#16 先導者だった頃

(6月に執筆していたもの)

わたしは過去に3人の同級生を不登校にしたことがある。最近になってよくあの時を思い出すようになった。
いじめっ子だった覚えはないし、今思い出しても後悔はまるでない。

タチの悪い武勇伝をここで振り返る。


わたしは運動が苦手で気弱でよく泣く子だった。自己主張ができる活発な強い子たちがこわくて、よくメソメソしていた覚えがある。いじめられてはいない。家族と友人に囲まれて平凡に小学校時代は過ごしていたはずだ。勝手に自分と対極にある子たちに怯え羨んでいただけ。

小三でホラー漫画の世界にどっぷり浸かり、自分でもそういった漫画や小説をよく書くようになった。現実世界にはわたしを病ませるような要因はほぼない。だのにこんなにも暗い世界にハマったのはもう親からの遺伝、「なるべくしてなった」としか言い様がないだろう。ホラー漫画を描くようになってから、不思議と友達は増えたし社交的にもなれた。確実に恵まれていた。

と、今となってはこんなふうに片付けられるが、その影には確実にわたしを鬱蒼とさせる害悪な人物は確実に存在していたのだ。

多感である小学校、中学校時代とみんな思い返せば「どうしても苦手な奴」って絶対いるもんじゃないのか?

小6になったわたしは「いちばん無理な奴」に対してとうとう"プッツン"した。

保育園の頃から苦手意識のあった女子「A」と小五になってからクラスが一緒になった。Aは一言でいうと「感じの悪い奴」で、わたしのような弱っちそうな同級生には隙あらばきつくあたる"強い子"だった。少林寺拳法も習っていて体力面でも強かった。お互い相性悪いのはわかっているんだから関わらないでほしいのに。もうAに何を言われたかとか何をされたかとか全く覚えてないけど、当時のわたしの精神の安定をAが脅かしていたのは確かだ。5年生のときは担任がはじめての女性で、当時の自分にとっては素晴らしい先生だった。しかし、6年生になってからの担任はよく教師になれたなと驚愕するレベルのひどいチンピラみたいな暴言を吐く男。この落差にもやられた。小学校生活最後の一年、こんな男のもとで指導されて終わるのかと考えたらわたしは耐えられなかった。それに加え同じ教室にはAがいる。平穏な生活が遠のいていく感覚が、わたしをプッツンさせたんだろうな。びっくりするくらい周りの連中が呑気に見えた。

6年生の夏頃には、担任に対してがまんならなくなったわたしは「こどもの相談所」的なところに電話した。特にわたし自身がその担任に酷い目に合わされた、とかではないのだが日々クラスメイトがあんな男に理不尽に怒鳴られて泣いているのを見て自分も同じように傷ついていた(なんていい子なんでしょう)。相談所の職員に泣きながらその担任の日々の横行を話した。翌日には学校にその相談所の人達がきて、校長を混じえてその担任に勧告していた。担任は後日わたしたちクラスに向けて日々の態度を謝罪をした。
やったぞ。ざまあみろ。わたしはやってやった。自分で行動を起こして一人の大人の男の頭を下げさせたのだ。あの時の高揚感は忘れないだろう。
けれども、数ヶ月で担任はもとの暴言チンピラ野郎に戻った。ああ、大人も反省って続かないんだな。どうしたらいいだろう。このまま怯えた生活を送って卒業なんて嫌だなあ…

冬が近づく。一騒動起こしてやりたいという欲望がわたしの中にじわじわ芽生えていった。

Aも相変わらずわたしの心の平穏を脅かす。誰彼構わず好き勝手怒鳴る奴なんて大嫌いだ。なんでこっちが我慢しなくちゃならない。担任もAも、なにも学習せぬまま、これからも人を傷つけていくんだろうか。なんて哀れな人たち。誰かが報復してやらねばならない。


いつの間にかわたしは、Aモデルの女生徒がクラスのみんなから迫害されいじめをうける小説をノートに書き殴っていた。かなり残酷な内容だったと思う。

この小説が、クラス内で大反響をよんだ。

最初わたしのこの小説を評価したのは他でもない、いつもAと一緒いるキラキラ女子"Bちゃん"だった。
「ねえ、このいじめられてる奴のモデルってもしかして、Aのことじゃない?」
なんでBちゃんがわたしの小説を読むことになったのか経緯は忘れた。でもこれが始まりだった。

「あたし実はAのこと大っ嫌いなんだよね」
「この小説と同じこと、あいつにしてやろうよ」

こうしてわたしとBちゃんは【首謀者】となった。奇跡のタッグだ。 そこからは次第にクラス内の"強いものたち"の層が、わたしの小説に触れていった。ベストセラーだ。なんとみんな実はAのことが大嫌いだったらしい。Aが強かっただけに、みんなも今まで感情を抑えてAと接していたと。
そして小説の筋書き通り、「Aを嫌う会」的なものが発足された。会員No.01、わたしはリーダーとなった。恐ろしい勢いでAに対するヘイトがクラスじゅうに広まっていく。クラスの半数がAにたいしてよそよそしくなった。その中でBちゃんはAに一番近い位置で、いつも通りを装ってだんだん「強さ」を無くしていくAを見守る。今考えるとこういうところが恐ろしいわね、女子って。

昼休み、空き教室に鍵をして会員No.08くらいまでの男女が集まる。その様子はまるで幹部の会合だった。
「みんなが今までAにされたこと言われたこと、改めて教えて」
溜まってた鬱憤を晴らす場所は必要だった。これを共有することでまた仲間意識は高まる。わたしたちがしていることはいじめっ子がやることだろうか?今考えてもこの時わたしたちが共有したものは全て「被害者の意見」だった。みんな「やられる側」で、Aの存在に苦しんでいた。

今後どうしていくか。12歳やそこらの少年少女は暗い空き教室の中で計画を立てた。このまま会員を増やしていく、みんなこちら側に取り込んでしまおう。そしてこれは、わたしたちを舐め腐っている担任のあいつに対する報復でもあるのだ、と。「卒業前に何か騒動を起こしてやる」 この願望はいつしかわたしだけのものではなくなった。

数週間して、ほぼ全てのクラスメイトが会員となった。Aが次第に学校に来なくなり、ついに「やった」と思った。あの時のわたしは間違いなくクラスを先導していた。お前たち、そのままAに逆らうことなく今までのように我慢して過ごすのか?嫌だろう。仕返しする時がきたんだ。ここにいるみんな仲間だから、お前はもうあいつの存在に怯えなくていい。
「会員No.01」であったわたしはその時人生で1番の快感を知った。

でも、これといってAに対して暴力を振るうとか、私物を盗むだとか、いじめらしい行為は特にしていない。ただ、みんなAという存在を拒絶できるようになっただけ。Aに言われるがままトイレに一緒に連れていかれたり、掃除の代わりを頼まれていただとか、そういった子たちがNOと言えるようになっただけだ。

Aのいない教室はどこかみんなの表情が柔らかかった。しかしAが学校に来なくなり1週間以上も経つと、さすがに担任は感づきはじめる。2週間ほど経過して、とうとうAの母親が「娘がクラスで孤立させられている」と学校に乗り込んできた。Aだけがいない教室、担任はHRでわたしたちを叱りつけた。さあここからが本番だ。

一方的に叱りつけたあと、担任はわたしたちに反省文を書かせようと宿題を出した。奴の説教に精根尽き果てたようなクラスメイトがけっこういて、そいつらはあっけなくいかにも「反省してます」な文章を提出したらしい。
けれど、わたしやBちゃん始め数人の女子は未だ抵抗した。

「確かに、わたしたちがAちゃんに対しやったことは、いじめと形容されても仕方の無いことだと思います。しかし、先生はAちゃん側の話だけ聞いてわたしたちの話は一向に聞こうとしてくれませんね。わたしがAちゃんに過去にされて傷ついたこと、泣かされたことは無かったことにしたくありません。先生はAちゃんに謝れとだけ言いますが、わたしには今謝るなんてとても出来ません。わたしたちがここまでしなきゃいけなかった経緯を、先生はちゃんと聞いてくれますか。」

こんな感じの文章を書いた記憶がある。
わたし含めた数名の女子が、未だ抗ったおかげであのチンピラのような担任はやっと聞く耳を持ったようだ。次の日から授業を潰してクラス会議が2日行われた。男子たちは途中で解放されたので自習したり先に給食の準備をしたりしていた。A含むクラスの女子全員と担任だけで空き教室を貸し切って長いこと話した。「わたしはAちゃんにこういうことをされて本当に嫌でした」ってのを各々言っていったきがする。今思うとこれAにはなかなか酷な時間だったろうな。最終的に和解してみんなで謝りあって終了。担任やAの今までの横暴さは失われ、卒業まで比較的平穏に暮らせたと思う。すべてわたし初め数人がしっかり行動した成果の賜物だ。しかしAとBちゃんだけはどうしてもそこから一切口を聞くことはなかった。



中学に上がった。小学校の時のめんつとほぼ変わらない。平穏であったはずのわたしの日々だったが、Aの1件をきっかけに「仲良くすべき人間、味方にすべき人間」をようく見極めるようになった。
わたしに寄生している女子がふたりいた。家庭環境に問題がある長身色白のCと、姉御面で仕切りたがりのD。以前まではAへのヘイト存在が強すぎた集団において、このふたりは幸運にもAの影に隠れていられた「嫌われ者」だった。CとDのふたりは全くもって関わりはない。だがふたりともわたしに依存していた。
わたしはわたしと仲良くしてくれる人が好きだったから、CともDともよく遊んでいた。けれどある時から「こいつら全然わたしのこと大事にしてないな」と思うようになった。ふたりの共通点は「わたししか友達がいない嫌われ者なのに、わたしに対して横暴な態度を多々とる」というところ。一度思い出したら「気に食わないな」という感情は止まらなくて。わたしはまずCを捨てた。
無視とか嫌がらせとかはしてない。わたしは他の子たちのところへ言っただけ。Cはもう不快な存在でしかなくなったから。そのうちCは完全に孤立して、どこからともなく「Cは風呂に入ってないから臭い」という噂?が流れ出した。たしかにCの臭いは不快だった。わたしは言わなかったけど
Cは不登校になった。唯一の友人であるわたしが離れたから。

Cが「くさい」「学校こないで」とクスクスと陰口を叩かれているときDはそれに便乗していた。けどCが学校に来なくなって、Dは笑っていられなくなった。わたしは今度はDを決別した。Dちゃん、今までいっぱいあそんだね、交換日記もしたしプレゼントも色々交換したね。でもね、わたし全然あなたのこと好きじゃなかったみたい。嫌な思い出しか浮かばないもの。我儘なあなたの言うことを素直に聞く大人しいわたしはもういない。つぎお友達作る時はもっとその子を大切にしたほうがいいよ。
わたしが他のグループに移り、素晴らしい仲間を確立させた時、もうDはわたしに話しかけては来なくなった。そして学校にも次第に来なくなった。


思春期の鬱屈を発展させるには充分すぎる環境だったと思う。高校生以降、わたしはこれといってこの人が嫌だというような人物にぶち当たることは著しく減る。減るというか、自然とそういうストレスフリーな環境が作れるように自分が成長したのか?
多少なりとも、リアルで「この人ちょっと関わっていくの嫌だな」と思った人間というのは、わたし以外からも嫌悪の目を向けられている人だ。そしてそのまま育つならいつの日か迫害されてもおかしくないような人。

Twitterなどで頻繁に「いじめ」に関する議論が飛び交っているのを目にすると、この時の自分を振り返ったりする。
「いじめた側が100%悪い」 そういう人もいるが果たしてそうか?いや、いじめっ子を擁護する気はないけども。そしてわたし自身は自分がいじめっ子であったとも思わない。わたしは、わたしの自尊心を下げるような相手と一緒にいることを辞めただけだ。不登校になった子たちは、わたしにとってもクラスにとっても有害だった。そこにいるだけでマイナスを撒き散らしていた彼女たちは迫害されるべき存在だった、今でもこの思いは揺らぐことは無い。

ただ陰口言ってるだけだったら自分の身の回りの環境はちっともよくならない。行動を起こしたからわたしの人間関係の悩みは改善された。ああしなければ少なからずとも当時のわたしの心は死んで今の自己肯定感の高いわたしは存在していなかっただろう。

わたしは、わたしに向けた好意をちゃんと言動に現してくれる人が好き。そういう人たちに囲まれて日々を過ごしていると思う。
だから、わたしを大事にしなかった奴らがどんなに辛い目にあおうが野垂れ死のうが知ったこっちゃないのだ。





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