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再開。再会。

日記感覚というか、生きた証というか、エッセイというか。まぁぶっちゃけ、どの括りになってもいいのだけれど、自分の感情を文章で定期的に吐き出さないとどうにも自分をコントロール出来なくなってしまうのが私という人間だったみたいで。


以前は別名義でnoteをやっていた。
でもある日突然思い立ったようにアカウントを消した。
「あぁ、消そう。やめてしまおう。」そう思い立ったので。

あえて理由をあげるとするならば、なんだか疲れてしまったから。
それしか言いようがない気がする。

「どうせSNSをするなら誰か1人でもいいから心に刺さって欲しい」そう思って高3の時にnoteを含め色々なSNSのアカウントを始めた。でも段々と、「自分の体験や感情を世の中に発信して何か意味はあるのだろうか、私はこんなことで生きた証を遺して逝けるのだろうか」と、偉く壮大なことを考え出すようになってしまった。誰にも急かされてない責任を勝手に背負い込んで自分を押し潰していた。

「誰かのために」という気持ちがだんだんと「自分を認めてほしい」という気持ちに変わってしまったのも心が潰れた原因の一つだと思う。「認められたい」という欲求はおそらく誰の心にも潜んでいるものだと思うけれど、私はあまりにもそれに支配され過ぎてしまったみたい。

このままでは自分が壊れてしまうと思い、持っていたほぼ全てのアカウントを削除した。思い立ったその日に。

馬鹿な話だよね、自分でもそう思う。



じゃあなんでもう一度始めたのか。前の名義を使わず、わざわざ別人を装って。

ここで冒頭に戻る。

昔からやらなければいけないことが溜まると自分の感情をコントロールできなくなる節があって、そのたびに癇癪を起こしていた。(その節は両親、学校の先生、友達、関係者の皆様、大変ご迷惑をおかけしました。)

その癇癪をどうにか起こさないために私がとった手段が、『思ったことを全部文字にして起こしてみること』だった。

これが結構性に合っていて。

書き出すのにかかる時間と頭の中で考える速度はだいぶ違うから、文字として書き起こしている間に気持ちが落ち着くっていうのもあるし、書いて目に見えることで自分が今何を考えているのか客観的にわかる。何より目でみることで「あぁ、私もまだまだちっちぇ人間だな」と思える。今自分が何で悩んでいるのか、何を思って心がぐしゃぐしゃになっているのか、整理する意味でもとても良かった。


自分だけの記録としての日記じゃダメなのか?誰に見られることもない紙の手帳じゃダメなのか?正直な話、それでもいいと思う。てかなんなら日記もつけているし、自分の中だけに留めておいた方が、以前のことを思うと楽だ。

でも、素敵な文章がたくさん溢れているnoteから離れたくなかった。
これも私にあっていたからかもしれない。

どうせnoteにいるなら私も書き物したい。元々文章を書くのは嫌いじゃないし、それにライターさん(?)への憧れもある。小説や詩を書いてみたい気持ちもある。自分の気持ちを音楽や映像にのせてみることもあるけれど、やっぱり文字に起こすのも好きだから。


だから戻ってきました。ただいま。


以前フォローしていた方ともう一度出会えたり、新たに心惹かれる言葉に出会えたり、この投稿が世に出る前からnoteに心を癒してもらってました。
自分を表現できる場ってやっぱり素敵だよね。帰ってきてよかった。


本当はもっと早く投稿を始めたかったけれど、キリがいいところで始めようと思って出し渋ってました。


前は自分の経験したことを基にお堅めものを書いていたけれど、それはちょっと合わなかったみたいだからやめておこうかな。きっとnoteを楽しんでいる方々は私の書く文章を見て「ポエマーみたい」と嘲笑する人はいないだろうからのびのびと書いてやろうと思う。


「まぁ、今時間あるし、こいつの文章読んでやらんこともないかぁ〜」ぐらいの感覚で見て欲しいし、自分もそんな感覚で書こうと思います。

ここまで読んでくださったあなたに感謝を込めて。
改めて、よろしくです。



2022年12月2日(書き溜分)


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