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没後30年。「大人」になった尾崎は、いま何を歌うのだろう?

彼の歌に初めて触れたのは、中学1年の冬だった。

放課後、呼び出されて入った「技術科」の教室で、ちょっと変わりものだった先生が「17歳の地図」のMVを再生していたのだ。当時、まだアイドルのヒット曲くらいしか知らなかった僕にとって、彼の歌は別世界すぎた。自分が幼すぎて、理解できなかったのだ。ただ、ミツバチが次々と身動きできなくなる映像には強烈なインパクトがあった。そのときの教室の風景を、いまでも憶えている。

その2年後。同級生からほとんど強引に押しつけられたカセットテープが、尾崎豊のデビューアルバムだった。自宅のラジカセでしぶしぶ流してみて、衝撃を受けた。とにかく歌詞が強烈なのだ。届かぬ思い、無力感、孤独。そして、「生きること」の意味を問う虚しさ……。漠然と感じていた気持ちが、ストレートに歌われていた。加えて、どの曲もとても映像的で、ドラマチックだった。

言葉の持つ力、表現する力に、とにかく圧倒された。挑むような眼差しと、胸の奥までズドンと響くまっすぐな声から放たれるメッセージは、僕にこう語りかけているように感じた。

「お前だけじゃないんだよ、そんな気持ちに押しつぶされそうなのは。俺だってそうなんだ」と。

彼はよく「十代の代弁者」「反逆のカリスマ」と呼ばれていた。確かに、歌の多くは「若者VS大人」「純粋な心VS汚れた社会」といった二項対立で描かれている。特に初期3枚のアルバムには、その色が濃い。「卒業」は、その代表曲だ。

ただ、僕自身は当時から、彼の歌の反逆的な部分にはあまり共感できなかった。そうしたイメージだけで彼の存在が括られることが、残念でもあった。

どこかの中学校では、尾崎の歌の世界を真に受けた生徒が夜中に校舎の窓ガラスを何枚も叩き割って逮捕された、という話もあった。なんて愚かなのかと呆れたものだ。歌に秘めた想いを感じとる力がないのか、と。ただ、そうした短絡的な捉え方が、当時の主流だったことも確かだ。

僕にとって、尾崎の魅力は反逆性にではなく、その内省的な人生観、世界観と、いまにも壊れてしまいそうな繊細さにあった。特に、「シェリー」や「誰かのクラクション」といった哀しみが滲む感傷的な歌に強く惹かれていた。

そうした歌はどうしてもネガティブな色彩を帯びてしまいがちだ。それもあって、彼のことを「暗い」といって毛嫌いするものも多かった。だからかもしれないが、「尾崎が好き」というもの同士で繋がったり、仲間が増えたりということはほとんどなかった。僕と同じように、みんな自分の部屋でこっそり聴いていたのだろう。

居場所の見出せない人たちの心に寄り添い続けた尾崎は、1992年4月25日、突然燃え尽きた。

あれからもう30年も過ぎたなんて、本当に信じられない。そして思う。もしいま、尾崎が生きていたら、どんなことを歌っているのだろうと。

生きていれば、56歳。当然ながら「若者VS大人」なんていう対立軸の歌はつくっていないだろう。そんな年齢になってまで「大人なんて信じられない」と主張し続けていたとしたら、かなり痛い。

ただ、大人になった尾崎は、「大人」の定義そのものを問い直しているかもしれない。

僕自身、大人と呼ばれるようになって、もう随分になる。そして思う。十代のころに感じていた「大人」なんて、どこにも存在しないと。孤独や不安に耐えながら、いまにも崩れそうな自分をなんとか保って覚束ない毎日を過ごしている。外見は大きく変化してしまったが、心は部屋のなかで悶々としていたあの頃とほとんど変わっていないのだ。

これはきっと僕だけの感覚ではないだろう。多くの「大人」がそうなのではないかと思う。

あの日、中学校の教室で尾崎のMVを流していた先生も、同じことを感じていたのではないだろうか。おそらく先生は、深夜のテレビで尾崎のビデオを見て心を打たれ、その気持ちを共有したかったのだ。口が悪く、すぐに手を上げる人だったが、どこか憎めない人間くささがあった。同僚の教師にもズケズケと文句を言っていたから、職員室では浮いた存在だったはずだ。先生も孤独を抱え、生き方に悩んでいたのだろう。その心は、十七歳のままだったのかもしれない。

そして、きっと僕たち生徒に伝えたかったのだ。「分かるよ、お前たちの気持ち。俺も同じだから」と。

寂しさ、不安、孤立感。だからこそ求める、人の心のぬくもり。それは大人になっても、もっとずっと年齢を重ねたとしても、消えてなくなることはないのだろう。むしろ、年齢を重ねるほどに深くなっていく感じさえある。

尾崎豊が駆け抜けた80年代より、はるかに「生きる厳しさ」が増している現在。もし彼が生きていたなら、世代を問わず、こう語りかけているはずだ。「お前だけじゃないんだ。俺だって、誰だって孤独で不安なんだ。だから、いまはここに居ていいよ」と。

きっと、あのころよりずっと深く、優しい眼差しで。

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