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母の死後、変化した自身の内面

母は教会で洗礼を受けたり、私をミッション系の学校に入れる程度にはクリスチャンであった。
母自身が亡くなる前にも、自身の身の振り方を考えていて、千葉の教会を納骨の際に利用して欲しいと遺言を残していた。

正直なところ、私は長年ミッション系の学校に通っていたものの「母親に仕方なく従っているだけ」という感覚だったので知識は多少あっても興味・関心は無い。宗派は?と尋ねられれば仏教と答える。(無信教寄りではあるが)

母が亡くなったという連絡を受け、孤独死だった為検死を受け(関東の身内に立ち会ってもらった)そこに書かれた死亡日時が12月24日で、何となく「母は神の身元に行けたのだな」と納得した。

身内の死というのは祖母の死と今回の母の死で2回目であり、一人っ子長女ということで母の諸々の手続きは多少疲弊した。
長年不仲で音信不通にしていたものの、多少の悲しさはあり少し泣いた。

それからというもの、SNSやネットで今まで普通に見ていた十字架をモチーフにしたデザイン、イラスト、アクセサリーに対し、何となく違和感を持つようになっていった。
歴史的・宗教的意味合いを持つものが日常に取り組まれて馴染んでいくというものは今まで何度もあり受け入れているつもりでいたが、どうにも十字架はそう思えなくなってしまったのだ。
やはりクリスチャンの母を通じ、「十字架」=宗教的存在というのが身に染みていたのかもしれない。

こう書いているが、クリエイターが十字架モチーフで創作することについて否定する訳では勿論無い。
あくまで、自分自身の心境の変化を記録として書いているに過ぎない。

また、十字架に加えて大好きだったオカルト系の分野にもあまり触れなくなってしまった。
身近な人の死の影響は例え不仲な相手であっても多少なりとも影響を及ぼすこともあるのだと気付かされた。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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