている。ほんとうに心を決めるには至っていない。でも心を決める地点に向けて、また一歩だけは確かに、にじりよったような、そんな感覚が残っている。

読者は作家の良心。

良心ということばが適切かどうかはわからない。だけれど、読者の人は、作家(あえて便宜上)のことがよくわかっていたりするものなのかもしれないなぁと。あ、それって本心ということばが適切なのかも。

いやぁ、やりたいと思っていることを心に決めて、足を踏み出すのには勇気がいるものだなぁ、ほんとに。ふぅ。

今回メッセージをくださった方はもちろん、いつも、時々、それぞれのペースで読んでくださっている読者のみなさん、ほんとうにありがとうございます。

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そう言われるとこのつぶやきは、自分自身に向けたものだったのかもと思います。


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