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その先へ(配信「僕たちは会って話して何考えてるの」を拝見して)

先日12月9日にYouTube配信された
「僕たちは会って話して何考えてるの」にて
こんな質問を投げかけた者です

その節は田中泰延さん、前田将多さん、上田豪さんに大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。

上田さんには野球選手として活躍する夢を
ご自身の怪我により断念されたことを

前田さんは学生時代から好きなカントリーミュージックを今でも変わらず愛好していることを

田中さんは頑張って収集したカードを「高学年になったから」と自ら捨てたと。

「軽い回答でごめんね」と田中さんはおっしゃってましたが、とんでもない!
投げかけた質問に対する自分の答えはまだ導き出せてはいませんがみなさんの回答はどれもみな示唆にとんだものでした。

私が「具体的な内容を伏せた」のは
その場に投げかけていいのか?と思うほどの重苦しい内容であったからでした。

「一生かけてやり抜こう」としたのは
14歳の時に自ら求めて入った信仰でした。
仲間が増え、性格も明るさを増し、前向きに生きていける支えでありました。
このまま、ささやかながら幸せな毎日を送っていこう
そのための努力は惜しみませんでした。


「道を逸れてしまった」と書いたのは「離婚」によって顕になった肉親や同じ信仰を持つ仲間たちとの軋轢で
自分が壊れてしまっては子どもたちを守れない!と感じて彼らと距離を置いたことから来ています。

仲間だと信じていた人たちから「あなたの行い(離婚)は教えに背く」と責められたり
実母からも「生きかたが下手くそ」と言われ
(生きかたが上手って要領がいいってこと?)
かなりの打撃を食らって「離婚」のダメージ以上にそちらで心を折られてしまいました。

信仰の仲間とは特定の人としか今は連絡を取っていません。その人とも挨拶程度の付き合いになりました。
実母は…この人との関係だけでもう1つ記事が書けそうなので詳しくは触れませんが、向こうから連絡があれば
「善意の限り」付き合うようにしています。

なのでもう、やり抜こう、大事にしていこうと思っていた人との訣別の準備はできていたのです。
引っかかっていたのはそれに出会った当時に自分が立てた「誓願」を自ら破るのか?何一つ全うできない自分は
とんでもなくダメな人間じゃないのか、
自分に正直でありたいのは、楽な方へ流されようとしてるだけなんじゃないか?

辞める、辞めない。の葛藤がいつまでも心の中にありました。

でも、先日の配信を拝見して
上田さんには「かえがたい事情があった」こと

前田さんからは「大事なものはずっと側に置いていい」こと

田中さんには「時が経過して必要でなくなった」こと

それぞれのお話からそのようにご教示いただけたんだと受け止めました。
そのあとに続く他の方々への御回答も身に沁みるものばかりでした。

私の問題は40数年かけてきたものなので
今すぐ「はい!終了‼︎」とは行きませんが
配信の最後にとんでもなく素敵なエールをいただきましたね。

止まらず、退かず、その先へと

「次、行ってみよう!」

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