アラフォー上海留学日記【23日目】

3/20 水

昨日はよく歩きよく食べたからか、体の調子がすこぶるよい。眠気はあまりないが、念のため学内超市で珈琲を買う。いつもの店員さんではなかったからか、タンブラー値引きをしてくれなかった。

听说课の授業で北京のニュース番組の動画を観たが、あまりに聞き取れなくてびっくりする。話すスピードがめちゃくちゃ速いし、儿つけすぎ。テーマは、結婚の条件がどう世代によって変化してきたか。
1950年代は夫婦の布団があればよし、60年代は最低限の家具(36条腿)、70年代は自転車・腕時計・ミシンに加えて当時流行していたラジオ(合わせて三转一响と呼ぶのだとか)。80年代は冷蔵庫・洗濯機・テレビ、90年代はクーラー・パソコン・ビデオ、21世紀は車・家・お金。

先生が、このクラスの若い子はラジオ見たことある?と聞くと、知ってるけど触ったことはないと言う。そこから中年は大盛りあがり。mp3あったよね、MDもあったよ、いやその前はCDでしょ、私なんてカセットテープをウォークマンに入れてたよ等。これ、中年の大好物のネタ。酒場でまったく同じ光景によく出くわす。

阅读课の授業では、上海租界の弄堂(路地の集合住宅)の歴史を学んだ。アヘン戦争後、上海に住むことを許された外国人たちが住み始め、農民運動後に流入してきた浙江省の金持ち中国人たちに部屋を貸したことが弄堂の始まりだそうな。1950〜70年代に最盛期を迎え、朝から晩までとてもにぎやかだったという。両隣はまるで家族のように、路上にテーブルを広げていっしょに食事をしていたし、老虎灶と呼ばれる、お湯汲み場兼お茶飲み所兼体を洗う場所も共同。
80年代から徐々に壊され始め、いまでは田子坊や新天地などの商業施設として、当時の面影を残すのみになった。6年前に上海にきたとき、どっかで弄堂みたいな景色見かけたけどな。小南门あたりだっただろうか。まあ、今はもうないだろうが。

今週の金曜日は教室で授業を行わず課外授業をするとのことで、上海城市规划馆の入場券を予約。ほかのクラスの学生もいっしょだそうで、小学校ぶりの社会科見学だ。
授業後は食堂で、昨日見かけたおばあさんがせいろで小籠包かなにかを食べているのを見かけた。おばあ仲間と3人で昼食をとっており、ますます謎が深まる。何者なんだろうか。あと、きくらげ炒めを頼んだら、残りが少なかったからかフライドポテトを追加されたのも謎。

語学学習アプリで知り合ったJINさんと木曜に徐家汇で会う約束をする。また徐家汇だ。4月から上海駐在が決まっている知人は、徐家汇に部屋を借りることになりそうだという。徐家汇、3週間上海にいただけでなにかと出てくる。私にとっての新宿みたいなものになりつつある。

母に連絡し、荷物に同封してほしいものリストを送る。その価格とグラム数もメモしておいてくれと伝える。EMSで送るとき、内容物を記載しないといけないから。それにしても、価格や重さまでこんなに細かく書かなきゃいけないとは知らなかった。前にロサンジェルスの友人に送ったときは、もっと適当だったけどな。

Twitterを見ていたら、中国の民俗学を研究している無常くんと、セキガミタケシさんが中国庶民生活ナイトというイベントをやるという情報が入ってきた。これは見たい。オンラインチケットを買おう。そういえば、昔、無常くんがツイートしてた西安の農村の奇祭に行ってみたいと思ってたんだ。あれどこだっけ。
いろいろ調べて、宝鸡の血社火だとわかったが、春節明けの催しのため、今年はもう終わっていた。残念。私がこっちにいるあいだに行ける祭はないかと、传统民俗文化、传统民间文化などのキーワードで検索しまくる。やはり春節明けのイベントが多く、ちょうどよいのは見つからなかった。防備録として、祭の名前?だけメモ。これだけの量をまとめてあるのは貴重なはず。

打铁球、游神、走古事、跳火堆、血社火、上刀梯、翻刺床、营老爷、醉关公&烟斗大叔&和政妖婆、傩文化、穿令箭、军坡节

こんなことをしているうちに日が沈んでいた。予習を少しして、食堂が閉まる直前に駆け込みで、葱油拌面を食べる。上海にきているのに3週間も葱油拌面を食べなかったなんて不思議だ。箸がなかったので、近くにいた学生に教えてもらい、箸が入っている箱にセンサーに手をかざすと、コロリと一膳出てきてちょっとおもしろかった。そういえば、学校で留学生以外の学生と話すの初めてかもしれない。

部屋に戻って予習の続きと復習を少し。とくになにもしていないのに、あっという間に時間が過ぎていく。平日の夜は1時ごろには寝るようにしており、夜が短く感じるからよけいに。夜が本番、という生活を何年もしてきた弊害。でもやっぱり夜が好き。上海の夜を楽しむすべは、まだ見つけられていない。

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