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効率じゃなく、できる限り手間をかける。

 退院してはじめて、娘をお風呂に入れた。

 新米パパは娘をお風呂に入れるのもひと苦労だ。てんやわんやの騒動を終えて、豆から挽いて珈琲を淹れる。しばらくぼおっと珈琲をすする。隣で娘は満足そうな表情でしゃっくりをしている。ヒック、ヒック。もうなにをしてても可愛い。おならでさえ、可愛いんだから。

 赤ちゃんをお風呂に入れたりからだを洗うことを、沐浴( もくよく )という。意味を調べてみると、からだを水で洗い潔めること、とある。なんて神聖な字面であろうか。娘をお風呂に入れるまえに気持ちが引きしまった。

 まずは新品のベビーバスを袋から取りだす。洗面所でお湯を入れて流す。もう一度お湯を入れて、今度は手のひらでキュッキュッとこすって洗い流す。再度お湯を注いで今度は赤ちゃんようの石鹸をつけて全体をくまなく磨いて水を流す。最後にもう一度お湯を注いで石鹸が残らないように洗い流した。

 さて次に、お風呂に入れる備長炭を洗う。水道水の塩素を軽減してくれるということで、その直前に炭を買いに走ったのだ。お湯を流しっぱなしにしてゴシゴシとつよめに手で洗う。しばらくお湯につけて水をじゅうぶんに含ませる。そこでこすってみると、炭のカスみたいなものが浮いてきた。これはいけないと思い、義理の母から金たわしを入手してガシガシと磨く。カスが出なくなったら準備OK。

 綺麗になったベビーバスに半分くらいお湯をはる。娘が寒くないようにまずは部屋をあたためる。そして、お湯に温度計をさして38〜40度になるように調整。昔懐かし水銀式の棒型温度計をお湯につっこんで。真っ赤な液体がぐぐぐぐぐと伸びるも35度。急遽やかんでお湯を沸かして熱湯を足す。が、温度計が壊れていることが発覚し、結局は妻の肌で適温を探った。なんやかんや肌感覚も大事ですね。

 娘の洋服を脱がせて、お腹にガーゼをかけて、いざ着水。それまで泣いていた娘もピタリと泣きやんだ。彼女のちいさな全身から力が抜けていくのがわかる。あたたかいお風呂が気持ちいいのは、赤ちゃんの頃から僕ら大人になっても同じなんですね。お顔を拭いて、髪を洗って、首から足の指までだんだんと下に向かって洗ってゆく。やさしくマッサージをするように柔らかく、やわらかく。

 全身の水をガーゼタオルで拭きとって、おへそと耳と鼻のお掃除。オムツと洋服を着せて、おくるみで全身をおおってあげて、湯冷めしないように注意したら、はい、もく浴おわり。ということで、冒頭へ戻る。

 娘がうまれてからつくづく思う。育児は効率じゃない。どれだけ手間をかけてあげられるか、が大切だと思うのだ。もちろん無理にそうしたほうがいい、などといいたいわけではない。やりたくてもできない環境に置かれている人もいるかもしれないのだから。だから、である。

 できる限り手間をかける。

 その人その人の環境に応じたうえで、そのスタンスを持っておく、というのはいいんじゃないかと思うのだ。

 じつはこれは、育児に限ったことではなくて。仕事や創作や趣味や生活、どんなことにも当てはまるものだと思う。効率を追求することは悪いことじゃない。だけれども、効率を無視してでも手間をかけたことには、やっぱり愛情やらこころみたいなものがこもる。それは、目には見えないし、数字で計測できるわけではなけれど、それを受けとった相手には不思議とわかるものだと思うのだ。

 あなたの大切な人やことには、
 できる限り手間をかけてあげてくださいね。

【おわりに】
 今日も読みにきてくださって、ありがとうございました。
 最近すこしずつ仕事を再開させています。それでもかなり、娘と妻といる時間が多いですね。それがやりたいことならば、それをやると決める。世界のルールは、案外あやふやなもので、結構じぶんで決めることができる気がしています。特にここ最近。


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