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ミッドナイト・ラン

オールタイムベストワンを続けよう。

「シーズ・ソー・ラヴリー」(1997年アメリカ)でショーン・ペンが演じていたエディという男が、娘の「二番めの親友」になりたいという。

「いちばんの親友」は何人もいる、「二番めの親友」は一人だけだから、と。

日本語を遣うわたしたちにはわかりにくい感覚だけれど、好きな映画を挙げるときにはわたしも使いたくなる。

「いちばん好き」な映画は何本もあるからだ。

その一本がこれ「ミッドナイト・ラン」(1988年アメリカ)。

わたしはかねてから「ロバート・デ・ニーロ大根説」を唱えている。

もちろん、多分に逆説的に。

でも、コメディにおいては彼はかなり本気で大根なのではあるまいか。

ふざけるときの顔芸が、口をへの字に曲げるの一択なんだもん。

彼がコメディで成功するのは、相手役が抜群にうまいときだ。

「俺たちは天使じゃない」(1989年アメリカ)のショーン・ペン・

そしてこの「ミッドナイト・ラン」のチャールズ・グローディン。

賞金稼ぎのデ・ニーロがギャングの金を慈善事業に寄付した会計士のグローディンを捕まえてニューヨークからロサンゼルスまで連れていこうと苦労する物語。

出会った瞬間、つまり捕まる瞬間なのだが、グローディンは一目でデ・ニーロが気に入ってしまったのだと思う。

騙し騙されして追いかけっこをしながら、二人は友情を深めていく。

別の賞金稼ぎやFBIの捜査官たちも追手に加わって、護送なのか逃避行なのかわからなくなっていく面白さ。

全員がそれぞれに間が抜けているのもいい。

おじさんだらけのロードムービーで、出てくる女性は四人だけ。

ダイナーのウエイトレスと、鉄道の切符売り場の係員、デ・ニーロの別れた妻と娘。

この娘が泣かせる。

わたしは何度号泣したことか。

親友とは、他の誰もいってくれないことをいってくれる人。

これはわたしの定義だけれど、二人はそんな親友同士になる。

その友情の表わしかたが、また男性ならでは。

こういう男と男と大勢の男、みたいな映画を見ていると、自分が女っぽくなった気がする。

この人の妻だったら、恋人だったら、と想像して、しょうがないなあとか、かわいいなあとか、いちいち反応しているからだ。

べつにイケメンでなくても若くなくても構わない。

わたしが映画を見る動機の一つは「女が最後に惚れる男」を探すことだから。

これも「いちばんは複数いていい」英語圏スタイル。

ときどき発表していこうと思う。