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( けっこう本気な )エッセイのすゝめと、定期購読マガジンと。

 以下の原稿にも書いたことであり、いつも頭の片隅に置いている言葉でもあるのですが、エッセイとGoogleで調べてみるとWikipediaにこう書かれています。

 「essai(エッセイ)」の原義は「試み(こころみ)」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。

 ちなみに「試み」を辞書で引くと、ためしにやってみること、そう書かれています。そうなんです、エッセイとはためしでいいのです。個人的にはたいそう救われる思いがしたのを覚えています。

 ということもあってか、このエッセイ的な小文は、その要素をたぶんに含んでいます。ためし、つまり実験的なことをたくさんやっているのです。あ、でも、正確を期すならば、実生活で実験的なことをやっていて、書ける範囲の( できるだけ事実もしくは正直な ) 話題を書いているということになると思います。

 たとえば、昨日もそうでした。「超短編小説の文字数」という原稿を書いたのですが、まさにためし。これからweb小説というジャンルは、超短編小説(400〜800文字くらい)が好まれるのではないかというのは仮説であり、ためし、です。( もっとも、実はまだ、ためしてさえいないのは秘密でお願いします )

 自分の頭にある構想をためしに書いてみるというわけです。そうしながら、頭のなかを整理したり、自分の本気度を点検したり、さらには行動したり実現させるためのエネルギーみたいなものを練ったりしています。ね、エッセイを書くっていい感じがしてきませんか? だから僕はどんなに忙しかろうと、毎日まいにち書きつづけているのだろうと思うのです。

 さてと、それでは最後に今日のおためしを。

 そう、定期マガジンをスタートしようと企んでいる。それだけで食べていけるようになるというのはいいなぁ。じゅるり…。なんて、それはもちろんそうなのですが、やっぱり有料であるということは大事だと思うのです。

 それはラジオ番組をプロデュースしている著者さんと打ち合わせをしているときのこと。たとえばという前置きでこんなことを話してくれてました。「僕がお金を払って末吉さんにラジオのプロデュースを依頼していなかったらほとんど会うことはないと思いませんか?」「…はい」僕は答えたのです。それは確かにそうで、変な意味ではなく、お金のつながりというものはあります。それは決して悪いことではありません。

 そこで長い( 深い )関係がつながっている人の顔を思い浮かべてみると、そこには何かしらのお金のやり取りが発生していることに気がついたのです。プラスしてそこには、対価としての満足感みたいなものもありました。当たり前なのですが、一方的な関係というものは存在しません。お金を払ったら、何かしらの対価を受け取っていなければそれは成立しません。( もしくは、正常な関係とは言えない )

 ということでこの年末年始は、いま取り組んでいる創作活動とともに、定期購読マガジンの構想をふくらませます。購読してくれた人たちが満足してくれるものって一体なんだと、真剣に自分のなかにあるものに向き合おうと思います。

追伸、、、
 こういうことをやってほしい、ということがあれば教えてください。または、疑問・質問などもぜひに。個人的には、これからは作品のクオリティーだけの勝負ではない、そんな時代になってくると予感しているのですよね。作品はもちろん、もちろん、もちろん大事なのはわかっていますが。

 こういうことを書いていたら、つい最近noteをはじめられた乙武さんがこんな記事を公開されていましたね。そこには佐渡島庸平さんのこんな言葉が書かれていて、ううう、とうなりました。

「むやみにボールを投げても、それをしっかり受け止めてくれる人がいないと効果が薄いんですよ。乙武さんのメッセージを欲している人は多くいるはずです。その人たちに向けて、しっかりと情報を伝えられるような仕組みをつくったほうがいいと思います」


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