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記憶が嵌められたステンドグラス

緑青色のフレームが床にぶつかり、離散するようにガラスが飛び出す。みんな床に着地すると同時に砕け散った。ガシャン、パリン、軽い音が鳴る。事切れたランプの残光だけが視界に残っている。
そんな感覚。思い出すという行為は、いつもそう。

思い出話。


流れ星。

高校生のころ、三大流星群を毎年欠かさず見ていた。しぶんぎ座、ペルセウス座、ふたご座流星群。近くに高速道路が通っている地域に住んでいいて、夜空はいつもほんのりと紫色に染まっていた。そんな真夜中、どれだけ寒い夜でも、見えるかどうかわからない流星群を見るために、必ず午前一時に家を飛び出す。

流れ星はいつも「見えたかもしれない」で終わる。流れ星自体馴染みがないものだから、実際に見ても目の霞みや幻という曖昧な存在に掻き消されてしまう。「いま流れた?」とたったひとりで呟く。ひとりだから確認のしようがない。独りの人間が肉眼で見ていて「確かに流れた」と言うには、流星はあまりに一瞬すぎる。

「いま見てた?」
「え、そやんな?」
と流れ星を初めて確認したのは高校二年生の頃。夏休みに友達と遠出した先でのこと。森の中で、地面など気にせず寝転がって空を見ていた。
というのも、私が「ここなら普通に流れ星見れるんちゃう」と言ったからだったはずだ。かなりの田舎だったから、流星群とか関係なくてもそれぐらい見れるだろうと思った。消灯時間を過ぎた夜闇のキャンプ場、テントの外へと友達を誘う。
その夜、私たちはいくつもの流星を見た。

私が流星群を見ていた理由は、願いたいからだった。
夜中、冷たい風に包まれて空を見上げると、自分がかわいく思える。
自分がどれほどちっぽけな存在かよく分かるという意味。顔が綺麗になるとか自分の容姿を好きになれるとか、そういうことではない。
小さくて頭の悪い生き物なんて、大きい存在からしたらかわいいものだと思う。まして、流星に願うような愚かな生き物なのだから。

願うことはいつも同じ。いつまでもこうしていられますように、と願う。
子どもだけど、都合よく子どもを辞めて背伸びするこの自由さを。十代後半高校生の万能感を永遠のものに。
そう星に要求する。

もう流星は見ていない。大学生になってから流星群はどうでも良くなった。願いがなくなったし、何より心の潤いがなくなった。

願いなんか何もないと言えば嘘になる。でも、あの日々願ったような希望は今はもう欠片も残さず燃え散った。流星の代わりに燃え尽きた。なんて言うと、体がいいけれど実際は違う。星にかけた願いが叶うような綺麗な人間じゃないと思ったから、そういう行為を辞めた。
寂しさ、嫌な年の取り方をしたと思う。涙は、いくつも流れていく。


自転車通学。

約4年ぶりに地元の街を自転車で走った。引っ越し先の一人暮らしの家に持って行っていたのだが、もう乗ることが無いので実家に戻したのだ。安い自転車ではなかったから、わざわざ持って行っていた。当時最も仲が良かった友達がクロスバイクに乗っていて、それに憧れてバイト代をはたいて私も購入したものだった。

買った自転車はとても軽くて速くて気持ち良かった。持ち上げて階段を上り下りするには少々苦しかったが、じゃあ道を迂回しようかとはならない重さだった。車体が軽いせいか、段差が少しでもあるとガタンと大きい衝撃を喰らってしまうが、サーフボードみたいな柔らかな走りが衝撃を置き去りにしていく。そんな自転車だった。

しかし、私は電車通学だったので自転車に乗る機会はほぼ無かった。定期券内であれば自由に移動できるし、その中にターミナル駅があるので遊びに行くにしても自転車の出番はない。だけど私はそれに乗った。高校三年の最後三か月だけ自転車通学にもした。友達の殆どは学校よりも北に住んでいて、私は南に住んでいたので私が自転車通学にしたところで同じ道を通ることはない。それでも皆と同じ道を同じ速さで、笑いながら進みたかった。

私は中学生の頃からずっと電車通学で、自転車通学の子たちが笑いながら一緒に帰っていく姿が羨ましかった。自転車通学の友達は、私が登下校で気軽に遊び場へ電車で寄り道できるのを羨んでいたけれど、私からすれば(本当は駄目だけど)道を二、三人で並んで話しながら自転車を漕いでゆく学生たちこそが憧れだった。

それだけではなかった。電車通学だと学校に到着する時間は幾つかのパターンで固定されてしまう。私はいつも教室の窓から、校門から駐輪場までの道を眺めて、友達が登場するのを待ちわびた。夏は暑苦しく気だるそうに、それでも涼しげで。冬は耳当てやマフラーに包まれてモコモコの姿で。そう現れるのを眺めた。気が向いたら「おーい」と声を上げて手を振る。古文単語330やシス単を持った手で。勿論他のクラスや学年の子たちも歩いている道に向かって、話しかける。それを恥ずかしがって無視するクラスメートたちを見るのも楽しかった。

そんな思い出深い「自転車」も、今では乗ることが無いので、あの日のように風を切り裂くこともないし、そんな友達の背を見送ることもない。そもそもこの年齢になると、他人と一緒に自転車に乗る機会がそもそも無いだろうと思う。そう思った今日、やっと私はあの自転車を「足」ではなく「コミュニケーションツール」として買ったのだと気づいた。

私は、誰かと繋がる為に自転車を漕いでいた。今の自転車は、誰とも連絡できないスマホみたいだ。美談にするつもりが無いので言ってしまうが、便利なアイテムだけどもう自分には必要ない(かつて見出していた価値はもうない)と思う。子ども時代の記憶になれ。


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