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終わった会話のその先に。

先日とある方とお話しした時、あるテーマの感想がきっちり言えなかったことに最近ずっとモヤモヤしていた。

そのテーマとは
『Mさんにとって、Sさんってどんな存在だと思う?』

MさんとSさんでは年齢も親子ほどかけ離れており、経歴も全く異なる。
特筆すべきはMさんがモンスター級に社会的影響力のある人ということだ。

対してSさんにはまだ社会経験がなく、その部分でみると天と地ほどの差がある。いや地上と宇宙の果てと言っても過言ではない。

しかし、MさんはSさんを可愛がっている。

私はまだMさんに会ったことはないが、(Mさんと Sさんは)同じものを見て同じようにそれについて普通に話せる相手なのだろうな、気負いなく話せるのだろうな、と推察している。

もちろんMさんとしては親のような気持ちで接しているのかもしれないが、それでもどこかSさんは心からリラックスして話せる相手なのだろうなと勝手に思っている。

そんなぼんやりした推察しかない中で、
『Mさんにとって、Sさんってどんな存在だと思う?』
と問われた。

私の頭の中に咄嗟に浮かんだのは、質問者にとって納得のいく回答をしなければ、ということ。
その方向性でSさんの存在意義を言葉にしようとしたが、あまりに2人に差がありすぎて、
そして傍から見てもなんでその2人の組合せが成り立っているのかわからなすぎて、
「う〜ん、、えーー」と悩んだ挙句、Sさんの価値に言及した回答が出来なかった。

というのも、Sさんは社会経験がなく、私から見ても「大丈夫かな⁉︎」と心配になるほどで、いわゆる社会的に見た褒めポイントがまだ少ないのだ。

でも、社会価値に置き換えられない部分では素晴らしいものをたくさん持っているように私は感じる。

例えば、どんな相手でも態度を変えないところや、子どもに異様に懐かれるところ。
ぼんやりしているようで本質を見極めているように言葉の端々から感じるところ。

私自身もどちらかというと“今の社会”で社会的価値を生み出せる人間ではないから、Sさんのことを余計に良く見ているところはある。

しかし、社会価値において大きな力を持つMさんはどう見ているのだろう。

余裕があるから面倒を見ているのか、子どものように思っているのか、それとも。。
MさんとSさんが一緒にいる理由、その問いが何故か私の心から離れなくなってしまった。


その問いについて考える中でSさんが私に言ったある言葉を思い出した。

「自分みたいなのが生きやすい社会だといいっすね」

そうSさんはポロりと言い、何故か私は『そうだなぁ』と深く心の中で同意した。

そしてMさんの発言や考えなどを記事を通して読んでいると、
『次世代の社会課題の解決につながる産業』
『長期的視点で社会を豊かにする』
ということに向き合っていると理解した。
(本当はもっと奥深い思想なのですが、簡潔に話を進めるためざっくりと)

そうやって2人のことを行ったり来たり考えていると、
「もしかするとMさんが求める豊かな社会って、Sさんが鍵を握っているのでは」と私は勝手に繋げてしまった。

目の前の1人さえも幸せに出来ないのに、それで社会が幸せになるとは思えない。
つまり、MさんがSさんを本当の意味で幸せにできた時、社会でも通用する法則が見出せるのではと。

Sさんだけを見ていては気付けないが、Sさんが Mさんの目の前にいるという、その“関係性”に目を向けると見えてくるものがあるのでは、と。

関係性の中で人は変化する。
だからMさんにとって、そしてSさん自身にとって、お互いは『進化の鍵』だ、と。

会話の中では答えられなかった問いに対する、私なりに納得する答えが出た。
だが、この答えを質問者にもう一度会って伝える機会はない。

こぼれ落ちた会話の断片から派生した枝先に葉がついたから、
これを言葉として残しておこうと綴りました。

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