見出し画像

アイドル現場で学んだ人生訓。


1,推しの卒業に伴って。

1・プロローグ

  舞台で元アイドルさんの歌声に魅了されて、アイドル現場に足を運ぶようになって三年と八か月。その中で出会った最愛の推しがこの夏に引退し、正直抜け殻のようです。常に推しは輝き、心の支えとなってくれました。
 私はいわゆるDDではないので(DDが悪い、というのではありません)、ライブハウスに行かなくなってひと月以上が経ちました。
 ライブ現場では、良い事がたくさんありました。こんなオッサン(笑)にも優しく、拾ってくれた先輩方…。息子よりも若いのに、仲良くしてくれた方。素晴らしい写真を撮られる方々。共に涙した方もいました。ひとつの現場から実質去っても、気にしてくださり、連絡を下さったりご飯をご一緒してくださる方もいます。
 正直、この年(五十六です)になって、たくさんの方々と知り合えた事、現場から去っても何らかの繋がりは絶えないんだろうなぁって思える人々と出会えた事は本当に、本当に大きな財産です。

 反面、良くない事もたくさんありました。

2・思う事

 純粋に、〇〇さんを応援したい!とだけなら、どんなに楽しかったでしょうか。
 例えば、私は趣味でギターを弾きます、が好きな同志がいて、それぞれに相棒(ギター)がいて、話が盛り上がるとしましょう。例えば『ストラトの切れの良い音が好き』『私は、レス・ポールの太い音が好き』と、お互いの嗜好を尊重しながら(もちろん、主張が相容れない方もたまにはいますが)、楽しく交流できると思います。
 アイドル現場では、そうは行きません。アイドルさんはひとりだからです。周りのファン(オタクという言葉は使わない)の方々との距離が近い現場では、仲良くできる方が稀である、というのが私の実感です(きっと実際には個人差が激しい事と思います)。
 私の姿勢に問題があったかのも知れません。アイドルファンとしてミックス、コールが好きではないなど、ダメダメな点が多いのは自覚しています。ただ、いくつかの現場では私がこれまで生きてきた中での常識を逸脱することがたくさんありました。
 それを例示するつもりはありません。アンビリーバボーな事があった分、マイナスをプラスにしたいという思いで、今、文を書いてます。

3・マイナスをプラスに

 嫌な事は、良い事や楽しかったことよりも澱のように心に残ります。推しとの楽しい思い出がいっぱいあるにも関わらず、今、嫌な事にとらわれている自分がいます。そんな私の現状は、現場で自分とは対極の行動(きっと生き方もまるで違うんのでしょう)を取っていたり、私を攻撃したり裏切ったり陥れた方々にとっては嬉しいことでしょう。表面上だけでなく、内面もやってやったぞ!と。
 しかし、そんな事はどうでも良い。改めて理解できたこと、初めての発見、知らなかった事で学ぶべき事も沢山ありました。あちらこちらでされた嫌な事も、何故か?を熟考する事で、色々な事が見えて来ました。それを自分のこれからの人生に役に立てたいし、これに目を通した奇特な方のうち、誰かひとりでも、何かを感じてくれたらと思います。

2、人生訓

1・承認欲求と自己肯定

 承認欲求が強い人。他人から認めてもらいたいという気持ちが強いから、”いかにも”自信満々にふるまう。平然としている。”何とか”人から認めてもらい、自己肯定感の低さを補おうとする。”いかにも”も、”なんとか”も、はたから見ると哀れです。本人は必死なので、余計に哀れです。

 自己肯定感の高い人。人にそれを誇示する必要はないから、謙虚にふるまいます。つまり、自分の中で完結できている。礎がある。

 自己肯定感が高い人は、別に『能力が高い人』ではない。能力がある人だって、上手くいく事ばかりではない。真面目に頑張ってる人ほど、目をつけられる事もある。承認欲求の強い人は、そんな”単純に真面目な人”を”愚かな人”と捉えて、道具として利用するのも上手です。

2・自己肯定感を高めたい

 上手くいかない自分を”仕方ない”と受け入れて、いやでも次は…と、少しでも前向きな気持ちで”自分一人で”立ち上がれる人が、自己肯定感を保てる人なのでしょう。
 どうしたら、そんな人になれるのか?幼少時より周囲に認められ、優しくも厳しい愛に包まれて育った人?確かにそんな人は放っておいてもなれるかも。でも、滅多にいないでしょうし、今、これからどう生きるか?と考える人にとっては、私も含めて絶望的な話です。

 よく、”挫折してるかしてないか”という例示に出るのが、『受験』『就職』に失敗しているしてないというお話。これも、”してるしてない”というテンプレにすると話が終わってしまう。どちらがお軽いかという問題では無いが、例えば『恋愛』『友情』etc…?の挫折の方が自分を見つめるという上ではバリューが上かもしれない。それは、前者の様に人からの評価ではなく、自分ひとりの内面の事だから。 そう、全て内面で消化するのだ、比較では無いのだと捉えた上なら、端から見たらちょっとした挫折でも、乗り越えられたら大きな糧にできるだろう。

3・自己肯定感を高めるには

 徒競走で、皆同時にゴールさせるのはどうかと思う(これもカタチだけやれば良いのでは無いという意味です)が、よーいどん!勝った!で達成感を味わえる成功者は一部なのも現実。では、どう考えるのか。

 最近、陸上競技で、日本トップレベルの方と話す機会があったのですが、「あいつよりタイムが上だから満足、順位が上だから満足…としていたら、単なる比較で終わってしまう。それは、マイナスな自己満足。練習でも、あいつより一周多く走ったから今日は満足。ではなく、今日は疲れたから終わりにしようかな…と思った時に、”いや、もう一周…いや二周頑張るぞオレ!”って、自分自身の中で積み重ねを繰り返しておけば、一枚の紙も重なれば厚くなるように自信になり、試合当日を安定して迎えられる。また、積み上げて”ここまでやったんだから”という自己肯定感があれば、試合の結果がどうあろうと受け止められる」と聞きました。

4・ちょっと、話を戻して…

 話は戻って、表でも裏でも、色んな場面で周囲を威圧していたり、変に自信満々だったり、他人を馬鹿にしたり、根拠のない感覚・比較を基に、自分が正しいのだという言動をしている人。哀れとは思いますが、周囲を巻き込むこともあるから、性質が悪い。
 カタチだけの、張りぼての自信だからこそ、比較や嘘の流言などで人を貶めたり、無理やり他人を巻き込んでおいて(ほら!この人もこう言ってる!)と利用したり、見かけ上自分が優位な立場を勝手に作って乗っかって、満足しているのでしょう。
 しかしながら、行動を拝見していると中には明らかに悪い事をしているという自覚を感じられる人もいます。だったらどうするの…繰り返すの?という話です。人生はまだまだこれから、やり直す、生きなおすチャンスはたくさんあるのです…が(この”が”は根が深いですね)。本当はわかっているけど、現状美味しすぎて…という沼から出るのはきついのでしょうね。

5・これからも生きていく

 祖父から教わった生き方で「人として徳を積む生き方」があります。
小さくても良いから善行を行い、自分自身を褒める。「俺さ、今日良い事をしたんだよ、あのね…」とか、他人に言った瞬間に”徳”は消えます。何故消えるのかは、ここまで読んで下さった方にはご理解いただけるでしょう。

 私が中学生の時に亡くなった祖父は、五歳で養子に出され僧侶になりました。その教えは、自己肯定感を増すことに繋がっていたのだ…と、四十年以上経った今になって気が付きました。ただし、その教えを成就するには果てしなく、まだまだ道半ばである事も。

 自分に出来る範囲の”善行”。あえて例示などしませんが、本当にちっぽけな事で良いと思います。前述のアスリートの方が、”一枚の紙も重なれば…”とおっしゃっていた事にも繋がりますね。

3、終わりに

 はい、ここまで読んで下さった奇特な方に、まずはお礼を申し上げたいです。ありがとうございました。
 たかがアイドル現場の事で、考えすぎじゃねえの?バカみたい…と、思われるかも知れません。でしたら、謝らせて下さい。時間を奪ってごめんなさい。
 三年八か月の大冒険は終わりました。推しは尊く、引退しても、いつまでも大事な存在です。本当にありがとうございました。あなたに出会えたから、また、新しい自分を見つけられたよ。推しも、皆さんも、良き人生を!

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?