学校が結果に責任を持つといつ言った?

 「高い金出してお前の学校行かせてるのに、成績上がらないじゃないか!」

 成績上げますって、言ってませんけど?

 自分は、教員の仕事は自分ができる最大限の授業やクラス運営をすることだと割り切ってます。そのための努力や勉強は惜しまない。しかし、その指導を受けるか受けないかは生徒次第だと。あと、申し訳ないけれど、全員に効果があるかどうかも責任は持てない。

 学校ってね、レストランと一緒じゃないかと思うわけですよ。レストランって、作り手ができる最大限の料理を出すことが仕事じゃないでしょうか?そのために材料にこだわったり技法を学んだりするわけでしょ。でも、どれだけおいしい料理を出しても、食べるかどうか選ぶのは客。おいしいかどうか選ぶのも客。注文してお金払って残すことを選ぶのも客。食べたふりするのも客。

 食べる気のない客に食べさせるのが無理なのと一緒で、とことんやる気のない生徒に勉強させるのなんてどだい無理。精一杯対応はするけれど100%なんて不可能。

 あとね、「学校も金もらって仕事してるんだから結果を示せ!」という人もいるんだけど、それって医者に「金もらって仕事してるんだから病気絶対治せ!」って言ってるのと一緒じゃない?病気が治らなかったときに「金払ったのに治らないじゃないか!」って怒ります?例えばお金もらって家建ててるのとは違うわけですよ。あ、家建てる仕事を差別してるわけじゃないですよ?仕事の質の話ですよ。教育や医療はその過程にお金を払うのであって、建築や商品売買は結果にお金を払うものなわけでしょ。それを一緒にされても困ります。

 「いやいや、世の中には結果を出しているカリスマ教師がいるぞ」

 100%ですか?ビリギャルの塾行った生徒希望者全員慶応行ってる?生徒更生させた教師の更生率100%?超有名予備校講師の授業受けたら全員難関大学合格?そんなわけないでしょ?

 個人的にはね、教師も親もまず「諦める」ことが大事だと思います。この「諦める」って世間一般の「何もしない=諦める」ではなく、仏教用語です。「自分の力でどうにもならないことを悩み患わない」という意味。自分のできる領域は精一杯取り組む、でも、自分ではどうにもならないことに怒り狂ったりしないこと、という意味です。やる気のない生徒に精一杯の働きかけはしますけど、やる気になるかどうかは本人次第。自分ができることはしたからしょうがない、と。

 ま、中華好きな人も嫌いな人もいるように、自分の指導や存在をよく思わない人間もいる、ぐらいに考えてます。

 でないと、病むよ、若い先生方。

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