昭和の暮らし:(15)米と灯油の配送

幼稚園のころは、家で使う米は、米屋が軽トラで家に配達に来ていた。その後スーパーで買うようになるが、父の田舎から送られてくる米を食べることも多かった。

米を縦型の大きな「米びつ」に入れて、唐辛子を入れて保管していた。今検索すると「昭和レトロ 米びつ」などで出てくる花がらの縦長脚付きの米びつで、ボタンを押すと1合分のお米がさら~っと出てくるのだった。上に電子ジャーを置けるようになっていた。

お米やさんは、米だけではなくて、灯油も配送していた。
冬は灯油のストーブか、こたつで過ごした。

お米やさんと子どもは直接話をすることはなかった。ただ、ある土砂降りの雨の日にバスで家に戻ろうとしていたバス停で、その米屋さんが軽トラで私達親子をみかけて、自宅まで軽トラに乗せていってくれたことがあった。だからいい人だったんだろうと思う。

ちなみにそのお米やさんが現存していて、私が「どうまい牛乳」を買うために行くスーパーに米をおろしているので、今もそのスーパー経由で同じ米屋の米を食べている。