思い出のストラップ
現在、私は精神科病院に勤務している。
とはいえ治療をする立場ではなく、事務員として、所謂受付のお姉さんだ。毎日受付で、いろんな患者様やそのご家族とコミュニケーションをとる。時には患者様からお叱りを受け、時にはお褒めの言葉をいただき、大変なことも多いが毎日が充実している。
今回のnoteはとある患者さんとの出会いで考えさせらたことを書きたいと思う。
守秘義務があるためぼやかして書く部分が多く、分かりにくい文章になることをご了承いただきたい。
とある患者さん(以下Aさん)は、とある疾患で通院していて、病状はマシになったり悪くなったりを繰り返していた。体調が良い時は世間話をしてくれたり、逆にこちらの体調を気遣ってくれたりした。
ある日、Aさんの財布にストラップがついていることに気付いた。中華街で売っている、唐辛子の連なったガラス製のストラップだ。厄除けの意味合いがあり、ミサンガのように唐辛子が取れると厄落としになるらしい。
Aさんと色違いの唐辛子ストラップを、好きな俳優さんの出演していた番組のプレゼント企画で当たって手元に持っていた私は
「私も同じの持ってます!おそろいですね!」
と声をかけた。Aさんも貰い物でなんとなくつけていたらしい。Aさんは私の言葉を聞いてニッコリと微笑んでくれた。
数ヶ月後、Aさんは亡くなった。
病院で勤務していると、どうしても人の死と向き合う場面が多く、一人一人に寄り添った対応を心がけてはいるものの、亡くなった際の対応は粛々と行っていた。だが、どうしてもAさんの死はショックだった。手元にあるストラップを見る度に、あの時のAさんの笑顔を思い出してしまう。
私の持っているストラップは、Aさんとおそろいで買ったわけではないし、中華街に行けば誰でも買える、ごくごく一般的なありふれたものだ。同じプレゼント企画に当選して持っている人もいるだろう。だが今では、元々は好きな俳優さんとの思い出(というか企画の記念)の品だったものが、Aさんとの思い出も加わって、決して忘れることのできない、忘れてはいけないものに変わった。
昨今、人の死について考えさせられるニュースを頻繁に耳にする。人はいつ死ぬか分からない。それは身近な家族かもしれないし、友達や恋人かもしれない。全く関係のない他人かもしれないし、自分かもしれない。私は、私が明日生きているか、確信を持って「はい」とは言えない。
だからこそ、一日一日を噛み締め、妥協せず、でもたまには肩の力を抜いて、自分に厳しく、とことん甘やかして、他者との関わりを感じながら、"今"を生きたいなと思う。みんなもね、生きようね。
ストラップの唐辛子が全部取れてしまっても、私の頭の中からAさんが消えることはない。このストラップは、私とAさんが時を共にした証だ。
ご冥福をお祈りいたします。
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