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云われれば理解できるが、何故か誰も見ない世界

24時間対応の職場に、勤務時代を含めて30年近く働くと、普通の人とは感覚が違ってきます。

2年間で3日の休みを全部旅行に使う。なんて時もありました。22時頃に勤務が終わって0時頃にレンタカーで出発、旅館では寝られましたが、朝帰宅して着替えたら仕事。当時は30代独身だから出来た無茶ですね。

また、夜に30分かけてオフ会にゆき、電話で出血が止まらないと云われて5分で帰った事も。時間を延長して待ってくれていた友人達にはあきれられました。

今でも、完全休日は月に1-2回、月によってはゼロですが、当時との大きな違いは家族の存在です。

旅行の中止は当たり前すぎて、逆に前日にいけそうだと1泊近所に電話予約するのが常態化しています。どうしても実家に連泊する必要があった時には、事情を話してその間は転院していただきました。24時間体制の経験者である奥さんは、時間できっちり処理する訓練をうけているので、無駄に休みを潰されるのが大嫌いで、手際が悪くて潰れた日にはとても機嫌が悪くなります。あと、GWに休んだことは1度もないのですが、4-5月のどこかに休日を作らないと、どんどん怒りっぽくなります。

1日まるまるの休みが無いと、休める瞬間に何をするか。やりたいこと、必要な事をそこに集中したいようで、昨日も仕事があったので、17時出発20時帰宅の買い物ツアーでした。

対応される側は、事情があるんだから1日くらい潰れたっていいだろう、と思われますが、対応する側はそれが重なると全て消えるんだ、とは云われないと気づかれないです。

コロナ騒動で医療従事者に目が向いた発言をされる方が増えましたが、その超過労働のしわ寄せが家族に及んでいる事は、なかなか見えていないです。それがあるから退職するんです。


ps.安楽死についての報道などでも、安楽死はどうあるべきか、死ぬ本人はどうか。については書かれますが、する側の苦しみについては、見えない様です。

そうして世間には見えない世界にながく暮らすと、医療はドブさらい、なんて自嘲するようになるんですよね。


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