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見た目は大人、中身は子供

アニメの世界では逆を謳い文句にしているものもあるようですが、現実世界では見た目に反して精神年齢の低い大人が徐々に増えていると言われています。

私の身の回りにも多くて日々困っています。

 「いつまでも少年のような心を持った男性」

というと聞こえがいいですが、節度や常識をわきまえなければそれはただのクソガキでしかなく、「精神年齢が低く、手のかかる幼稚な男性」というとマイナスなイメージしかありません。

そもそも男性は、女性に比べても精神年齢が低いという人が多いと言われています。

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しかし、普段はそこまで精神年齢が低いなと思わせるように見えなくても、ふとした瞬間に「実はこの人精神年齢低いかも」と思う言動が見えることがあります。

特に上図②の社会人になってからの精神年齢の成熟度合いが遅れれば遅れるほど、まだまだ男性社会がちなこの業界でも周囲に与える迷惑や悪影響は計り知れなくなっていきます。

精神年齢が低い男性はオフィシャルでもプライベートでも周囲にストレスを与えるものです。みなさん自身がそうならないよう、常に自身の言動に気をつけましょう。


精神年齢が低いということは、つまり大人になり切れてない部分があるということです。全てが大人になり切っている必要はありませんが、ビジネスの場で相手に迷惑を与えるような「子供」では困ります。

そこにはどのような原因があるのでしょうか。

もちろん元々の性格であったり、過保護な両親の教育によるものだったりとその原因はさまざまだと思います。おそらくはピンポイントで"これが原因だ"というのは無いかも知れません。そしてこれは長年の生活環境が培ってきたものなので、簡単には改善できないというのが難点です。

 "三つ子の魂百まで"

なんて言葉もありますが、30にも40にもなったいい歳したオッサンがいまさら変わるわけもない…と言う気がするのもわかります。

育ってきた環境というものがあり、それが自身の性格を形成している一部になっているのですから、凝り固まった価値観を変えるとなると本人が大人になるという強い意志や、それにともなった行動を強制的にやっていくことでしか精神年齢というのはなかなか上がらないかもしれません。

ですが、ほとんどの人は「自分が精神年齢が低い」とは思っていないという人であるというのが現実でしょう。

ちなみに。

私自身も100%大人になり切れていると思っていません。
ただまぁそう客観視できるだけでも、自分は少しだけマシかな?とは思っています。なにより「他人が私に迷惑をかけてこない限りは、他人の迷惑になるような自分勝手な子供意識を持たない」と固く決めています。心ではなく、頭でそう決めているので自制が働きます。


自分目線でしか考えられない

精神年齢が低い人の特徴は、自分を中心に物事を考えがちなところです。他人を不幸にしたいと思っているわけではありませんが、視座が低く、視野が狭いためどうしても自分を中心に据えてしか考えられないのです。

このタイプは、言動の主語は常に「自分は(俺が)」で始まるところにあります。どんなに言葉を選んでいても客観的事実に基づかない限り、基本的な主語は「自分は(俺が)」で始まります。主語を略していても言っているレベルに変わりはありません。

 「(俺は)そうは思わない」
 「(自分は)こうした方が良いと思う」

基本的に、会話が論理的ではなく「個人の思い」を主張するところも特徴かもしれません。相手の目線になって考えることができないので、とても独りよがりな思考・言動をします。

プライベートであれば、自分が楽しくなければ相手が楽しんでいようがおかまいなしに場の空気を乱してみたり。オフィシャルにおいても、どんなに役に立つ提案であっても、自分が気に入らなければ建設的な意見もなく、反対ばかり。相手よりも自分の気持ちの置き所の方が大事なので、そんなこともお構いなしなのです。


言葉遣いが乱暴

「おい!」「うるせぇ!」など、精神年齢が低い人は反抗期の子供のような言葉遣いを使いがちです。あと、二人称に「お前」と蔑称を使う人なんかも注意が必要です。

言葉遣いがすぐに乱暴になる人は、つまるところ相手の気持ちを察することなく、また感情抑制がしっかり機能していないと言うことです。

大人になるとTPO(Time, Place and Occasion)といって、時と場所そして場合によって言葉遣いは敬語を使うなど、きちんとできる人がほとんどです。オフィシャルの場でわざわざ相手に不快感を与えるようなことをしようとする、あるいはしても構わないと思っている時点で相手目線で物事を見ようとしていないことの証拠です。

そもそも乱暴な言葉遣いをするというのは、相手が傷つくかもしれない、怒らせるかもしれないということを考えていないということでもあり、自分以外の人に対する思いやりに欠ける行為に他なりません。そんな簡単なこともわからないような人が、精神年齢の高いわけがありません。


ちょっとしたことでキレやすい

もちろん人間ですので怒ったり、イラっとしたりすることはみんなあります。しかし、大人と子供の違いはその許容範囲が大きいか小さいかです。沸点が高いか低いかです。

ほとんどの大人はよっぽどのことがない限りはキレたりなんてしません。我慢するという理性があるからです。その点、精神年齢の低い人は我慢が出来ません。少しでも自分が気に食わないことがあれば、感情的に怒って場の雰囲気を乱したりします。

子供がお菓子を買ってもらえず、売り場で怒って泣きまわって親御さんを困らせるのと同じだと言えばわかりやすいでしょうか。

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子供が駄々をこねているのは傍から見ていると微笑ましくもありますが、じゃあもしそれが大の大人だったらどうですか?

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バラエティ番組を傍から見ている分には笑えるかもしれませんが、リアルに直面すると、イラリとしてきますね。

ちなみに、私は平均して1~2年くらいは継続して我慢します。
感情ではなく、思考で「それくらいは我慢する」と決めています。

 「1年(2年)は我慢する…その間に改善できなければ、見限る。
  その代わり、爆発したら2度と修復しない」

そう考えて耐え続けます。実際には、そうなる前に『君子、危うきに近寄らず』の精神で、問題の起きない環境に身を置きます。精神的にも保たないからです。


セルフマネジメントが苦手

子供は親がすべてを管理してくれます。しかし、食事、健康、お金など大人になれば自分自身で管理していくのが当たり前です。

しかし、精神年齢が低い人はとにかく自己管理が苦手です。そりゃそうですよね、子供の頃と同じだと思っているからこそ、精神年齢が低いわけですし。自制より欲望を優先してしまっているのでしょう。

それが如実に現れるのは「時間管理」「金銭管理」そして「健康管理」です。

生活リズムを整えるのが苦手で、夜遅くまで起きてて、朝起きることができなかったり、生活費を使い込んでしまい、公共料金の支払いが滞っているなど後先考えないお金の使い方をしてしまったり、好き勝手に暴飲暴食を続け、長く患う病気に悩まされたり。

あとは、わかりにくいところで「他人とのかかわり方の管理(協働管理)」ができていないのも特徴です。人づきあいが苦手とか、そう言うことでは無く、そもそも自己中心的になってしまっているため、他人と軋轢を生まない接し方ができないのです。


いちいち大げさ

社会人になると、少し体調が悪いくらいだとなかなか仕事を休みにくいものです。なぜならその仕事に責任があるからです(もちろん「休むな」というわけではなく、だからこそ日頃からの健康管理が重要ということなのですが)。

精神的に大人であれば、そもそも体調が悪くならないように自己管理に努めるものですが、精神年齢の低い人は自己満足を優先するため、そんなことには労力を費やしません。

私の知っている人たちは、明日も朝から仕事…どころか重要な会議が控えているというのに朝方まで学生のようなノリで飲み続け、体調が悪いからという理由で休むことを選ぶ…なんてこともありました。

そして、いざ問題が発生するとすべてが大げさになります。微熱でももう死んでしまうかのように大げさにしてみたりするわけです。

先ほどもいいましたが、精神年齢が低い人というのはとにかく我慢が苦手です。風邪などの病気であればまだしも、飲みすぎで体調不良になるなんていい大人のすることではありません。自分が休むことで、周りに迷惑がかかるということまで考えが至らないというところにも繋がります。


すぐに他人のせいする

親に怒られた時の子供の口癖で多いのが「だって」「でも」ではないでしょうか。

子供は怒られるのが嫌で、すぐ他の人のせいにして素直に謝ることがなかなかできません。それと同じように、精神年齢の低い人は自分の失敗なのに、どうにかこじつけで他人のせいにしがちです。

これを「他責」と言います。

 「自分のミスは他の人のせいだ。自分は悪くない」
 「自分もミスしたかもしれないが、相手のミスの方が大きい」

という考え方自体が、実に幼稚な考え方で、とても自立した大人の言葉とは思えません。

相手のミスを責めている暇があれば、まず自分のミスを改善すべきです。仮に相手にもミスがあったとしても、その是正を促すのは、自分のミスを改善してからであるべきはずです。

こんな人が上司や先輩、あるいはお客さまにいると、思わぬトバッチリを受けてしまうかもしれません。要するに無責任なのです。


ルールを守らない

社会で生きていくには、必ずルールを守らなくてはいけません。

もちろん、子供には子供の世界のルールがあります。そのルールを守ることを教えるのが学校であったり、親であったりします。だからこそ、親の立場になるべき大人であれば、子供をまともな大人に育てるために、ルールを守るのは当然のことなのです。

法律を守るのは当然で、それと同じことです。

犯罪にならなくても、学校や会社で守らなくてはいけないルールもあります。普通なら守って当たり前のルールすら守れないような人は、精神年齢が低いと言わざるを得ませんよね。たとえば「他人に迷惑をかけない」なんてのは常識的な暗黙のルールですが、そういったことを守れない大人は非常にたくさんいます。

ルールを知らなかったというのであればまだしも、知ったうえでルールを侵す選択をする人がまともな大人と呼べるわけがありません。

人は生まれた時点で、その『国』の国民として迎えられます。国民であり続けるためには、その国のルールに従わなくてはなりません。また、人は生まれると、『家庭』の子供として迎えられます。その家庭の一員であるためには、その家庭のルールに従わなくてはなりません。県、市区町村、学校、クラブ、友達グループ、etc.…。ある社会や組織、グループに所属している以上、その輪の中にあるルールを守れないのは、『人として未熟』であるということなのです。

先日も、国の、あるいは新幹線乗車のルールを守らなかった被告が、無期懲役の判決を下されましたが、動機も、裁判中も、判決後の態度も、『人として未熟』であったのは言うまでもありません。


まとめ

学問的な精神年齢はさておき、一般的に社会人としての精神年齢は、基本的に次の2点をベースに考えるものだと捉えていいでしょう。

 「相手の立場に立って考えて行動する力」
 「自分と相手の関係を客観視する力」

これらをどれだけ普段の社会や生活に活かせているかで、精神年齢の度合いが測れます。精神年齢というのは、他人の力で底上げするのは難しいものです。

大人になるまでの環境下で、適切に育まれていることが望ましいのですが、それが無理な状況で大人になったとしても、自己研鑽でなんとかするしかありません。

少なくとも、周囲や他人が甘やかすものではないのです。

そもそも、周囲に対して迷惑となりやすい人なわけですから、中途半端に重用しようとすると、その反動でまともな人材が苦労をさせられることになり、組織やチームの和が乱れやすいという側面も出てきます。『精神年齢が低い大人』と言うのは、とても扱いが難しいのです。

いっそのこと、採用面接などで学生や中途採用者本人に直接聞いてみてもいいかも知れませんね。

 「あなたは自己中心的ですか?」
 「あなたは精神年齢が低いですか?」
 「きちんと守るべきルールは守りますか?」
 「感情抑制は得意ですか?」
 「大人として、節度ある行動がとれますか?」

と。大抵は「違います」「できます」と言うでしょうけれども。

今後、もし採用面接などをする機会があれば、質問の後に、私なら最後にこう付け加えるかもしれません。

 「これらの質問は、ビジネスパーソンとして、組織人として、
  こういった当たり前のことを社員には大前提として求めています。

  もしも『苦手だ』『できてなかったなぁ』と思うことがあれば、
  これからしっかりとできるようになっていかないと…、
  言い換えれば敬意を払われる大人像に変わっていかないと、
  企業としてもあなたを正当に評価できなくなるかもしれない、
  と言うことです。

  どこの企業でも「当たり前」と思って、あえて言葉にしませんので
  当社に入るかどうかはともかくとして、胸に刻んでおいてください」

と。

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