アラフォー上海留学日記【128日目】

7/3 水

今日は授業ではなく、IKEAに集合して課外活動をやるとのことで、10時に漕溪路のIKEAへ。時間通りに行ったら李老师しかおらず、マンツーマンでしばしおしゃべり。先生が、须田は確実に伸びたと思う、中級の瓶颈期(ボトルネック)を抜けて高級に入っています、高級ではまた瓶颈期があるだろうけどきっと超えられる、と言ってもられてうれしい。
授業中はあまり日本語をしゃべることはなかった先生だが、今日はちょこちょこ日本語を使ってくれる。留学生向けの先生は必ずひとつ外国語を話せないといけないそうで、日本語担当は李老师のようだ。東京では大規模なIKEAは立川にありますというと、立川は夏に花火大会があるでしょう、行ったことありますよと言っていた。立川で花火大会なんてあるんだ? 知らなかった。先生のほうがよっぽど東京に詳しいではないか。

10分くらい経ったころに承泫&喜庆のヤング韓国人ペアが到着。承泫が、隣のクラスの学生はひとりも来ないと思う、あのクラスの韓国人と友達なんだけど、みんなでサボるって言ってたよ、とこっそり教えてくれた。学生だなあ。张老师、梦梅、邻殷が来たので課題スタート。邻殷は子供を連れてきているようで、あっちに子供を待たせてるんだけど、おなか空いたと連絡がきたからちょっと別行動するわ、と早々に離脱した。
韓国人2人、ドイツ人1人、日本人1人でIKEA内をまわり、先生から与えられた課題をリサーチして簡単なレポート文を作成する。IKEA自体はとくに特徴的なところもなく、立川IKEAとあまり変わらない。ドイツではIKEAの商品はあまり買わない、あまりに普通で人と被るからと梦梅が教えてくれた。

梦梅にリーディングのテストどうだった?と聞くと、満足している、86点だったと言う。くそう、負けた。私は84点。リーディングでは1位をとりたかったよ。
みんなでレポート文を書いていると、仙一から、须田~今着いた~みんなどこにいる~?と連絡が。これで韓国人クラスメイトは4人来たことになる。えらい。休憩スペースで仙一と合流し、しばしおしゃべりしたのち、仕事があるという梦梅と別れて、韓国人3人とごはんを食べに行くことになった。
仙一がよく行くという武康大厦近くの龙门阵车屋川菜馆へタクシーで移動。ここはバジルのカクテルが有名なんだそうである。ほかの席に仙一のママ友がいて、韓国駐妻のランチはここらへんが有名なのだなと実感した。

お店のマダムが、韓国の人がよく来ますよと英語で話しかけてきた。韓国の人にはこれもおすすめ、といろいろ教えてくれる。どうして韓国だとわかったんですか?と承泫が聞くと、見た目でわかる、でも彼女(喜庆)は中国の子だと思ったとマダム。なんで私だけ~!と喜庆が言うので爆笑。そしてマダム、まだまだ甘いよ。私だけ日本人。

41歳の仙一と25歳の承泫、23歳の喜庆、3人そろうと年上2人が喜庆を妹みたいにかわいがっていることがすごくよくわかる。歳の差こそあれクラスメイトどうし、よいトリオだなあと思った。
おしゃべりし足りず、近くのカフェに移動する。ここも仙一チョイスだ。おしゃれなグッズも展開しているよいカフェである。

母親が結婚した年齢になると複雑なきぶんになるよね…と承泫が言い出したところから、恋愛や結婚の話が盛り上がる。喜庆が、これまで男の人と付き合ったことがない、韓国にも中国にもかっこいい人がいない!と言い切るのでみんなで爆笑。今はとあるバンドマンに夢中らしく、私はこの人がいればいいと写真を見せてくれた。
高校生の弟には彼女がいるらしく、じゃあ弟は早く独立して家を出ていくかもしれないねと言うと、いや、親のカードで買い物しまくるバカだから! 脳みそがないから!と主張するのでまた爆笑した。
承泫が、韓国人の友達がティーチングアシスタントの啊川老师のことが好きで、告白しようかと相談されたんだ、というのでおどろいた。ティーチングアシスタントへの恋。しかも告白って。なんて青春なんだ。

ここには書き切れないくらい楽しくおしゃべりして、友達と待ち合わせがある承泫と、子供の世話がある仙一と別れ、喜庆といっしょに学校に戻る。
彼女は日本料理と日本のアニメが好きらしく、寿司は2週に一度は食べるし、コナンの「真実はいつもひとつ!」というセリフを日本語で言うことができる。好きなバンドやアイドル、アニメや食べものの話になるととても楽しそうで、23歳ってこんなにスレてないんだ…と癒される。
彼女は大学の数学科を出ており、数学の能力をつかった仕事を探すのかと思ったら、数学はもうやりたくない、卒業してから一回も数学はやってないし、帰国したらもう中国語も勉強したくない、毎日寝ていたい…とのことで、じゃあなんで数学と中国語勉強したのよと突っ込みたくなる。こういうとぼけたところがあっておもしろい子なんである。
授業中はあまり話す機会がなかったけど、勉強関係なく2人で話しているととても楽しい。日曜日には帰国するそうで、もっと早く仲良くなりたかったなと惜しい気持ちがわいてきた。

部屋に戻って仕事のメールなどを片付ける。こないだ観られなかった日本語字幕つきの『シン・シティ』をあらためて観ようと大卫と約束していたので、AmazonPrimeにログインできる自分のPCを持って、ビールを買いつつ彼の部屋へ。今回は入口の阿姨に学生証を預ける必要があった。10時半までに戻ることと念を押される。
大卫が外卖しておいてくれた松木屋Pine Tree Houseのピザとチキンケサティーヤがうまい。ハラペーニョソースがめちゃくちゃ合う。上海に来てから初めて西洋の食べ物を食べた気がする。チーズは偉大。

Amazonの日本語画面を見た大卫が、日本語はスマイルしているように見えて好きだという。どうやら、ひらがなの丸みがやわらかい印象を与えているようである。部屋にあったホワイトボードに日本語を書いてくれと言うので、ケガお大事に、という気持ちで祝你早日康复と書き始めたところで、あ、これ中国語だと気づき、きっとすぐ良くなるよと日本語で書き直した。なんかロシア語も書いてみてよと頼むと、みなさん、日本はとてもクールだよという意味の言葉を書いてくれた。

映画に出てきた日本人の殺し屋ミホが、あまりにも西洋の人が考えたサムライニンジャガールで笑う。日本刀と手裏剣を操る、ロボットみたいに表情のない無慈悲な殺人兵器。おしゃべりしたり中断したりで内容をあまり覚えてないのだが、バイオレンスシーンを観るだけでもおもしろい映画であった。
銃のシーンが多かったので銃の話題になった。大卫は、チェチェンでもモスクワでも、ショットガンからアーミー用までいろいろな銃を扱ったことがあるという。高校生のときは小型の銃をバラしてどれだけ早く組み立てられるかを競争したよと言っていて異文化を感じる。こうやって暴発した銃で死ぬキッズもいるんだろうな。

「~吧(~しよう)」は日本語でなんというのかと聞かれ、動詞の最後が変化するから難しい、「行こー」「食べ行こー」だけ覚えておけばいいと教えた。速攻で「ヤキトリ食べ行こー」とめちゃくちゃ自然な発音でいうので、今度焼き鳥を食べに行くことにした。すぐ使いこなせてすごい。母国語、英語、中国語、あと高校生のときに第二外国語でドイツ語を少し勉強したそうで、その語学力を羨ましく思う。
ロシア語での「いっしょに食べに行こう」の言い方も教えてもらったが、難しすぎて覚えられなかった。韓国っ子たちと話しているときも、いくつか韓国語を教えてもらったのだけど、音だけで覚えるのはほんとうに難しい。教えてもらったからには覚えたいのに、くやしい。

卒業するので宿舎を引き払うという中国人の友達のもとに、不要になった椅子をもらいに出て行った大卫が、ドアの外から「シミン、シミン!」と呼ぶのでなにかと思ったら、私の名前を間違えて覚えていたようだ。須田の中国語読みはシューティエン。えっ初めて会ったときにシミンって言ってなかった!? 日本語の名前がシミンなのかと思った、と慌てている。WeChatにもシミンと登録していたようで、ほんとうにごめん、僕を殴ってくれと言うので殴った。
名前を知らなくても問題なくコミュニケーションがとれるというのは、中国語の特質かもしれない。あなた(你)という言葉があれば事足りる。そういえば私は、シンさんの本名もいっちゃんの本名も知らないのであった。

1時ころ3号宿舎を出ると、入口の叔叔に怒られた。1号宿舎までの途中で、うずくまって嗚咽を漏らしている子がいた。大丈夫?と聞いてみたが反応はなく、どうやら電話しながら泣いているようだった。大卫が、彼氏と別れたんだろうという。卒業シーズンは別れのシーズン。我々は1号宿舎前でパカー(ロシア語でバイバイ)、做好梦と言って別れた。
それにしても今日は中国語をたくさん使って疲れた。毎日これだけ使っていたら、さぞかし上達したことだろうと、いまさら思う。


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