トーキングブルース~古舘伊知郎は終わらない~

※初めに、今回の記事は2021年8月26日に札幌で開催された「古舘伊知郎 トーキングブルース」についての感想です。なので、かなりのネタバレを含みます。これから公演を見に行かれる方は、こちらの記事は読まないようお勧めします。まぁ、どうせこんな事言っても、自分の記事は読む人なんて殆どいないので意味ないと思いますが、注意喚起まで。


8月26日15時。古舘伊知郎トーキングブルース2021 札幌公演、終了。

どんよりとした厚い雲が札幌全体を覆っていた公演開始前の空が、嘘のような快晴へと変貌を遂げていた。「もう夏も終わりだ」と完全に思い込んでいたが、なぜかここにきて急な巻き返しを仕掛けてきた。肌にまとわりつくような暑さ、それに反して陽気の権化のようにサンサンと照り付ける昼間の太陽、そして死にたくなるようなほど真っ青な空。

「トーキングブルース終了」と最低限のツイートをして、そのまま携帯の画面を落とした。そのまま何も考えず、帰路についた。「考えず」というよりも、「考えたくなかった」。余計な情報、感情をできるだけ吸い込みたくなかった。過去思い返してみると、こういうライブの後には必ず終了という報告と、簡単な感想を添えてツイートするのが無意識のルーティンになっていた自分が、今回はそんな気持ちが一切湧いてこない。「芸」の感動が、自分の血肉となって、体にゆっくり、ゆっくりと馴染んでゆくのを楽しみたい、味わいたいと、自分の意識が何よりもそれを優先した。こんな気持ちになったのは初めてで戸惑っているし、それでいてちょっと楽しんでいる自分もいる。そして、この混沌とした気持ちを文章にしたいというエゴがふつふつと沸騰し始めた。帰宅して、PCを立ち上げて、ネットにつなげて、景気づけにコンビニで売っている安い150ミリ缶のレモンチューハイをカブっと呑んで、このnoteを書き始めた。

「古舘伊知郎は、得体が知れない」

これが自分の、この人に対する率直な思いである。物心がついてテレビが大好きになった時には、すでにこの人は、世間で言う「司会者」という立場でNHKから民放まで、その確固たるスキルでテレビ界を跋扈していた。テレビ朝日のアナウンサーとしてプロレス実況で辣腕を振るっていた時代を自分は知らない。自分にとって古舘伊知郎と言えば、「筋肉番付」、「おしゃれカンケイ」、「クイズ赤恥青恥」、「しあわせ家族計画」などといった、まだテレビが娯楽の王様として燦然と輝いていた時代のゴールデン番組で、その強靭なバランス感覚で、ありとあらゆる魑魅魍魎ともいうべき芸界の猛者たちを捌きまくる名司会者だった。時にプロレス時代から引き続いた「全身舌」の如き実況を見せたかと思いきや、トーク番組で魅せるウィットに富んだ丁々発止のやりとり、そうかと思えば、「おしゃれカンケイ」での「16小節のLOVE SONG」のコーナーでゲスト出演者と関わりの深い人物からの手紙を、冷静に、でも情も味わい深く残しながら読み進めてゆく姿。臨機応変に、その場で求められている立場になじんでゆく異常とも言える柔軟性。そして、その凄まじすぎる話術とMC力とは裏腹に、本心本音が全く見えてこない佇まいに、子供心ながら「何なんだ、この人…」と、凄さと怯えが奇天烈に入り混じった感情を抱いていた。この感情を自分のありったけのボキャブラリーを動員して総じると「得体が知れない」が一番しっくりくる。

そんな感情を抱きながらも、そのウィットに富んだ話術が好きだったので、この人のレギュラー番組を見る事は自然とルーティンになっていた。この時がいつまでも続くんだと意識はしていないものの、のんべんと過ごしていた2004年。古舘さんはそれまでの全てレギュラー番組を降板して「報道ステーション」のメインキャスターに就任した。あれだけバラエティーや実況を主戦軸に動いてきた人が「報道」という道一本に力を注ぐようになった。ささやかなショックは受けたものの、その大胆なチャレンジ精神に、一人のにわかファンながら、大きな拍手を心から送った。だが正直な話、降板の時まで「報道ステーション」をしっかりまともに見る事はなかった。見ても、本当にちらっとという程度。あの終始「押さえ気味」の古舘さんを見ているのが、無意識に辛さを感じている自分がいたからだ。

時間が流れ、次第に自分の興味が演芸、話芸へと傾いてゆく。その過程の中で「トーキングブルース」の存在を知るのは必然だった。2時間超の舞台で、一切休憩を挟まずに、数万語という文字数を一気に語りつくす、まさしく古舘伊知郎vs観客の「120分1ラウンドの話芸の真剣勝負」。まだネット環境は発展途上で、今のように気軽にネタ元を見たり、調べたりする事が出来ないし、何より「トーキングブルース」はソフト化していない「生の舞台」。行き場のない芸への妄想が年々ゆっくりと膨らみ続けた。

2014年。「トーキングブルース」が一夜限りの復活を遂げた。チケットは当然プレミア化し、行ける術もなく、自分はその光景を端から眺めていた。しかし、後日テレビの地上波で放送される事を知り、ようやくその芸の全貌(といってもダイジェスト版だが。にしても凄かった。)を目の当たりにする事ができた。その孤高に話芸を求道している姿に、子供の頃どこかビビりながらも、釘付けになってこの人のテレビを楽しみに見ていた時の気持ちが蘇ってきた。そして、2016年、「報道ステーション」のメインキャスターを降板。最後の挨拶は、紛れもなく完全に「トーキングブルース」だった。

それから堰を切ったかの如く、バラエティーに出まくるわ、レギュラー番組が始まるわ、ラジオも始まるわ、ドラマで演技にも挑戦するわ、止まっていた時間を取り戻すように様々な活動を再び目にするようになった。同時に、報道にいた12年という時間のギャップにもがき抗っている姿も否応なしに目に入ってくるようになった。12年間という長期にわたって「報道」という異次元空間からひょっと主戦場であるバラエティに戻ってきたのだ。どんなに辣腕を振るってきた人でも「浦島太郎状態」に陥る事は必然だろう。

2021年6月。「トーキングブルース」開催の報せが入ってきた。しっかりメディアの仕事をこなしながら、徐々にライフワークであるトークライブも再開し始めていた状況で、この報せは何の違和感もない必然の報せだった。「おー、またやるんだ。どんぐらいの日数でやんのかな?」なんて完全に他人事として告知を見ていて、その記載に目を疑った。

「トーキングブルース初の全国ツアー公演」「8月26日 北海道」

絶対に生で会える事なんて、あり得ない人だと思ってた。
絶対に一生、生で見る事は無い芸だと思っていた。

「行かない」という選択肢がなかった。


開演定刻の時間。全身ダーク調で、どこかラフな印象もあるフォーマルな出で立ちでハンドマイクを片手にお決まりの実況をしながら、古舘伊知郎は颯爽と舞台に現れた。会場を温かく包み込む喝采。ご当地札幌の地理を交えた描写力の妙が光りまくる実況に、会場の熱気が徐々に上り調子になっていく様が手に取るように感じられた。まさか古舘さんの口から「ヨークマツザカヤ」や「チカホ」というワードが飛び交うなんて夢にも思わない。空気が湧かない訳がない。

その後、コロナ、オリンピック、緊急事態宣言を絡めた丁々発止のトークが炸裂。世相に物申しながら、持論を展開し、時には愚痴も入り混じる。テンポが一切緩まない鉄砲水の如きトークに観客は、ただただ笑いながら翻弄されるだけ。笑いのグルーヴが何十分も続くカオスな空間。

時代を憂いながら愚痴りながらのトークから、この令和の時代に因んだ「桃太郎」を披露するという流れになった。ハンドマイクを近場に置いて、ステージの中央に仁王立ちして、その令和版「桃太郎」が語られていくのだが、これが傑作快作。これぞ古舘伊知郎ともいうべき鋭角の揚げ足取り。「その視点からそのシーン取り上げる!?」という意外性のオンパレードに爆笑の連続。

「桃太郎」の件が完遂し充実感が漂う中、再びハンドマイクを片手にトークへ。「切り取り」というテーマの中で、YouTube、自身がショッピングで経験したエピソードを軽妙に展開してゆく。縦横無尽に舞台上を歩きながら悠然とトークを展開してゆく古舘さん。しばらくすると、舞台上にこっそりと黒子が現れた。見ると真っ黒な机を持っている。古舘さんの腰ほどの高さがある机を中央に設置し、さらにその前に机より若干高めのセンターマイクが設置された。そして、机の上には、扇子と張り扇が置かれていた。

話題は、現在闘病生活を送るアントニオ猪木氏について。古舘さんはテレビ朝日のアナウンサー時代、新日本プロレスの試合を実況し、以来交流を続けてきた。ファンという存在について、そして猪木氏への思いを語りながら、こう言った。

「猪木さんにはお世話になって来たので、応援したい」

そしてステージ中央に置かれた机の前に立ち、題を発した。「名付けて、アントニオ猪木実況講談!」。気迫と魂が込められた張り扇の叩く音が会場に真っ直ぐ響き渡った。

1969年の対ドリー・ファンク・ジュニア戦をプロローグとし、そこから猪木氏の生い立ちへ。少年時代にブラジルに移民した話、現地で力道山にスカウトされ、入門した話を展開。1972年に新日本プロレスを設立し、74年にストロング小林との日本人対決に臨んだ話、そこからさらに74年の大木金太郎戦を滔々と読み進めてゆく。目まぐるしく展開される試合のシーンはまさしく講談の「修羅場」そのもの。古舘節炸裂の実況のリズムと講談ならでは修羅場調子が完全に一体化し、聞き入る観客を容赦なく圧倒してゆく。見えるはずのない飛び散る汗、選手達の爆発的な熱量、そして血しぶきが眼前に浮かんでくる。その気迫と空間支配力は、まさに「生きる仁王」が如き。大木金太郎戦の試合シーンを読み終えたところで、「時間の都合」として読み終わりとなった。地響きのような拍手喝采が湧き上がった。この時点でまだ1974年。続きが気になる終わり方も講談ならでは。

熱量が最高潮を迎えた舞台。この猪木講談で大団円かと思いきや、最後にもう一ネタ。これが最高すぎた。時間的にほんの数分。コロナという未だに終結が見えないこの混迷する時代に向かっての、古舘伊知郎だからこそはっきりと伝えられるメッセージ。

「こんだけの事やっといて、最後にこの一押しなんて…」

揺さぶりに揺さぶられた感情は、この最後の一押しで行き場を無くし、理由の分からない涙という現象へと変わっていった。

子供の時分、テレビの中にいる「得体のしれない」司会者として認識していた人が、目の前で「老い」と「時代」に抗いながら、自分が信じ続ける「話芸」を用いて真正面から戦っている。その姿に、確かな情熱と元気を、心に剛速球で叩きつけられた。

大声で叫びたい。

おい!「古舘伊知郎はオワコン」だなんだと、古舘伊知郎のなんたるか、その本質を理解しようともしないで、ただヒット数稼ぎのしょうもないネット記事を書いている、顔も実名も見せる度胸もない能無しの腰抜けネットライター!「ライター」を名乗るくらいのカスみたいなプライドがあるのなら、今すぐにでもこの舞台を見に来やがれ。その上で、同じ口を叩けるもんなら叩いてみろ。びっくりして、座りションベンしてバカになるな!

何が「オワコン」だ。古舘伊知郎は、まだ終わってない。

終わらないし、終わる訳がない、これからも。

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