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本当の頑張りは外からは見えないところにある

 貴方は自分のことを頑張っていると思いますか。周りの人から「頑張っているね」と言われることがありますか。また、貴方はどんな人を、どんなことなら「頑張っている」と思いますか。
 この世の中で「頑張る」ことと言えば、学校生活や社会人生活といった、勉強や仕事でしょうか。その立場の人間が、やるべきことをやることが「頑張っている」と言われやすいと思います。日々努力して自分や技を磨くというのも「頑張っている」と言われやすいのではないでしょうか。

 では、それらに該当しないことに全力を注ぐことは「頑張っている」に入らないのでしょうか。確かに、趣味や遊びのような独りよがりのものでは、どれほど本気でやっていたとしても、その「頑張り」を認めてくれる人は少ないように感じます。かろうじて、親しい友人や家族が認めてくれる程度でしょう。そもそも趣味などは、自分の好きという感情ですることが大半だと思いますし、他人に何か認められたくてするものではありません。勿論、趣味の中で自分を磨いて、賞を獲りたいといった自己実現的な綺麗な目標があり、それを多少なりとも認めてほしいと感じることはあります。ですが、それを「たかが○○でしょ」とか「そんなことより勉強すれば」と言われると、イラっと来ますし、本当に興ざめですよね。

学生生活や社会人生活に向き合うことは、立派な事で「頑張っている」と言えると思います。「生きるためにお金が必要で、仕事でお金を稼ぐから仕事は生きることなんだ」と聞きます。強い人は「こんなこと頑張ってる内に入らない」なんて言います。「趣味は好きでやっているだけだから頑張っているとは少し違う」という声も聞きます。それも一理あるなと私も思います。 
 しかしながら、それらは十分すぎるほど「頑張っている」に入ると私は感じています。彼らが感じている「別に頑張ってるつもりはない」は彼等の精神の強さもありますが、表面にしか出ない頑張りに気づいていないだけでじはないでしょうか。私は、「頑張っている」というのはもっと根源的なものなのではないかと思っています。誰にも知られない、自分でさえ気づいてないところにあるのではないかと思うのです。学校生活や社会人生活として日々を過ごす中で、自分のことに気が回らないことはよくあります。だから、私たちは普段していることや普段できないことに気づいていません。そんな場所に、私たちの「生きる」という頑張りが隠されているのではないでしょうか。

例えば、家に帰って着ていたカーディガンを床に置かずにハンガーにちゃんと掛けること。お風呂を怠けてしまってもお化粧は落としてから寝ること。疲れて仕方ない時でも、ちゃんとご飯を食べること。もう限界で仕事や学校に行けなかった時、ちゃんと行かなかったこと。恥ずかしさを乗り越えて、誰かに辛さを打ち明けられること。そのような些細なことや死ぬほど面倒な家事、自分の命を維持できることこそが「頑張っている」ということなのだと思います。学校や仕事、趣味、習い事に向き合うというのは、頑張っているという次元を超えているのです。

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