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【連載】 第6回 若いうちに、「道」を見つける (話し手:チカツタケオ)

村上春樹さんの『騎士団長殺し(新潮社)』をはじめ、湊かなえさんや東野圭吾さんなど著名な作家の装画(表紙の絵)、雑誌・文芸誌の挿絵など、数多くの素晴らしい作品を手がけるフリーランス・イラストレーター、デザイナーのチカツタケオさん。今回はチカツさんのお仕事のこと、ご自身が描きたい絵のこと、ピンチの切り抜け方、今の若いクリエイターたちに伝えたいことなど、たっぷりとお話を訊いてきました。

チカツタケオさんの仕事

第6回 若いうちに、「道」を見つける。

チカツ
難しいよね。「生活すること」と「何かを創ること」を両立させるのは。

末吉
そうですよね、僕もそう思います。

チカツ
生活を考えると先に進めないし、自分が描きたい絵だけを描いちゃうと生活できなくなる。

末吉
そういう人たちは、より多くなってくるのかなという感じはするんですよ。なんというか、「道」を模索するという。特に若い層の人たちは「稼ぐことだけが答えじゃない」って感じてるように思うんです。

どちらかというと、やりたいことをやるとか、好きなことやって生きるみたいなことを大切にする人たちが、増えているように見えるんです。

( チカツさんの仕事場に置かれた絵の具 )

チカツ
若いうちはそれでいけるのですが、50歳くらいを越えたときに、肉体的、金銭的な問題などがいろいろと出てきちゃうから。

末吉
あぁ、確かに。

チカツ
若いうちだったら、貧乏だってやっていけるけれど。50歳を超え始めると、親や自分自身も体調が悪くなるだとか。すると、お金がないことはものすごく大変です。

末吉
いろんな制限がかかったり、という感じですよね。

チカツ
うちはまだ2人とも健在ですが、介護が必要になったら、それこそお金がかかるし、時間も割かれます。とはいえ、親は見捨てられないわけだし。

末吉
だからこそ、「道」を模索しながら極めていくことが、大切なんじゃないかと思うんです。「道」をある程度きわめると、なんとかお金にしていくことも、できなくはない。どんなことでも、ちゃんとひとつを突き詰めていけば。

インタビューだって極めていけば、お金になったりするかもしれませんし。絵に関しても、何か求められている、ものとして返せるのであれば、お金になるんじゃないか。だから、その「道」をつくっていくことが、すごく大切だと思うんですよね。

チカツ
僕がいう「道」と、末吉さんのいう「道」とは微妙にニュアンスは違うかもしれません。僕の思う「道」はどちらかというと、もう少し精神的な部分の気はします。でも、結果そういう物理的な「道」も可能になってくるし、そういう意味での「道」も当然必要ですよね。

僕が20代の頃に、理系から方向転換して絵を描く方に進みたいと思ったのは、両親の影響もあるんです。うちの両親は、それぞれ銀行と市役所に勤めていて事務系の人間だったから、なにか技術があるわけではなかった。

末吉
そうだったんですね、なるほど。

チカツ
会社に入ると、いろんなことがありますよね。人間関係で苦労したり、リストラされたり家族のためにも出世しなきゃいけなかったり。父親のそういう精神的な苦労も見てきたし。だから「自分の腕で稼げるものがほしいな」というのがひとつあったんです。

末吉
それで、チカツさんは今も突き詰めているんですね。

チカツ
今思っている目標と、20代の頃とは少し違ってきている部分もありますが、遠回りしつつも20代の頃にこうなりたいという方向には少しずつなってきています。

当時、会社や何かに頼らず、お金を稼いでいくことを考えたとき「あっ、絵が好きだったし、絵が得意だったな」ということは、最初に思いましたね。だから、20代のうちに何か武器を持った方がいいんじゃないかなぁと思うんです。若いうちは、どこでも雇ってもらえますが。

末吉
なんとか上手くやっていける可能性が高いということですよね。アルバイトなどを探せば、生きてはいける。

チカツ
そう。でも40、50歳になったとき、何かしら身につけていないと仕事はなくなりますよね。拡がりもなくなっちゃうわけだから。20代のうちに何かしらの技術なりを得ておかないと、先行きが大変になる可能性がある。その中で何かひとつ「道」を見つけることができれば、その人にとってとても幸運だと思うし。

末吉
なるほど、そうですよね。

チカツ
僕はゲームはやらないけれども、ロールプレイングゲームも1個ずつアイテムを、こう…

末吉
装備やアイテムを1個ずつ、手に入れていくという感じですね。そうして、強くなる。

チカツ
そうやって形にしていかないと、年齢が上がるにつれて壁ばかりが増えて、その壁を越えられなくなっちゃうから。できるだけ若いうちに、いろんなことにチャレンジしながら、「道」を見つけていくような生き方がいいとは思いますね。

( 弐藤水流さんの『怨み返し』の装画 )

『dancyu 2015年10月号』に使用された蕎麦のイラスト )

末吉
アイテムを得ながら「道」を見つけていく。

チカツ
そうですね。でも、若い人たちの中には何か「仕事が上手くいかない」という理由から、田舎の方に移住しちゃう人もたまにいて。

末吉
いますよね、そういう人たちは。

チカツ
それはそれで精神的に追い詰められすぎて仕方ない人もいますし、田舎生活が本当に合っている人もいる。すでに若いうちに何か技術を身につけていれば、インターネット時代、そういう生活の方が理想かもしれません。ただ単純に無目的で行っちゃった場合、小心者の僕なんかだと不安になってしまいます。

末吉
将来はどうするの? ということですよね。

チカツ
今は大抵の人が屋根の下で暮らせて、食べるものにはとりあえず困らないけど、このまま上手くいっているかどうかは、わからないですから。日本だって、これから国同士の力関係が変わってくるとどう変わっちゃうかわからない。

今までは日本人が外国人を安い賃金で使っていたのが、逆のパターンになることは十分ありうる話ですし、テレビでもやってるけど日本がバブルだった頃のように、外国人に土地やビルだって買い占められちゃうかもしれない。

この10年くらいでもインターネットで自分の想像以上に世界は変わったし、20〜30年後はどうなってるか誰もわかりません。

末吉
そうですよね。そういった可能性はありますよね。

チカツ
今まで日本はお金があったし、他の国に比べカルチャー的にもあまり宗教に縛られず、独自なことができるし、他の多くの国に比べればまだまだずっと平和で自由。それに最近外国人が気づいて、たくさん日本に来ている気がします。

移民の多い国だと既に社会問題になっているけど、そういう人たちのおかげで今の日本人が好まないような仕事をやってくれる部分もある。でも替えが簡単にできる仕事だと、自分たちの仕事だって奪われる可能性もあります。仕事だけじゃなく住む場所だって。そういう意味では目的を持った若い人が早めに地方に行って、自分たちの手で活性化してくれるならいいことだとは思いますが。

末吉
確かになぁ。関係性やパワーバランスは、より変わっていきますからね。

チカツ
たとえば、昭和を支えてきた職人さんの多くが60歳以上になってきて。絵を描くときに使う筆だって、これからちゃんとしたものを作ってもらえるかはわからない。そういう面倒くさい仕事や、大変で儲からない仕事はやりたくないという若い人たちは多かったりしますからね。

でも、まだまだ裕福でない国の人たちは違いますよね。日本人がやりたがらない仕事でも「お金になるならやる」って人はたくさんいるわけで。すると、技術がみんな海外に出ていっちゃうでしょ。ハイテクな技術は日本に残るかもしれませんが。

そういった先端技術だって、他の多くの国がもっと裕福になればさらに研究できるようになると思うし。それこそまるごと買収されて、あっという間に骨抜きになってしまう可能性もありますよね。そういうのを考えちゃうと、僕なんかは心配性だから、日本はこのままで大丈夫なのかって不安になってきます。

末吉
そうですね、確かに。チカツさんは、どのようなきっかけで、そう感じるようになったんですか?

チカツ
フランスで、フランス語の教室に通っていたときに一番感じましたね。日本人は必ずしもみんながみんな目標を持って勉強しにきているわけじゃないんです。「とにかく外国に行ってみて…」って目的を感じられない人も多いように感じました。何もしないより行動した、という意味で悪いことではないですが。

末吉
ということは、自分探し的な感じだとか。ちょっとこう、ふらりと旅をするような。

( 南仏Aix en Provence滞在中の街中の写真 )

チカツ
それに近いかもしれません。でも他の国の人たちは、国に帰っていい仕事を得るために勉強しに来ているような人が多いように僕には見えました。言葉の壁も相まった、先入観かもしれないけど。

末吉
日本人とは、真剣さの度合いが違う?

チカツ
真剣度云々というより目的意識が違うのかなぁ。僕自身はビザのためとフランス語をもう少し学びたいというのもあって語学学校に通っていましたが、僕自身も20歳の中国人の同級生に、「中国ではあなたくらいの年齢でこうやってくる人はいない」と不思議がられたくらい、日本人は少し感覚が違うのかも。大学生くらいの年齢より20代後半の人の方が多かった気がしますし。

上のクラスに上がったときの授業中を見ていても、他の国の生徒の多くに積極性とかエネルギーをより感じました。決してナショナリズムがいいとは思いませんが、特にある国の人たちは自分の国にとても誇りをもっているんですね。どちらが正しいかは別に、違うと思えば先生に対しても自分の意見で猛反論する。あれっ? なんか違うな、このままいくと、日本人はいずれ外国人のこういうエネルギーに押しのけられちゃうじゃないかな、って。

末吉
うーん、そうですよね。

チカツ
僕の場合は絵を集中的に描きたいというのが一番の目的だったのですが、場所として南仏は失敗でしたね。あまりにも気候も人も良すぎて。自分の内向的な絵を描こうという気になれませんでしたから(笑)

目的だけではなくもう少ししっかりとした事前のリサーチも必要かもしれません。とはいえ、知り合った多くの人に自分の絵を見せたときに、言葉や文化は違っても絵から人が感じることは大きくは変わらないんだな、という発見があった。

そういう意味では、今はインターネットで世界が身近になって、何かしら人に負けない武器さえ持っていれば、逆に海外にも「道」はより大きく開かれているんだとも感じます。

末吉
ほんと僕もそう思います。だからこそ、チカツさんの「道」という言葉はすごくいいなと思っていて。探求するものでもあるじゃないですか。

「自分は誰なのか」「自分の好きなことを見つけよう」みたいなことに、通じるところがあるのかなと。見つける喜びというか。「道」には、そういったところもあるのかなって。

チカツ
見つけるという意味では、帰国して自分の作品を描きはじめた頃、鉛筆やなにかの絵を描いたことがあるんですね。あれは何かっていうと、身近にあるものだってよく観察していれば、そこから色んなふうに拡げていけるのではないかと思ったんです。

人って見慣れてしまうと、当たり前のものになっちゃうんですよね。でも、身近にあるものをよく観察して想像することによって、いろんな情報が詰まっていることがわかるんです。今の時代は、物が溢れすぎているから自分も含めそれをやらなくなり始めているのかなと。

どんどん時代が早くなっているから、消費するようになって流す状況になっちゃうのかな。もう1回、立ち止まってもいいんじゃないか。外を見るだけでなく実は身近にあるものの中にもヒントはたくさんあるのかなと。

(展示会「その時、あの時」のときに飾られたカップ焼きそばの作品)

末吉
なるほど。僕も、結構そういった「立ち止まる」というのは大事なんじゃないかなと思っていますね。時代の流れが早くなるほど、そういう部分も大事になるのかな、という感じがしています。

チカツ
表面的に絵をリアルに描くだけなら、これからAIに代えられてしまうんじゃないかな。でも、観察して想像して拡げることは、AIには当分できないように思うんですよね。

末吉
絵の中に、いろんなものを含むこととか?

チカツ
はい。だから、そういうことをやっていかないと、人間が食べていける「道」がなくなっちゃうんじゃないのかなって。

末吉
いや~、ほんと僕もそうだと思います。

チカツ
僕の今のレベルでは、技術的にはAIや外国人にいつでも取って代わられる可能性がなくはないな、という危機感は常に持っています。

( 次回が最終回です )

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【 profile 】
チカツタケオ
デザイン事務所数社に勤務の後'98年よりフリーランスイラストレーター、デザイナー。'06年青山塾イラストレーション科修了。’06年9月〜'08年2月南仏Aix en Provence滞在。’07年ザ・チョイス年度賞優秀賞。'09年第8回TIS公募金賞。

CHIKATSU's works

【 website 】
http://www7b.biglobe.ne.jp/~chikatsu/index.html

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