見出し画像

強運についての雑感

日大理事長の会見を見た人が「せっかく理不尽なサラリーマン社会から離れ、誰にも頭を下げなくてもいい暮らしを手に入れたのに、またその暮らしに戻るなんて」という書き込みをしていた。卒サラした私も、そこは同意(小説家が、誰にも頭を下げない生活かはさておき)。

理事長には『強運な女になる』という著書があったと思う。でも、今の彼女から強運オーラは感じない。
運には大きく分けてふたつある。自分では変えようのないものと、自分の選択で引き寄せるもの。今回の場合は、明らかに後者。選択ミスであるように思う。
グルメ、ダイエット、交友、ファッションの話が大好きな方に、あの役職はそぐわない。今も物語にしたら面白いネタがたくさん飛び交っているだろうが、それを暴露するわけにもいかない。親しい友人に漏らすこともNGだ。役職を退いた後でも守秘義務は続く。重責・お飾り以前に、本人の性質(観察して表現して広めたい)が完封された状況。これは、かなりしんどいことだと思う。

「政治家になると、皆さん人相が悪くなりますね」ということを、どこかで綴っていたが、ブーメランの法則を見る思いだ。どんどん顔立ちが険しく、悪相になっている(日大理事長は政治家ではないが、高度な政治判断を求められる役職という点で似たようなものだ)。

「置かれた場所で咲きなさい」「人からのお誘いは積極的に受けなさい」という言葉は信用しない。自分に合うならともかく、そうでないなら快適な場に移動したほうがいい、と思う。

強運というものを考える。
美輪明宏さんは「大きな幸せを手に入れると、必ず大きな不幸がやってきます。世界の美女、クレオパトラも小野小町も、グレース・ケリーもダイアナ妃もそう。ですから、皆さんはほどほどの幸せでいいんですよ」と頻繁に正負の法則を主張する。

光が強ければ影も濃い。それは否定しない。権力の座に就いた途端、高転びに転ぶ人も大勢見てきた。

が、しかし。

この世に生を受けた瞬間からとてつもない不幸続きで、死ぬまで這いあがれない人も一定数いるように思うのだが、その人たちにも正負の法則は該当するのだろうか?

グレース妃やダイアナ妃について「華やかな生活を送った分、最期は事故死という『負』を払った」と美輪さんは力説するけど、庶民でも家族関係が破綻していて、事故死する場合もあるわけで、何か違和感が残る。


運気は、株価に当てはめて考えるとわかりやすい。
大きく投資をすれば、収益と損失の両方の振れ幅が大きくなる。少額であれば儲けも損失も少ない。しかし投資・貯蓄どころか借金等で首が回らないというケースも多々ある。


私は「運は筋肉と同じで、鍛えるほど強くなる」という考え方だ。だから「とてつもなく良いことがあった。これで今年の運を使い切った」という思考は選ばない。「好調の時は慎重に、不調の時は仕込みの時期」と株価発想で進むだけだ。

正負の法則よりも、こちらの方がしっくりくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?