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第1話 ずっと隠れていたかった幼少期~小学校時代

こんばんは。すばるchieです。

ちょっと長くなりますが、今日はわたしの人生ストーリーを書いていこうと思っています。
皆さま最後まで読んでいただけると嬉しいです。

わたしは建築士としてインフラ整備やまちづくりの仕事をさせていただいている一方で、占いを使ってすべての人が自分の本質を知り開運するための方法をお伝えする活動をしています。

自分で言うのは何ですが、いつも元気いっぱいに活動しています。周りの人たちからも「いつも元気でいれる秘訣って何かあるのですか?!」ってよく聞かれるぐらいです。

最近、占い鑑定をさせていただいている時
「Chieさんは今まで剋された(酷い仕打ちをされた)経験はあるんですか?」と聞かれる場面があり、これまでは自分の人生ストーリーはあまりいい思い出がなく辛かった時代もあるし恥ずかしいしオープンにしていなかったのですが、わたしの人生ストーリーを書いていきます。

わたしは3人姉弟の1番上の姉として生まれました。
父と母はフルタイムの共働きで当時としてはまだまだ母がフルタイムで仕事しているのは珍しい時代でした。そんなわたしは小さい頃から同居のおばあちゃんとおじいちゃんに育てられてきました。

父は毎日帰りも遅く、休みもお客様との付き合いで出かけていて家には殆どおらず、母も夜まで仕事だったので、おじいちゃん、おばあちゃんっ子で、小学生の時におじいちゃんが亡くなるまでは正直父と母との記憶はあまりない感じです。

わたしに弟が生まれるまでは、近所に同じ歳の子がいなかったこともあり、殆どの時間をおじいちゃんやおばあちゃんと遊んだり、隣近所のおばちゃん家に呼ばれて家に上がり込んだりと大人の話を聞くのが大好きな子供でした。

当時は近所で住宅開発やマンション開発が盛んに行われていて、騒音も今では考えられないぐらい凄い音で、日中は大きな音を鳴らすブルドーザーやショベルカーが怖くて家の中で頭から座布団被っておじいちゃんの膝に隠れていたぐらい怖がりなところもありました。そんなわたしが大人になって建築関係の仕事に就くなんてホントに考えられない感じで天国のおじいちゃんもさぞかしびっくりしていたことと思います。

その後、妹が生まれた頃に幼稚園への入園を迎えます。弟はやっと言葉を話し始めた頃でした。
この頃、両親からは「妹も生まれたことだし、お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい。」と何かに付けて言われるようになり、子供ながらにお姉ちゃんなんだからしっかりしないと!と思った記憶があります。今から考えればここがわたしの人に言えない、頼れない人生の幕開けだったなって思います。

幼稚園では、今まで大人の中で育ってきたせいなのか、同年代の子達とどう関わっていいか分からずに、うまく友達づくりができないまま年長さんになりました。ずっと自信がなくてうまくコミュニケーションも取れず、頑張って自分から同じクラスの子に話しかけようとするのですが、タイミングや空気も読めず全くうまく輪に入れません。

輪に入れた!と思って喜んでいたら数日後に何故か仲間はずれにされる。

「わたし何かしたのかな?」
「何か悪いところがあったのかな?」

って子供ながらにいつも考えていたけど答えが見つかりませんでした。

クラスのみんなが妙にキラキラ光って見えてわたしにはとても遠い存在。

その上、担任の先生から嫌がらせのようなことを受けるようになり(今なら完全にアウトな感じです。)幼稚園も全然行きたくないし毎日穴があったら隠れたい気持ちでいっぱいでした。
でも背が1番高くてくせ毛で目立つせいか全く隠れることもできず、ドンドン自信をなくし引きこもるようになり、一人ぼっちになります。そんな毎日が辛くて嫌で嫌で、おばあちゃんや家族に相談しようとするも

お姉ちゃんだから頑張らないと!
弱音を吐いたらダメだ!

と思って誰にも言えないまま卒園を迎えました。

小学校への入学を迎えます。

子供ながらに幼稚園の二の舞にはなりたくない!
と思いながら小学校へ通い始めます。

1年生の担任の先生がめちゃくちゃ厳しい先生で、字を書くのが苦手なわたしは国語のノートを書く度に授業中にみんなの前で書き直しさせられ、完全に国語嫌いになっていきましたね。

運動も苦手、字を書くのも苦手で何も取り柄がなかったのですが、当時は女子の間でぬり絵が流行っていて、唯一ぬり絵は得意なほうでした。休み時間にはクラスで1人でずっとぬり絵をしていました。

その日もぬり絵にひたすら没頭していたわたしにクラスの女の子が声をかけてくれました。

「ぬり絵うまいねぇ~!わたしに描いて欲しいなぁ」

その女の子は今で言うインフルエンサーでした。
ぬり絵がうまいと言われたことより、声を掛けられたことが嬉しくて嬉しくて、その日は家に帰ってすぐにぬり絵を描いて翌日学校に持っていきました。

インフルエンサーの女の子が喜んでくれたところから、描いて欲しいって何人かに話しかけられて有頂天になってました。

それから2年生になり、当時は2年毎にクラス替えだったので、1年生の時の持ち上がりで同じメンバーでスタートです。

まだまだぬり絵ブームが続いていて、ぬり絵をキッカケに少しずつ友達ができてきた頃に暗雲が立ち込めてきます。

1度やり始めるとハマり症で手が抜けなくなるところが今でもあるのですが、当時のわたしもドンドンぬり絵の技術を磨いてぬり絵は随分上手になっていました。

元々学校では目立たなくてどちらかと言うと暗かった子が急にチヤホヤされたり目立ったりするとどうなるか?!それは少なからず周りから妬みや反感を買うことがあります。

わたしの娘は現在中学生ですが、スクールカーストほど厄介で恐ろしいものはないと言っていましが、そんな言葉はまだ存在していなかったけど、まさにそのような感じでした。

そのうち、あることないこといろいろと陰で噂されるようになり、またまた仲間外れになっていきました。何が悪かったのかも全く分からず反論することもできず、家族にも相談できず、幼稚園時代を思い出し自信をなくしてクラスのみんなからは距離を取り再び殻に閉じこもるようになり一人ぼっちになっていきました。

「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ!」

家では弟と遊び、おじいちゃんやおばあちゃんと過ごしている時には学校で上手くいっていない素振りは全く見せることができず、成人式の日にカミングアウトすることになるまではずっと誰も気づくことはなかったです。

ずーっと後に何故このようなことになっていたのかが分かり、この思い出がやっと自分の中で腑に落とせて昇華できたのですが、そのお話はまたの機会にしたいと思います。

ずっと心の中で引っかかっていた辛い経験が昇華できたおかげで楽になり元気になれました!

そんな時に引越し話が浮上し、時期が小2の途中だったことから、両親がわたしに引越しして学校が変わることになってもいいかどうか聞いてきました。

今の学校生活から抜け出せる!!

と思ったら凄く嬉しくて、聞かれてすぐに引っ越してもいいよ!!って答えたことを覚えています。

そこから両親とあちこちの家を見に行ったり、モデルルームを見に行ったりしながら、ついに大阪から奈良へと引っ越すことになりました。

よく「どうして建築の道に行かれたのですか?」って聞かれるのですが、今から考えるとこのモデルルームをたくさん見たという経験が後々に建築の道へと進むきっかけとなったと思われます。

正直、友達と別れることが寂しい気持ちではなく、幼ごころに早くこの毎日から脱出したいという気持ちでいっぱいでした。

引越し先のストーリーは次回へ

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