不登校とお留守番
先日主人が2泊3日で、手術で入院になった。
入院の日、手術の日、陽ちゃんは学校を休むので、主人方のおばあちゃんとお留守番になった。
母子登校をしている陽ちゃん。お留守番は少なくても4時間。大丈夫かな?と心配しつつ、コロナ禍では病院に連れて行くこともできない。好きなおやつ、おばあちゃんには取り扱い説明書的なメモも残して、いざ入院のため主人と2人で病院へ。
3時間ほど経つと、
ママーーー!寂しいー!!!
早く帰ってきてーーーーーーー!!
とギャン泣きで電話してきた。
なんとかLINEでビデオ通話をしたりしながらご機嫌をとって帰宅する。
おばあちゃんには、発達凸凹のこと、母子登校であること、いろんなことをわかりやすく伝えてきた。ありがたくも、無理させることはないと、夫婦で決めてきたことを否定されたことはない。いつも応援してもらってきたから感謝している。
お留守番2日目。陽ちゃんの雲行きはあやしい。その日も、取り扱いメモを残して、近所のママ友にも外遊びの時はよろしく頼むと連絡を入れて出発。2時間ほどなんの連絡もなかったが、そこを越えたあたりから1時間ごとにギャン泣きで電話が入る。ビデオ通話で、話したり、外に遊びに行ってごらんと伝えたり、あの手この手で乗り切る。ビデオ通話の後ろに映っているおばあちゃんの顔も疲れ出していた。
コロナ禍で救われたのは、手術後の面会は15分のみ。主人には悪いが、陽ちゃんのことを思うと帰る時間が決められている方が、申し訳ない気持ちもなく病院を後にすることができた。
そして、延長保育から帰ってきた弟のくーたんと仲良くマイクラをしてる頃に私は帰宅した。
くーたんが帰ってきたら、やっと落ち着いたわ。
とおばあちゃん。そしてぽつり
私、陽ちゃんのこと分かってなかったわ。
これはわがままではないんでしょう?
こんな思いで子育てしてたなんて、何回も聞いてたけど分かってなかったわ。ごめんね。
と。おばあちゃんも発達凸凹と、わがままの境界線みたいなものと戦いながら、2日間お留守番してくれたんだなと思った。
陽ちゃんの泣きすぎた顔とおばあちゃんの疲れた顔を見て、どーんと私も疲れた。
頼れるとこはないのかなー
やっぱり私が踏ん張るしかないのかな。
なんてふと思ってしまった。
退院してきた主人にその話をすると、
やっと分かってもらえたいい機会やったんちゃうかな。悪い事ばかりではないと思う。
2人は疲れたやろうけどな。孫やねんから大丈夫。
ちょっと安心した。
自分でなんでもダメだなんて決めつけず、陽ちゃんのこと、我が家のことを知ってもらうことは少し恥ずかしいけど、またその先に理解の輪が広がるかもしれない。
誰も頼れない。と思わず、まずは私から心の扉を開くことを始めないといけないのかもしれない。
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