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だから「学生」は嫌われる

ここで言う「学生」とは、現在在学中の学生をもちろん含めてはいるのですが、どちらかと言うとここでは一般的な社会人との違いを知ってもらう上で、

 学生気分が抜けていないまま、
 いつまで経っても結果が期待値に達しない人

のことを指していると思ってください。

そう、「学生」そのものが嫌われているのではなく「学生気分」が抜けない人が嫌われていると言うことです。ちなみに、これは20代の比較的若い社会人だけを指しているのではありません。30代でも40代でもどこか学生気分が抜けきっていない人と言うのはたくさんいますし、私自身たくさん見てきました。何歳になっても

 ・翌日の仕事に支障が出るような酒の飲み方をする
 ・「勝ち負け」で物事を判断し、同僚の足を引っ張ることばかり考える
 ・1から10まで、すべて答えを教えてもらえると思ってる
 ・言われたことだけしていればいいと思ってる
 ・権利権限には相応の責任が伴うと言うことを理解していない

こういう人を見かけたことはありませんか?

なんなら定年前の方でもいるでしょうし、課長、部長、役員と言った他人の人生まで左右しかねない人の中にもこういうケースは見て取れます。残念ながらそういった人たちを野放しにし、あるいはある一面性だけを見て高く評価した結果、多くの従業員たちを苦しめる会社は後を絶ちません。

中途半端に素の能力が高いと意識面やモラル面が大きく欠如しているケースはなんとも多いような気がします。周囲の先輩や上司も、そこまで能力が高くなかったためにあまり強く否定しづらいのかもしれません。


当たり前ですが、この学生気分の抜ける/抜けないと言うのは、就職したかどうかで勝手に切り替わるものではありません。いつの時代も「切り替わるべき」と言うべき論を振りかざす人が後を絶ちませんが、そんな都合のいい現実はありません。過去を思い返せばそうはならなかったことが見て取れます。

「気分のあり方を変える」なんてのは、あくまでも個人の"気付き"を含めた自己改革によって切り替わっていくものです。しかも、ある時を境に劇的に切り替わるのではなく、ゆっくりと時間をかけて変わっていくものです。

しかし、企業がその切り替わりを待っていられるのは長くても2~3年。できれば2年目には「新人」と言う肩書きもなくなり、後輩も出来ることですし、少しはその変化の片鱗を見せてもらわないといつまで経っても大きな仕事を任せたいと思えません。いつまで経っても学生気分が抜けない人と言うのはどんな組織、どんな企業でも大抵嫌がられるものなのです。

では、社会人が社会人であることの『本分』とは何でしょうか。

“社会人”という位置づけは「学生ではなくなること」ではありません。そうであれば幼稚園に入るまでの赤ちゃんも社会人と言うことになってしまいます。必ずしも「これ」と確定的にいうものではありませんが、ここでいう社会人を「企業に所属する人」「組織に属する人」と捉えるならば、その本分とは

 (生活の一部としての)労働提供

ではないでしょうか。もちろん労基法よろしく「一定時間の」とは言いません。求められた結果を提供できれば、労働力量の程度は問われません。

あくまで個人の生活ありきで、その上に仕事が成り立っているとイメージしてください。世の中には「社畜」等と言う造語もありますが、当然そのようなものになる必要はありません。

多くの企業、多くの組織が営利を目的としていることからもわかるように、我々社会人の労働とは結果的に営利に結びつくことが前提ですし、結びつかなくて平気な顔をしていられる人間は給与を受け取る資格はありません。だからと言って過剰な自己犠牲を伴ってまで企業の言いなりになる必要もまったくありません(非営利組織は、お金の入ってくる先が別にあるから営利を求めなくてもいいだけで、従業員に給与を支払っていないわけではありませんよ)。

この辺はバランスがとても重要なのですが、簡潔に言ってしまえば「企業の営利を目的として行動し、営利に反する行ためを慎み、また行動した内容には必ず責任を持ち、職務を果たすこと」をそれぞれ一人ひとりが守っていけばよいと言うことです。

一般に過剰なまでの残業や休日出勤を伴わなければならないような状況に駆り出されるケース等と言うのは、この大原則を守っていない社会人がどこかにいて、その尻拭いをさせられているに他なりません。ゆえに一人ひとりが(欠けることなく)この本分を全うしていれば、決して大変な業務状態になることもなく、その尻拭いに駆り出されて過剰な労働提供を強いられることもない…というわけです。

逆に、誰か1人でも手を抜いて本分を果たさなければ他の誰かが迷惑を被り、困ることになっていることでしょう。

一般的な社会でも同じですよね。

本質的な部分は、学生時代にしても同じだったと思います。体育会系サークル…たとえばサッカーサークルに所属していたとしましょう。フィールドに立つ11人のうち、3人が怠けていてロクに動いてくれなかったとします。他の8人がそれをフォローしないと負けてしまいます。いくら怒っても怒鳴っても形ばかり謝っているだけで、一向に改善される気配はない…それでも勝たないといけない。

…なんて状況だったとした場合、当然残りの8人にズシリと大きな負担が乗ってきませんか?

たとえば、ゲーム前には監督から方針や戦略的な話をされることがありますが

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こういう戦略は、それぞれのポジションの人が役割を十分に果たしているからできることです。

私が所属しているIT業界が「3K」や「7K」などと不名誉な言われ方をしてネガティブイメージが定着し、一昔前に就職したくない業界ランキングでも常に上位を席巻しやすかったのは、そういった本分を果たそうとしない役割の人がたくさんいることが原因で発生していたわけです。

社会人の本分を果たさない…つまりはいつまで経っても学生気分が抜けていないということです。業界の問題というより「人」の問題です。人災です。

実際、私が所属した会社、おつきあいした会社(取引先、外注含め)で役職を持っている様々な方のなかで、

 ・なぜ責任者なんてやってるんだろう?って人が7割
 ・人が好く、能力の有無にかかわらず上手くやっていけそうな人が2割
 ・面倒くさい性格だけど、信頼できる仕事ぶりの人が1割弱
 ・この人と仕事がしたいと思わせた人が3…4人

って感じだった気がします。

「プロ意識の低下」「責任意識の欠落」と言ったところがとても大きいのでしょう。多重下請け構造がまかり通る上に、建設業界や他の製造業とは違ってプロジェクトの進行方法や基準が、業界として確立されておらず、企業ごと、チームごと、人ごとにバラバラと言う風土…と言うか、業界全体を取り巻く環境も影響していると思います。

これから、この業界の門を叩く学生のみなさんにもし語弊のあるネガティブな認識が残っているようでしたら、もしくはそう言ったネガティブイメージ通りの境遇に陥りたくないと思っているようでしたら、まずは

「じゃあ、そうならないようにするために自分は何をしたらいいだろう?」

と言うところから始めてみてほしいと思います。決して学生気分のまま、ゆるく、のんびり、適当にやっていれば何とかなるなんて思わないでいてもらいたいのです。そういう人は、よほど会社に、あるいは上司に気に入られない限り、同じく学生気分のままの上司や先輩の餌食になります。

これを他人任せにし、自分では何も考えず、言われたことだけやっていればいい…と思うようになってしまうと、学生気分バイト根性から成長することなく、より「社会人の本分」から外れた、質の悪い大人へと変貌を遂げていくことになります。3Kや7Kを生み出す原因となっているのも、その大半はこうした人たちの仕事による影響なのです。

そりゃそうですよね。

何千万、何億、何百億…と言うお金の動くプロジェクトの重要な部分を、ただのバイトに任せてみるとイメージしてみてください。マンガの世界でもない限り、失敗しないわけがありませんよね。

「失敗なる」という言葉が存在しないように、「失敗」とはなるものではなくするものです。人の手によって起こすものです。

この業界において失敗する確率が非常に高いのは、それだけ「人」がITを取り扱うにあたって、十分に成熟していないと言うことです。そして、そんな人たちがそんな未熟なまま上司や経営者をしていて誰も咎めないのが今のIT業界です。

まぁ、実務レベルで優れた人は、実務を今後も任せたいからこそ、上司や経営者になりにくいと言う傾向もあります。ですが、だからと言って実務はともかくマネジメントレベルの低い人間を上司の立場にしても、邪魔にしかならないのですが、何故かこの業界でも他業界と同じく

 「上の人に気に入られるくらい愛想がいい人」
 「社内政治に長けている腹黒い人」
 「他人の実績を自分の評価のように見せるのが上手な人」

が出世する仕組みになってしまっています。

たとえば、1億のプロジェクトで10%の利益を出して終了した5~6名のチームがいたとしましょう。

みなさんは、このチームの一人ひとりが具体的にどのように貢献したのか、10%の利益のうちそれぞれが何%ずつ貢献したのか、きちんと図っているチームや企業があると思いますか?

私の知る限り、そんな観点で評価してくれるような企業は存在しないのではないでしょうか。

そうすると、たとえばマネージャーが-5%…つまり、存在しているだけでチームの負担になるような存在だったとしても、メンバーのうちの数名が努力し、連携し、頑張ったおかげで+10%まで回復させたような結果になっているかもしれないと言うことです。

そんなチームだったとしても、企業はマネージャーから報告を受け取ろうとしますし、マネージャーもそんな具体的な測定はしていないので、自分の落ち度が公に知れ渡っていないのなら、あえて言う必要性を感じず、意図的に隠そうとするでしょう。

まるでいたずらをして、親に叱られないように隠す子供と同じ発想ですね。

そうして高収益を上げると、マネージャーが評価されていき「マネージャーまで務めたのだから…」と何をどう務めたのかも見ずに役職を上げていきます。優秀なチームメンバーは不満を抱き、企業の評価制度に疑問を感じます。そのマネージャーが上司になると知れば「今後も苦労させられる」と絶望するかもしれません。

結果、この国にはそんな企業しか存在しないと悟ってしまえば、外資に転職していくか、あるいは自ら起業しようとするのでしょう。ひょっとするとIT業界にベンチャー企業が多いのはそのせいではないでしょうか。

ある大手SIerの部長が仰っていました。

 「うちも、採用はここ数年、毎年計画人数を割ってるみたいで、
  本格的にヤバいかもしれない」

今、私のいるIT業界は大きな転換期を迎えているような気がします。

クラウドが浸透し、ビッグデータがもてはやされ、IoTなどと言われた技術を駆使した産業そのものが変革しつつあり、そしてやっとAIが実用化されそうな業界もハッキリしてきました。

ハードやインフラ面も連動してきて、爆発的な技術進化が起こりそうな機運も高まってきています。

ですが、学生気分が抜けない…あるいは社会人の本分を全うしようとしない人たちの存在が許されるような組織のままでは、おそらくこの流れについていけません。組織の中核を担う人たち自身が「ついていけない」「ついていこうとしない」うえに、企業としても「ついていくための環境が整えられていない」のですから当然です。

このままでは、日本のIT業界は足元から崩れていく気がします。

自社パッケージ、自社サービス、自社製造だけで存在している企業はまだ何とかなるかもしれません。ですが、労働集約型に特化し、長い多重下請け構造の中で安穏と生きてきた企業は要注意です。

一人ひとりがプロ意識を持って、あるいは自らの本分を全うして、活動することをこそ最重要とする企業にならない限り、過去の因習に縛られたまま自己改革しようとしない企業は、中長期的に見て、存在することが許されなくなっていくことでしょう。

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