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マンチェスター噺し#1〜おはじきサッカー馬鹿の世界挑戦記〜

視聴率最低の2019NHK大河ドラマいだてん-オリンピック噺し-は、日本のオリンピック草創期からのドラマですが、毎回涙なしでは、見られませんでした。

おはじきサッカー協会を2007年に立ち上げ、初めてワールドカップに挑んだ「わたし」のおはじきサッカー馬鹿な世界挑戦記です。


【マンチェスター噺し】
 私が初めておはじきサッカーのワールドカップに参加したのは、2012年マンチェスター大会です。その大会ではその後に大きく影響を受ける多くの人たちに出会いました。


 シンガポール協会の会長Kok weeさんJohn HOさんたちに会ったのも、マンチェスターでした。ワールドカップ前にやり取りはしていたのですが、今のように親しくなれたのはマンチェスターで共に戦ったからと思います。


 成田からブリティッシュエアウェイでロンドンに向かい、ヒースロー空港で地方便に乗り換えマンチェスター。これが初めてのヨーロッパ旅行で、その時51歳になっていました。リハビリの第一人者になるという決意で、あっという間に20代30代40代が過ぎ、勉強と、臨床の仕事に集中していた中でのワールドカップ参加でした。

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 マンチェスター空港を降りると、地方の空港ですから、規模は大きくはなく、宿までのタクシーも映画によく出てくる”イギリスのタクシー”というようなクラッシックな自動車でした。タクシーから見える街はロンドンオリンピック開催間近というのに、さほど盛り上がっているようには見えませんでしたが、産業革命の始まりの場所ということは、すぐにわかりました。いたるところに大きな規模の煉瓦つくりの工場が残り、すすけたような煉瓦の色に歴史が刻みこまれていました。

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 予約していたサービスアパートメントの住所でタクシーを降り、住所を見ながら入口を探していると、しっかりとした体格のアジア人らしい二人がそのサービスアパートメントの入り口に立ち、中をのぞいていました。


 その二人がコックさんとジョンさんでした。偶然近くのホテルを利用して、私の宿泊先が近くとわかり、訪ねてきたのです。


サービスアパートメントは、日本でいうと高級マンションを借りるようなものでairbnb(アメリカ発の民泊システム)がまだない時代では、地元のスーパーで食材を買い、自炊をして、洗濯しながらゆったりする、そんな旅行を提供していました。


チェックインし、二人を四階にある部屋に招き、あらかじめ頼んでおいた食材で簡単な食べ物を豪勢なリビングに出しながら、初対面とは思えないぐらい、うち溶けて、おはじき話しを夜遅くまでしました。


木曜日の夜の話しですから、明日は会場での開会式。もう、いい時間です。日本の時間ではもう次の日の朝になっている勘定です。


二人を送りだし、マンチェスターの中心地のあるその建物も、窓から見える薄暗いなかに立つビルも、恐らく、戦前からの煉瓦づくり。ベランダも枠とすかすかのバーも皆、鉄づくりで、スパイ映画ならベランダを伝って通りまで逃げられるような作りです。


アパートからは、トラム(路面電車)の駅が見え、二階建てのバスが深夜なのにまだ、走っています。リンゴを剥いて、ベランダに座りながらタバコとリンゴを交互に口にしながら、おはじきサッカーの生まれたイギリスでのFISTFワールドカップ、20回目の記念大会に来たことが信じられませんでした。

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何故ワールドカップに来たのか、それはこのスポーツの最高峰の大会だからです。本物なのか、どうなのか。そして、この大会で初めて会った選手、シンガポールの二人も、それを確かめに来ていました。

おはじきサッカーやってみたい方は、ohajikisoccer@gmail.comまでご連絡下さい!