父の日でした

今日は父の日だった。
そう、みんなが大好きなお父さんに感謝を伝える日。
ぼくは父の日に感謝を伝えたことがない。
なんなら父の日に限らず感謝を伝えたことがない。
理由はシンプル。感謝をしていないから。
虐待の日々だった。息子の名前を漢字で書けない親を誰が好きになるんだろう。

「どうせ長く着るんじゃけぇ、大きいのでええんじゃない?」

大学の入学式を控え、初めてのスーツを選ぶ際に母は言った。
ここは山口県のさらにド田舎のイオン、2階建てのイオン。イオンタウンでもイオンモールでもない、ただのイオン。
僕は春から大学生、それも偏差値48の高校から一浪して勝ち取った慶應ボーイだ。これでモテまくれる。僕は胸と股間を膨らませながらイオンで買ったやっすいブカブカのスーツに腕を通した。

僕は慶應ボーイ。

毎年山口県から一般入試で慶應に入学するのは20人弱、僕の代は19人だった。毎日12時間の勉強でようやく実を結んだ、圧倒的なステータス。僕は最高の人生の始まりだ、そう思っていた。が、入学してすぐにその期待は散った。

「黙れ田舎者」

入学当初、方言が出ていて馬鹿にされた。塾高や志木高上がりはみんな固まり、同じ出身高校の人たちの輪の中に入れない。僕の高校は僕が10何年ぶりの慶應生で同級生なんて当然いないし先輩もいない。完全に孤独からのスタートだった。
「あ!東横線で渋谷までいってそこから田園都市線のところだね!」周囲がどこに住んでいて都内の路線で盛り上がっている。当然何も付いていけない。苦しい日々が続いた。

細々と続く大学生活。学費は母親のへそくり、高卒で働いてくれた3個上の兄、おじいちゃんの貯金から出ていた。僕は一生懸命バイトして少しでもお金を稼がなければやっていけなかった。大卒は親戚内でもスポーツ推薦で立命館大に進学した従姉妹だけで、みんな高卒の一族。地元の高校では結構当たり前のステータスだった。特に親の仕事だとか実家が貧乏や裕福だとか、そんなに気にして生きてこなかった。

でも慶應は違ったんだ。度肝を抜かれた。本当に周囲には教育に時間を、そして愛情を注いでこられた人達の巣窟だった。家族で海外旅行は当然行ったことあって当然のように塾に通い、当然のように”ふぐ”を食べたことがある人達ばかりだった。山口県出身と言うと「ふぐ美味しいよね!」とよく言われたが、正直食べたことも無く、反応に困った。
僕は大学に入って1ヶ月で思った。この人たちはお金が無いから学校の図書館から先輩が使った赤本を盗んで勉強するとかしなかったんだろうな。塾も次男に教育費をかけられない、ということで通わされず、結局は親に無断で塾体験に行き、無理矢理に入塾するというムーブをしなければならないなんて無いんだろうな。

親は○○商事?○○銀行?
ふーん?
うちの親は高卒零細企業ブルーカラー50歳でニート極めてますけど。地元で新規オープンした回転寿司に2時間並んで入って、席についたタイミングで一皿100円じゃないことを知り家族4人でそそくさ何も注文をせずに帰る。
こんな経験したこと無さそうだな。

それでも慶應での素晴らしき学園生活は続いていく。
ゼミに入った。もちろんゼミの同期はみんな優秀。当然親は○○商事で海外居住経験あり、帰国子女、世田谷区にエレベーター付き3階建ての一軒家なんて住んじゃったりして。相も変わらずバイトで学費を稼ぐ日々。でも周囲はそういう人たちで固められていくから自然と世間内でも優秀のレッテルを自覚していく。合コンをやってもモテまくった。大学3年時なんて毎月1人のペースで告白された。男なのに。その場ではぐらかして一緒に寝るだけ寝る。熱い夜。

そうしてMARCHの人たちや早慶上智の女の子と遊びまくる日々。途中で気づいてしまった。自分の学力以外の教養の薄さに。特に芸術。なにもわからない。
「劇団四季めっちゃ好きなんだよね。お母さんとよく行くの」
さっぱりわからない。いや、電通ビルになんかあるよなくらいは分かるが劇団四季とか音楽とかの知識が希薄過ぎてそれとなく反応してなんとか乗り切っていく。
無駄に経歴をピカピカにしたせいで親のレベルについてのコンプレックスが学内でも強まっていき、さらに学外でも広がっていく毎日だった。

社会人になってGAFAに勤める。慶應義塾大学卒でGAFA。Pairsは死ぬほどマッチした。正直管理しきれないほど。そして1人と付き合って1年経った頃に別れたいと告げられた。理由は端的に言うと「親のレベルが低すぎて家族同士の結婚に不安がある」。僕に対しての不満はないが、結婚を考えると親がリスクありと思ったとのことだった。個人的には予想はできていた。50歳でニート。歯も磨かないし風呂も毎日は入ってない。台所は完全に物置と化していて年末実家帰ると出てくるのは緑のたぬきでの年越しそば。
はぁ。。。これならトーキョーで年越しした方が楽しいな。なんで往復4万円、14時間もかけて帰ってきたのだろうかと思う。加えて極めて男尊女卑が激しいくそ田舎。そりゃそうだよね。義理姉が姪っ子を寝かしつけている間に「少しは手伝えよ」と嫌味を言われる始末。自分が女性ならまじで無理だな。下手にスペックを磨いてしまったお陰でハイスぺ、バリキャリの人に惹かれるようになった。が、そういう人たちはみんな慶應にいたときと同じで育ちからして違うのだ。とてもスーツも冠婚葬祭でしか着たことないし結納のやり方も分からない親を紹介できない。以前、まだ実家がどういう職業をやっていてどういう人か話していない段階で、交際していた彼女から「結納はちゃんとやりたいし、実家のレベルもある程度常識がある人じゃないと無理かな」と言われそのまますぐに振った。

今年で31歳になります。今の彼女と早く別れて、って待ってくれている女性がありがたいことに複数います。でも別れたとしても結婚を考えると父親が死ぬまではとても紹介できる人柄ではないのです。僕はどうすれば良いのでしょうか。スーパーのライフで「お父さんありがとう」と、キッズたちが書いたお父さんの似顔絵を見ならが思うのです。この子たちはみんなお父さん好きなんだなと。僕は、なに一つ、好きなところを挙げられません。ダメだな~人として、息子として終わってるな~と思うものの虐待の日々、学費も何も出してもらえない父親の良いところ探しを、もう何年もしていますが、なに一つ、見つからない毎日です。

#創作大賞2023

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