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朝鮮半島から奈良時代に移住した人たちを抹殺しないで欲しい

曇り無きまなこで地図をよくみると

日経の解説とは別のものが見えてこないか?

大規模な弥生遺跡のある場所は青く、

記紀等に、諸蛮・今来と呼ばれた古墳時代から奈良時代の移民が住んだ、瀬戸内、近畿、日本海側の東北北陸、埼玉を中心に赤い。

東アジアで大規模な北方民族の南下があった事はわかっている。古墳時代以降には彼らの一部が須恵器や機織り、仏教などの先端技術をもって朝鮮半島や沿海州から日本に移住した記録もある。特に新羅による統一は大量の遺民を日本にもたらした。

何故、弥生時代に赤い遺伝子のグループが大量に来たと云うのか?わかっているのは、弥生時代があった事だけだ。

この表は現代人のDNAであって、直接発掘された弥生人の人骨を調べたわけではない。発掘人骨では全国平均ではなく、偏りが出来てしまう。だから現代人なのだが、現代人だと、何時混血したかという時代変化がわからない、そこが盲点になる。

地図を弥生遺跡と重ねると、水田や弥生遺跡を作った中心にいたのは縄文人の子孫だと云う結論の方が自然だ。無論、大陸から、南西諸島などをとおして移住した人たちが稲と栽培技術を持ち込んだのだろうが、その人数は考えられるほど多くなかった、若しくは気温低下で出て行った縄文人が帰ってきた。だから、縄文人は、弥生人に追われたのでは無く、縄文文化を発展させるか、弥生文化に生活を変えるか、自らの意思で決めていった。実り豊かな東北では縄文文化が大規模化し、気候の厳しい西国は稲の栽培を選んだ。縄文文化と弥生文化の共存も同族なれば理解しやすい。どうでしょう?

そうでなければ、弥生時代の終焉、例えば倭国大乱などで、武器と兵力に勝る好戦的な縄文人が、弥生遺跡から弥生人を追いやって、四国や近畿に封じ込めた。という結論になる。それはそれで面白いと云えば面白いが、現実味はないでしょう。

民族移動を弥生時代のみでしか考えない記者や医学者は、もう少し記録や遺跡に注視してほしい。

それと、朝鮮系の人々と文化に対する抹殺は差別行為だと思いますよ。

ps.元論文を確認。比較は縄文人と現代日本人、現代漢民族であり、弥生人骨とは比較していない。大陸から南下して移住した人たちの子孫が、瀬戸内や日本海側、埼玉に多いとしか結論出来ない。日経は、何処をみて弥生時代という言葉を出したのか不明。

弥生人が何処から来たのかの定説は無いが、古墳時代以降の移住の記録はある、秦氏、東漢氏、百済遺民、高句麗遺民など、朝鮮半島や中国北方からだ。コメントで指摘されたが、稲の遺伝子やその他の遺物も、弥生人が南下した北方民ではなく、南方からの移住の可能性が高いことを示す。後代、長崎辺りの海賊が交易したのも、一時期を除けば大陸の南方なので、九州北部に弥生遺跡がある事に不自然は無い。


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