鎖骨日記#8
どうも、すちです。
鎖骨骨折の入院もいよいよ最後の夜を迎えました。人生で初めての入院生活で感じたのは、やはり看護師さんとPTさんの存在の大きさでした。
看護師さん・PTさんの懐の広さに心洗われる
医療従事者を志す人の特性なのか、ここで働き始めてからそうなったのか、それはわからないが、みんな優しいのだ。入院患者の大半がじいちゃんばあちゃんで、人によっちゃボケ始めている人も当然いる。そんな想定外の動きの連続の患者さんたちに対して、本当に根気強く、丁寧に、誠意を持って向き合っている。少なくとも自分の目には、そう映った。当の方たちに言わせれば、イライラもするし、雑な対応になってるときもある、かもしれないが、それでもこの二週間過ごしてきて感じるのは、やはり圧倒的な優しさ。効率・生産性の改善を求められ続けてシステマチックに働く自分の会社員生活と比較すると、人間味に溢れ、人と人との繋がりがあり、暖かさを感じる空間なのだ。
・ねぇ、そこで待っててって言ってるでしょー
・どうしたの?トイレ?うんうん、わかったよ、また呼んでね
,またトイレ行くの〜さっき行ったばっかりだから寝る前にしようね
・それ外しちゃダメだよ〜怒られちゃうよ〜
・そこはいっちゃダメ〜ヒトの家だよ〜
・今ヒトの家行ってたでしょ〜もぉ〜
なんか患者さんと看護師さんのやりとりを聞いているだけで癒され、心を洗われる。そんな気がするのだ。今の自分に足りないものをなんかこう気づかせてくれようとしているような、そんなに急がずに少し落ち着けよ、と言われているようなそんな時間が流れているのだ。やっぱり、きっと、このタイミングで今回の大怪我をして、長い間病院のお世話になったことには意味があったのだ。走っていたら見えない世界を、見る余裕のなかった世界を少し見てみろよ、そう言われているのだと思う。
看護師さんのキャリアってどうなるん?
一方、医療従事者の仕事の大半が、医療行為ではなく、介護行為になっていることは少し気になった。どうしても高齢者を相手にする仕事だから、介護行為が多くなるのも分かるが、ほぼ介護と言っても過言ではない。とすると、看護師はどうキャリアを築いていけば良いのか、そんな疑問が湧いてきてしまう。看護師としての専門性を高め、キャリアを形成していこうと考える向上心のある人からすると、介護ばかりに時間を取られる職場は実践の場として魅力的に映らないのではないだろうか。
ここで働いている看護師のみなさんが、医療行為はもちろん、高齢者とのコミュニケーションを含む介護行為をしてくれていることで、多くの高齢者が面会のない病院生活で正気を保ち、頑張って治療を受け続けられているのだと思う。その点で、看護師のみなさんの日々の仕事に本当に頭が上がらない。しかし、医療人材が逼迫する中、働く環境・医療現場のあり方として、もう少し改善の余地があるのではないか。どうしても、そう考えてしまう。日々頑張って働いている姿を見てきたからこそ、看護師の皆さんにとっての働きやすさを少しでも改善させられないものかと思う。
伝えきれないこの感謝の気持ちをどうしたら…
これだけ看護師さんの存在の大きさを痛感し、心から、腹の底から感謝の気持ちが湧き上がってくるわけなんですが、その想いを言葉にして伝えようと思ってもどうも伝えきれない。日々忙しい看護師さんの時間をとって長々と話すわけにもいかないし、だからといって手紙を書く勇気もない。しかし、手紙をつらつらと書きたいくらいの感謝の気持ちが溢れているのだ。
自分と同じようなシャイな人が看護師さんに感謝の気持ちを伝えられる。その気持ちを読んで看護師さんの日々の頑張りが少しでも報われたら、そんな気持ちでいっぱいである。
なんかこうアンケートとか、目安箱とかそういうのを書ける場所があればなんかこうそのフレームにのせてつらつらと書きたいと思うんだが、いま一歩勇気が出ない。(チキンめ)
知り合いの看護師と話しながら、なんかやれることないのかなぁ〜とか少し話してみたいなーと思うのであった。
初めの方にも書いたけど、やはりこの入院期間は今の自分に必要な期間だったのだと改めて思う。少しペースを落として自分と向き合ってから、また歩き出そうぜってことなんだろう。あくせくしすぎず、人生の豊かさに軸足を置き、自分自身を見失わないように一歩ずつ少しずつ日々の幸せを積み上げていきたい。
では、また明日
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