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「エンド・オブ・ライフ」という生き方

「亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ」

在宅での終末期ケアを行っている京都の診療所を7年間かけて取材したノンフィクション。亡くなりゆく人、支える家族、そして、最後の日々をできる限り満ち足りた時間にするために奔走する医療スタッフ。個々の在りようを静かに描くなかで、一括りにされがちな「死」が、それぞれまったく違う表情をして浮かびあがってくる。

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7年の時間のなかで、著者自身も母親を看取る。長い間、父親の献身的な介護を受けながら在宅で過ごし、静かに亡くなっていく。その母親も一時期、様態が急変したことから短期入院していた。ただそこでは、痰の吸入もろくにしてもらえず、顔にこびりついた鼻水や血もそのままなど、ひどい扱いを受ける。抗議をしても、院内の看護ルールに忠実に従っている看護師らは聞く耳をもたず、逆に叱責される。

このくだりを読んで、僕の祖母の姿が甦ってきた。

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祖母は老衰で少しずつ寝たきりになり、最後の数ヶ月は入院していた。そして、同じように痰の吸引をされていた。口からではなく、鼻に管を挿入しての処置。鼻の奥に突っ込むのだから、当然痛い。激痛だ。鼻血も出る。「やめて」と祖母は叫んでいたが、本人の意志はまったく考慮されず、決められたルーティンだけが淡々と繰り返されていた。

それは、人間への扱いではなかった。モノに対する作業だった。

祖母は「やめて」だけでなく「もう死なせて」とも訴えていた。僕たち家族も「痛がっているので、やめることはできませんか?」と担当医に頼んだ。

だが、若い男性医師は表情を変えずに言った。
「ここは病院です。なるべく延命させるために必要なことをするだけです」

僕は死に対する畏れはそれほど強くないけれど、死に方に対しては強い恐怖を抱いている。その恐怖の底には、このときの記憶があるのだろう。

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本書には、「診療所と患者」という軸ともうひとつ、大切な流れがある。
この診療所で中心的に働いていた40代の男性看護師に、末期ガンが発覚。男性がどうガンと向き合い、葛藤しながら受け入れ、残された時間を家族と分かち合っていったのか。その姿を、著者が迷いながら、悩みながら綴っているのだ。

それまでに200人以上を看取ってきた、その看護師が呟く。「自分は、何もわかっていなかった」と。そして、仕事を辞め、自然治癒力などに解決策を求めつつ、衰弱していく。それでも最期まで家族を気遣い、明るく振る舞い、人生を楽しもうとし続ける姿からは、状況とは関係のない、人間の尊厳のようなものが伝わってくる

著者は終盤、こう綴っている。

「7年間の間、原稿に書かれなかったものも含めて、少なくない死を見てきたが、ひとつだけわかったことがある。それは、私たちは、誰も『死』について本当にはわからないということだ。(中略)ただひとつ確かなことは、一瞬一瞬、私たちはここに存在しているということだけだ」

「迷いながらでも、自分の足の向く方へと一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を澄まさなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の『生き方』だ。少なくとも私は彼らから、『生』について学んだ」

確かに、ここに登場する人々は、誰もが死を前にして、自分の命を誠実に生ききっていた。そしてその姿が、周りの人たちに新しい命さえ吹き込んでいた。

エンド・オブ・ライフ。それは在り方によって、遺される人たちへの慈雨にもなりうる。「死に方」に怯える時間があるなら、一瞬一瞬の存在の仕方に意識を向けたほうがいい。いまは、そう感じている。

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