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自分のことは、自分がいちばん理解できていないというお話。

目のまえの人は、自分自身の鏡である。

今日はそんなお話をしてみようと思います。さて、説明の必要もなく、これを読んでいるあなたは鏡の存在を知っていますよね? 自分自身の顔や姿を正確に映し出すものであり、左右を逆にした形でこちらの世界が鏡に映りこみます。

いまではそこらじゅうに溢れていて誰もが普通に使っていますが、よくよく考えてみるとすごい道具だと思うのです。たいそう大げさな話ですが、人類の起源をさかのぼって考えてみると、人間は、鏡によって初めて、自分自身を客観的に見る手段を得たということができるのではないでしょうか。それまでは、自分の姿を知らないままに暮らしていたということですからね。鏡ってすごい。

なんて仰々しく書きましたが、鏡のはじまりは、水溜りの水面に自らの姿形などを映す水鏡であったと考えられています。ずいぶんと身近なところに鏡の原型はあったのですね。

さてと、話を本題に戻します。

ある日の夜。暖房もついていない冷え切ったリビング。僕は震えながら奥さんと二人、たわいもない話をしていました。細かいことは割愛しますが、急に仕事やお金のことについて文句を言いたくなったのです。

それは、話の流れで“あること”に話題が変わった瞬間のこと。腹の底のほうからムッとした怒りに似た感情が突き上げてきたのです。その瞬間はなんとか感情を抑えこむことに成功し、最後まで彼女の話を耳を傾けつづけました。

そこから( たぶん ) 一時間ほど経ったあとのこと。すこし時間は置いても、変わらずその感情を消化できなかったようで、ぶわぁ〜と口から溢れ出てきたのです。やめられない、止まらないぃ。

ベットに入って目を瞑ったとき。はたと気がつきます。あれれ、と。今度は打って変わって腹の底からジワジワと後悔の念が湧いてきたのです。なかなかどうして寝つけない。

その気持ちを観察していると、ウトウトしながらも驚いた。夢と現のあいだ、いまとなっては本当に考えてたの定かではないけれど、あぁ、彼女に言ったことは、自分自身に言いたかったことだなぁ、と。そこからしばらくは目が冴えてしまいましたね。

目のまえの奥さんを見ながら、そこに僕自身を映していたというお話で。それが正しいか正しくないかはわかりませんが、個人的には肚にこたえた経験でした。

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